検査値正常の不健康、病気自慢の医者自慢、よく効く薬が「原因を直さない=終わりのない治療」を生んだ。
高いビルから落ちても、地上にぶつかるまでは傷一つ無い。検査値も同じだ。検査値の異常が見つかり、薬で修正しても、最後には致命的な疾患に追いつかれる。それが早いか遅いかの違いである。
検査値は身体の異常を表すと考えられている。だから検査値を下げれば身体は正常になると言う結論が導かれる。「頭が痛い」「熱がある」というのも検査値と言える。そして、薬で収まれば回復である。薬もいらなくなる。
これは至って正常な「治療」の姿だ。病状とその原因があり、治療は始まりと終りがあり、治療が終わったあとで始まりに戻る。
ところが、血液の分析技術が発展と分子標的型の薬剤の発明が様子を変えた。今日はその話をしたい。原因を直さない=終わりのない治療の話だ。
致命的な疾患とは
致命的な疾患とは代えのない臓器(再生治療のターゲットになる臓器)が破壊されることだ。膵臓が自己免疫疾患などで(β細胞がインスリンを分泌しなくなあると)機能しなくなるとI型糖尿病となる。失明にしても、腎不全にしても、「元に戻すという意味」での「治療」はない。「障碍」と呼ばれる状態である。何らかの「補助的手段」がなければ生活が辛い。
検査値(症状)の異常とは
かつては症状と呼ばれて、医療のスタートに当たるものであったが、血液検査と言うのはごく最近の発明である。そして、明確な因果関係が見つからないままに(食事調査やコホート研究などの統計的検討をエビデンスに)「原因」と断定された。
1)他人からみてわかる(症状)
「肥満、尿に糖が出る、振る舞いがおかしい(精神疾患)」家族が気がついて将来の災厄を防ぐために何らかの治療を求める。本人は自覚がないか喜ばないことが特徴。見栄えが良くなることががアウトカム(治療の目的)。本人の自覚が足りないと自己責任を責める。
2)自分が申告する(症状)
「視力、聴力、味覚、痛覚、頭痛」かつての自分をノーマルと考え、元に戻ろうとする。本人が望むのが特徴。昔に戻ることがアウトカム(治療の目的)。加齢による場合は無理。白内障などはよく見えるようになると言われるが、僕の母は嘘つかれたと怒り、いつの間にか諦めた(受けたことも忘れ晩年は起きたあとしばらく目が見えないと嘆いて)。
インプラントやレーシックなどの「破壊的治療」に対して若い患者が不満を言う(諦めないで怒る)ようになってきている。医師はその施術した医師の腕が悪いと諦めさせる。
3)検査してわかる(検査値の異常)
ドックや血液検査で見つかる。検査値の異常自身には「症状」がないが、致命的な災厄との因果関係がある(と言う仮説が成り立つ)。医師が喜び、家族が恐怖して、本人は絶望するのが特徴。検査値の正常化がアウトカム(治療の目的)。検査値を正常化する分子標的型の薬があれば投与、無ければ難病扱い(あなたは特別だと褒める。)
致命的な災厄との因果関係のお話
糖尿病は「高血糖(検査値の異常)」が「血液をドロドロ」にして血管がつまり脳梗塞・動脈硬化・心不全が起きる。「毛細血管をボロボロ」にして眼底網膜症や腎不全や壊死を起こす。
だから、「医師と家族」は争って血糖値を下げようとする。
しかし、問題はこの因果関係が「仮説」であるということである。
2010年くらいまでの専門雑誌などにおいては分子生物学がこの因果関係を明確にすると気合が入った特集が組まれていた。なにせ、製薬会社にとっては検査値を下げる薬以上に致命的な災厄(=合併症)を「治す」薬のほうが金になる。当然「研究」にも金が集まる。
随分煽っている本を読んだ。医師が自分は最先端の研究をしているのだと思わせるために明日にでも災厄は去るようなことを書きまくるのだ。
テレビに雑誌に、あたかも救世主のように扱われる。しかし、クリニックの経営者でしか無い。何も基礎研究をしているわけでも深い洞察力もあるわけでもない。大学の1−2年の頃授業で生命科学を少し習っただけである。年を取れば取るほど昔の常識の範囲から抜け出せない方々である。
適当に海外の論文を読めて、メディアに呼ばれる医師免許を持って、白衣を着た普通の人なのだ。僕は随分長い間、彼らの本に真実が隠されていると思っていた。
書かれている知識を学べば健康になれると思っていた。権威を信じることは安心するものなのだ。
細胞の中に「最終糖化物質」がある。脳の細胞に「最終糖化物質」見つかったから認知症は脳の糖尿病だ。すぐに取り除かないと大事になる。そんな風にあおる。研究者は自分の研究が重要だと主張する。それが彼らの給料だ。
過去50年でどれだけ消え去った研究論文があったであろうか(笑)。
1990年以降の研究手法の進化が見つけられないもの
2000年にヒトゲノムは解析される。あと100年かかると言われていたものが天才的な科学者によって解決したのだ。検体の中にあるDNA・RNAの破片をつなぎ合わせてコンピュータ上で復元するのだ。なにせwindows95の時代である(笑)。昨今のPCR検査もこの技術のおかげで始まったようなものだ。
もう一つ大事なのは電子顕微鏡で実際のタンパク質を見ることが出来るようになった事だ。タンパク質の解析をはじめておするこれらの技術がよく効く薬を生んだ。分子標的型の薬は細胞に目潰しを食らわせ、口をふさぐ。苦しんでいる細胞を黙らせるのだ。
1990年くらいからの専門書(研究者向けの解説書)を見るのは僕の趣味だ(笑)。僕のスタディは、始まりを尋ねるところから始まる。古本も安いし、最新の研究が袋小路に入る前の大胆な予測や希望が読めて嬉しい。
見つからないのは探す場所を間違えているからだ
2010年くらいに出た専門雑誌の中で僕の好きな研究者が「まもなく糖尿病の分子生物学的な機序」は見つかるだろうとお書きになっている。
しかし、見つかっていない。
これからも、ますます細分化された「原因」が見つかっていくだろう。糖尿病患者と健常者の比較をして、統計的に多くあるものがあったならば、それを原因と言えば良いのだ。
呆れ果てる(笑)。
そして、研究者もいずれ『何種類もの薬を処方され、同じような手術を繰り返し、「輸液・経管・胃瘻」』の人災の終りを迎えるのだ。
ではどうすれば良いのか
この50年で社会は大きく変わった。商品化された食事にこそ問題があると思う。だから毎日素材から食事を作っている。
専門家の太鼓判はない。とても面倒で、大変だ。毎日食事を素材から作るというのは言うほど簡単ではない。
けど、自分自身のために続けていれば、もっと「食事の価値」を信じる人が増えていくと思っている。
ますます宗教家である。
「アミロイドβ」と「レビー小体」は「アルツハイマー・認知症」の原因物質と長く言われている。患者の脳に多く分布しているからである。しかし、健常と言われる人の脳にも少しはある。電気的にこれらの物質を取り除く治療もあるが決定打ではない。そして最近ではこれらの物質は結果でしか無くて、別に原因があるのではないかという論文が出てきている(長く学会で握り痛されていたと聞く)。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。