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父と暮らす:妻との諍いの50%は両親、25%は子供、残りは僕の給料のやすさ。新しい「家政学」

両親と顔を合わせれば、子供いつ出来るかとそんな話題になった。次男が生まれるの時は僕が独立て間もなくて、2人目の子供はいらないと言った。妻は僕の両親と10年話をしなかった。こういう話はよく聞く。

チョット考えてっもらいたい。もし、「年金を払っていない人」がいたらどう思う?父母の世代は子供が老後の世話をしてくれたのだ。つまり子供の数は今で言えば年金の加入と同じなのだ。いやもっと重要だった。

僕らは自分の時代の背景の中で判断をする。その時代の背景を理解できたとしても、その環境に生きてきた人たちのメンタリティを理解するの困難だ。そして多くの問題はそこに有る。

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父の実家は海産物の卸問屋だった。子供は7人いて、一番上の跡取りが亡くなって2歳の子供を持った妻は、二番目の弟と結婚して家を継いだ。父の実家、僕が生まれる3-4年前だと思う。一番右が母少しあけて左が父。一番左が次男、既に兄の嫁と再婚して兄の子供を自分の子供として育てていた。

家庭という企業が大きくなることが自分の老後を幸せにした時代だった

家庭が生産の手段だった。家庭は生産の単位だった(商店や農家)が当たり前だった。サラリーマンなどいなかった。7人兄弟で当時固定の給料をもらえたのは父だけだった。子供は「家庭っという企業」の新入社員で次期社長で小学校の頃からすでに労働の担い手であった。家長は社長であって、言うことは絶対だった。今の企業の社長と社員の関係とさほどは変わりない。

しかし,今と当時では、大きな違いが有る。父親(社長)が引退して、働けなくなった後でも、老人は家でともに生きていたのだ。「介護と年金」に機能を分解して私達は社会化した。しかし足りないものが有る。僕はそれを見つめたい。自分がそこに行くまでさほど時間は残されていない。

かつて、家庭は生産の単位だった(商店や農家)そして、身土不二(地産地消)が当たり前だった。

「ソニーや松下やホンダ」などという企業も小さな商店だった。その時代のメンタリティが世襲を生んだ。社員としての子供は家業を手伝わされ、それが教育であった。

世襲とは宗教(家庭より大きな全体)の価値よりも、家族の価値を重視するメンタリティなのだ。そして、内部告発は批判され、忖度とディールの時代がきたのだ。

冷蔵庫も運搬手段もない。飼育ー屠殺ー食卓までの距離は短く野菜も農家が作り、そこで食べられていた。川には魚がいて毎日のように食卓に上った。食事の作り方もまた世襲され、逸脱は許されなかった。食事の作り方は一つ間違えれば人が死ぬ。海でとれた「つぶ貝」を食べて家族皆でしたが痺れたことが有る(笑)。

水洗トイレなどなく汲み取りトイレに家族の腸内細菌は集まり、蝿がマイクロバイオームを媒介していた。地域でのマイクロバイオームの共有こそが新同時なのだ。

医者も栄養学者も研究者も、過去が今と同じかのように考える。なにせ教科書には載っていない。実験できないからエビデンスもない。

人のメンタリティは経験から生まれ移ろいやすく、その変化は自分では見ることは出来ない。



「子供が産める女」は「家庭という企業の」M&Aの大事な通貨であった。

「帝に気に入られれば、竹取の翁も貴族になれる。」まあ、現代でも芸能界にデビューさせてIT企業の社長と結婚させると似たような効果も生まれるのだから、今でも変わりない(笑)。

「教育・食事・介護」の外注化=商品化そして変質

僕らが大きくなる頃、「学校教育」は「実学」でなくなる過程だった。男子は技術科では旋盤を習い、女子は家庭科で料理を習った。それが技術家庭に統合される直前の時代だった。

そして学校教育は子供を能力で選別する時代を通り抜けて、「平等なチャンス」という嘘を作り出した。格差と忖度の時代かくしてパワハラは社会化された。

家庭に子供を迎えるときに一番の条件は親に対しての忠誠だ。企業も同じ、社員に求めるのは企業に対しての忠誠心である。かくして内部告発は裏切りとなるのだ。

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母の実家はタンスを作っていた。多くの丁稚がいて、皆の食事は奥さんの大事な仕事だった。鮭を焼いて醤油に漬け込む料理をいつも母は作っていた。「焼きびたしの鮭」を食べたとき、見たこともない風景の思い浮かべる。

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かつて(女子短期)大学では「家政学」という学問がああった。

今ではたしかほぼ無くなっていると思う。しかし、調べてみると「家庭=企業」であった時代の「総務部」的トレーニングが行われていたのである。これこそが、「家庭=企業」出会った時代の要請だったのだ。

息子は大学で経営学をび、嫁は(総務・財務)家政学を学んだ時代なのだ。そしてグローバリズムはM&Awo繰り返し、地方から独立した経済の単位を駆逐した。

家庭は商品の単位となり、年金や介護を行政を通じてビジネスにした。食事も買わざるを得なくなり、生活習慣病で孤独に施設で死ぬ運命を私達は迎える。

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下の子が生まれて6年後、実家の隣に家を立てて住むことになった。何年か経ち母が僕に話してくれた。妻がお茶を出してくれたと嬉しそうに言った。今でのあの嬉しそうな顔は忘れられない。諍いは父母、僕と妻の皆を苦しめていた。長い時間が経ち少しずつ接していくことで心が溶けたのだろうか?孫を通じて理解し合えたこともお買ったのだろうと思う。一緒に暮らすことで初めて家族になるのだ。母が、そして父が亡くなった。既に登場人物の半分がいなくなった。遠い過去の話だ。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。