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格差の方程式:「赤勝て、青勝て」の民主主義、どっちが勝っても同じこと、「憲法で保証された格差」とは何か?

まるでトランプがアメリカを分断したかのごとく論じる方々にはがっかりだ。政治家が分断を引き起こすのではない。分断を利用しているに過ぎない。この分断は「世襲される格差=憲法の保証した格差」が生んでいる。

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奴隷同士を喧嘩させて本質的な問題に目をやらせないのである

格差の下の方にいても、「民主主義に期待しているバイデン一派」と「もう期待できないトランプ一派」が綱引きしているのだ。それ以外の連中は自分の生活の利益になる方に一票である。

人種差別にしても、本質的な問題は貧困である。一方で使い切れない富を持つ人間がいて、方や病院にもいけない人達がいる。アメリカ国内に南北問題が存在しているのだ。そして、その「富も、貧困も」共に憲法で保証されている

かつての南北問題は遠い国の出来事だったから見殺しにするのも楽だったが、同じ国の隣人が死んでいくのだ。テロが起こって当たり前である。

貧乏人同士を喧嘩させておけば本質的な問題には飛び火しない 。

僕はトランプの行ったことは何ひとつ支持できない。しかし、民主主義がなんとか自分で変われるのではないかと期待した(注)。しかし、残念な4年間であった。

結論から言うと、こういう社会(上から変わろうと出来ない)はテロで滅びる他ないのだ。多くの遺跡文明のようにである。

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憲法が保証する格差とはなにか?

私達は平等な「教育の機会」を与えられ、大学に行くための補助金も補助される。個人は公平な競争をしている。大学の研究者も・役人もみな全体の幸福のために働いている。給料の差があったとしても、それは「そのヒトの能力の差」が現れているのだ。

職業選択は自由である。教育は保証されている。個人の財産権も保証されている。だから優秀な人間は金持ちになる、無能な人間は貧困の中にいても当たり前だ、。優秀な人間は社会・企業に高い価値を与えるから高い給料も当たり前なのだ。個人の所有権とプライバシーは強く保護されるのだ。

貧困は自己責任であり裕福さは頑張ったご褒美」なのだ。

過去の差別の反省から、憲法でも決まっている。『法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。』まさにその通りの社会ができているのだ。

では、大学を卒業してからの就職はどうなるだろうか?

全てコネである。親が、どこかの会社で部長職なら、取引先の部長にぽんと会える。試験もフリーパスである。公務員試験を通っていても、上に上がるのは親が高官の場合である。もし親が会社の社長ならば、大学は人生の夏休みだ。新入社員の時から「若」とか言われて社用車はベンツで自家用車はフェラーリか?その金は、社員の時給を絞った金だ。

運動部の先輩程度しかいないと悲惨な就職になる。売れない品物を営業して回る。夜の遅くまで電話でセールスしては怒鳴られる。会社に行きたくないと起きれなくならば精神病院を紹介してもらえる。検診で「抗うつ剤」飲ませられていれば、自殺しても経営者には責任はない。

それでもコネがあればいい。コネがなけりゃどんなに優秀でも選抜のない仕事にしかつけない。時給は最低でサービス残業が嫌なら止めて頂くことになる。一生働いても給料は皆家賃に消える。

人生の使用料を払う一方なのだ。

何のために生きているのかわからない、うつや統合失調症になるのは当たり前だ。

医者にはこう言われる、「アンタは悪くない、病気なんだから仕方ない」仕事が辛いのも先が見えないのも、みんな病気のせいなんだよ。

多くの会社では精神病に診断があると上級職にはつけない。つまり、ライバルを蹴落とすには病気になるくらいいびればいいのだ。自分の気に入らない部下は病気になるまでいびっていびり殺せばいい。

かつては組合というものが有ったが、今はない(形式的には有るが、経済的に独立できていないから上司に忖度するのだ、そんな組合があるか!)。

テロを起こす人を僕はどんな目にあった人なのだろうと思う。同じ人間なのにどうして人を殺せるのだろうと思う。しかし、僕も殺す夢を見る。

医学は金持ちのためにある。金持ちは、貧乏人が団結するのが一番嫌だからね。分割統治の原則である。

僕は今の「精神病の大流行」をどうして皆考えないのかわからない。コロナどころじゃないだろう。

秦国の阿片窟や終戦直後のヒロポン(薬屋で覚せい剤が買えた)中毒者を思い出す(見たことはないが)。さあ、薬飲んで元気出して会社でパワハラ受けまくろう!セクハラでもいいがな。

阿片窟ヒロポン

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組織に入った時点で、評価されるのは上に対しての従順さだ。上の言うことを聞いて、下(派遣社員)をクビにする。もししなければ自分がクビになる。そんな生活しながら、見ているSNSでは「勝ち組」が楽しそうに遊ぶ。

広告代理店やテレビ局のような会社の新入社員は縁故ばかりだ。あっという間に年収一千万だ。現場のADは外注である。外注の会社の経営者は給料を自分で決められる側だ、現場で働くADは時給で一生働く。能力がないから上に上がれないと言われる。

誰もが上に忖度しながら、生きていくのだ。毎日の生活があり、給料をもらい家賃を払う。

そしていちばん大事なことは皆が首輪をつけられているということだ。トランプやバイデンさえも例外ではない。

大統領選挙

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格差の下の方の男は、運よく結婚しても、女はアンタは負け組損をしたと言われる。勿論この逆もありだ。金持ち女は恐ろしく傲慢だろうなあ。パワハラは金の有る方がない方をいじめるのだ。おまけにセックスが絡む。時共が絡んで財産の世襲が絡む。複雑である。

テレビのアイドル見ればいい。IT会社の社長と結婚したら勝ち組で、お笑い芸人と結婚したら負け組だ。一発大金持ち引っ掛ければマンションも頂いて退職金だ。

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「この格差」は憲法が保証している格差なのだ。

「自由主義=資本主義」は、戦後の「共産主義」と対峙する世界の中に生まれた。実際には、共産主義も資本主義も、社会の生産性が上がった時にそれをどう分配するかのルールでしかなかった。

1940年からの20年は世界の富には限りがあった。社会全体が貧乏だった。そして、努力することが美徳であった。貴族や地主、財閥、平民、奴隷といった富を集積する社会的な差別がきちんと法的に確立していた。

そして2回の大戦が多くの人を殺した。社会は和解したのだ。そして2つの平等が生まれた。

2つの平等とは

自由主義と共産主義である。その後の歴史はまた今度語ろう。しかし結論は簡単だ。

饅頭の中身は「ヒト」なのだ。どんな風に皮を変えても同じである。コミュニティの中で誰を「格差の下」に突き落として自分が多くを取るかは、そのコミュニティの中のパワーゲームなのだ。

そして、すべてのコミュニティの中に同じ「律」が見える。『家庭、夫婦、親子、教室、徒弟関係、上司部下、元請け下請け、南北問題、IS問題、テロ、パワハラ、セクハラ、イジメ、依存、医療、介護』どれも複数の人の集まりの中で自分が一番(身の程を知った位置で)得をしようとする。

イジメの傍観者は、誰かがいじめ殺されることで、受験のライバルが消える。決して傍観者ではない。教師は自分の無能(教えるのが下手で生徒が暴れる)さを隠蔽できる。傍観者の親も嬉しいだろうや。三方喜び子供だけが苦しめられる。イジメはイベントではない関係性の中での「利」の取り合いなのだ。天真爛漫な文科省の役人は多くの子供を殺している(抽象的な意味でですが)。

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三層の格差、社会にまんべんなく広がる。

格差の下の方には一生「他人の決めた時給」で働きながら家賃を払い続ける。高価なものも手に入るがローンという形で自分の人生の切り売りになる。

その一方で、自分で給料を決められる連中がいる。「所有者」と仲のいい連中だ。上に忠誠を誓い、他人の生活を破壊するし違法すれすれのことをする。

格差の上の方は、「所有者」である。「株式・特許・著作権・家賃収入」を一生受け取る側である。

格差の方程式

この格差は、特に目新しいものではない。「ヒト」が群れ(コミュニティ)を作り暮らす習性を持っているから生まれるのだ。ともに働き、得たものを平等に分ければ格差は存在しないが、実際には自分で取り分を決められる者と決められた取り分(時給)で働くものに分かれていく。

「株式・特許・著作権・家賃収入」、いずれも50年前には価値の有るものとは思われなかった。社会の変化は余りに唐突で、連続的なのだ。
そして僕らは渦中にいるから気が付かない。

この格差は、この50年間に生まれた。

水洗トイレとエレベータが土地の価値を変えた。母の若い頃は都心に一軒家が買えた。僕が高校の頃、水道橋に新発田市の「寮」があって、賄いのおばちゃんと地元から留学に来ていた子供がいた。

その頃は、地域の農産物、肉魚いずれも長距離の輸送には耐えられなかった。

かつても小さいコミュニテイでの格差はあった。しかし、格差の上と下は顔見知りだったのだ。小さい企業や商店、農家が互いに商品を買い合って「利益は大きくはないが皆の共同のもの」であった(注)。

僕の一回り上のいとこは若い頃、「惣菜(天ぷら)」を作って福島まで売りに行ったという。グローバリズムの一端である。まだ惣菜が売られt利していない頃だ。食事が商品となる時期であった。自動車があったから出来たのだ。

その頃は、高度経済成長と言われる時代だ。「ソニーやホンダや日産、トヨタ」町中の個人商店だったり自転車屋だったのだ。

そして努力と能力が発揮された時代である。豊かさが優秀さの反映であった。

そんな時代は、1980年代で終わるのだ。

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格差シリーズは続きます(笑)

格差の方程式:教育という自己責任(イジメと格差)
格差の方程式:大学は格差が大好き(アカデミズムと格差)
格差の方程式:医療格差とはなにか(医療と格差)
格差の方程式:あの世にも格差があるの(宗教と格差)
格差の方程式:倍返しのない世界(企業と格差)
格差の方程式:この格差の向かう先

一番の問題は、上見ても下見ても果てしない格差の連鎖の一部にいるということだろうなあ。

自分の生活という人質があるから、下手なことは出来ない(笑)。僕だって、父の残してしてくれた土地がある。アパートに住んでいる老人から見れば格差の上になる。まあ、住宅ローンは80歳すぎまで有るが。

楽に生きたいば、誰かに忖度しておこぼれもらうに限る。

MMTなどと言っていくら金刷ったところで、皆大金持ちの隠し口座に消える。連中は頑張ったご褒美と行って高級品を買う。擁護する方も批判する方もばっかじゃなかろかと思うが、経済学者はそもそも格差の上の側である。

格差の下の時給を上げるのは出来ない相談であろう。

僕はクメール・ルージュを思い出す。格差の下が上を殺した話である。インテリと言われる連中や目立った金持ちが殺された。しかし、格差は消えなかった。多くの革命を調べても顔ぶれが入れ替わるだけなのだ。

どんな政治の皮をかぶっても中にいるのは「ヒト」なのだ。

憂鬱になる。

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実質的にこのお話の続きです。

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注)分断を利用しているに過ぎない

「東部エスタブリッシュメント」と言われるアメリカの「政治のプロ」を相手に何らかの成果を成すのではないかと思ったのである。多くのトランプの支持者もそうであろう。幸運を掴んだ男が世界を変える映画のようにである。デモクラシーに期待していた時代はもう終わったのっだろうか?

注)「利益は大きくはないが皆の共同のもの」であった

この考え方は、現代の経済学では全く抜け落ちている。生産から抜か落ちた人をどう救うかの問題と同じ意味がある。

僕らはペゾスから商品を買う、ペゾスは売ることから利益を受ける。しかし、その利益は私達がいてこそのものである。だから、利益を税金という形で還流してソレが年金として戻るべきであるが、絶対にそうならない(笑)。

かつての社会のモデルはグローバリズムが見事に破壊したのだ。遠くの市場で売るということは、その市場に還元する金の分だけ自分の利益が増えるのだ。

外食チェーン、コンビニなども規模が大きくなればそれだけ利益も上がる。しかし、働く人間・買った人間ににはフィードバックはしない。時給で働いているのだからいいのだということになる。

それは間違えている。無論、負け組の遠吠えである。

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