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マユさんのこと

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気がつけば、長い付き合いである。二人だけの秘密も有る。毎日の食事は僕が作っている。決して媚びることなく、凛としてモッテコイをする、ダーンと鉄砲で打てば死んだふりをする。気に入らな… もっと読む
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寝床で物をねだるのは親密の証と聞くが、マユはイヌだしオスだし、ヒトでもないし、

江戸時代、将軍が側室と同衾(マイクロバイオームの交流を)する時は両側に官僚(去勢した男女)が付き、側室がおねだりをしないか監視したという。小池一夫先生が言っているt事だから絶対に正しい。「乾いて候」に書いてあるからね。 数年前に大きな仕事が入って、寝るまもなく仕事をした時に布団を仕事部屋に置いた。それはもう、地獄のような極楽のようなメルティングポットのような根が生えたような5分おきに寝ては置きてを繰り返した。 夢の中で良いソースがかけたことも一度や二度ではない。 僕が座

犬の「糞食」を病気と思う「擬人化」で自分を正常と思う意識

ヒトは3歳位から「言語活動」を行う。ピンガーさんは3歳時の頃、脳に「言語」を学ぶ器官が生まれるという。その器官は外部の環境を受け取って「意識」と私達が呼ぶ「層=行動を律するコード」を作る。 「衛生観念」と私達が呼ぶ「コード」はそこに組み込まれる。 ウンコが汚い、オシッコは飲むものではない、セックスは隠すものだ、と言う下位のコード、それを根拠ずける『生活の形・宗教・伝統・家族・社会』全ては繋がっている。 「糞食」というのは犬を始めとして色々な動物が「ウンコ」を食べる行為だ。

マユにおしっこされた。蔦という彫刻。

庭の散策して、仏壇に線香あげて戻ってきたらマユがいない。 呼んでもでてこない。 リビングから人が居なくなる時はハウスに入れるのだが、おとなしかったので入れなかった(妻が二階に上がる時に横着したのだ)。 今日は雨であった。 蔦は面白い。樹木は生命の作る彫刻である。 雨だったので明日はタケノコを見に行こう。

布団にうんこされた。

写真は割愛。 2回めである。カリントウではなかった。 思わず吹いたのだが、ハウスに隠れていたということは、悪いことをした思っているのだろうか。久しぶりである。 しかし、そんなに「汚い」とは感じないのは、面白い。 まあ、お腹の中にあるものだし。 犬と人は、同じ食物連鎖のレンジの内に生きる。 手羽先の骨を食べさせすぎるとウンコの切れが悪く、お尻に付けたままに布団の上で外す。2回目であった。 オシッコは意図的に何かを伝えようとするようだが、ウンコには罪はない。 生命というもの

再生

マユにご飯を毎日作ってあげる。

今日はキャベツをメインに豚肉と豆に白菜や余っているもの。 ドッグフードを食べさせているから犬も生活習慣病になるという。人も同じである。素材から丁寧に作った食事はいいものである。 それが証拠に、とても喜んでくれる。 https://note.com/masaya59/m/mc976710aa513

初雪、マユのご飯

これから積もっていく。消雪パイプは動くのだが、僕の車のタイヤはスノーではない。 ベランダに雪が降るとマユも大喜びである。毎年雪を見ているのだろうが、毎年大喜びをする。 庭に捨てる生ゴミをベランダの端まで持っていくのに裸足である。マユも寒かろうに。 ご飯を作らせていただいた(笑)。大はしゃぎである。 野菜や肉、余っているおかず、レバーや焼き魚を鍋で煮る。料理を作るのは良いことである。マユもピンコロに人生を終わってくれるであろう。別れは悲しいが苦しまない道が良い。ぼくが先

マユさんのこと、獣医さんに行ってきたが、恐ろしく元気である。

結局は歯垢で、特に歯槽膿漏ではないということであった。そもそも歯槽膿漏って歯と粘膜の間の皮膚の再生不良だから、治療方法はない。食事に生命が含まれていないから起こるのだ。ドッグフードのような乾燥工程を通った食事こそが問題である。犬もヒトもこの病気は大流行である。 僕は家族のために生命に満ちた食事を作る。自分の為につくる。 それは50年前には当たり前だった『生命(「タンパク・脂質」の立体構造が維持された)が維持される』プロセスで作られた食事である。 犬に食事をt来るのって、

マユのご飯

たっぷりの野菜と大根カボチャに豚肉を入れて煮る。煮しめなどが余っていたら加える。豚肉の脂は鍋に溶け込んで行く。 8食分(4日分)作り冷蔵庫に入れておく。 必ず味見をする。これは人が食べるものもマユが食べるものも一緒である。人と犬の代謝系はほぼ同じである。ヒトという入れ物に入っているか犬という入れ物に入っているかの違いである。 獣医は塩分が大敵だと言うが、適切に塩味が有るのが良いと思っている。細胞の内外のナトリュウムとカリュウムの濃度差がなければ細胞は死ぬのだ。味を見て僕

マユにおしっこされた、久々のことである。キーボードは無事

キーボードは無事であった。 なんか腕が冷たいと思ったら、オシッコである。 机と椅子がこの近さだと見事に上がって、おしっこして知らん顔するのである。 イヤホンは大丈夫かなあ。一瞬のことであったと思われる。 知らん顔しているが、手をダストがうと吠えられる。 せっかくおお昼は美味しく一緒に食べたのに。 すこし寝たら、半ご飯作ろう。今日は塩サバの唐揚げで作ったマリネにししゃも焼きだ。 #おしっこ

マユのご飯とゴミ捨て

うちの母は和裁の内職でお金をいっぱい持っていた。和裁の先生に侍從してやがて独立して、呉服店から依頼を受けていた。今で言う自営業者である。 帯一本で1万円が手に入った時代に、一日一本縫っていたというから、良い稼ぎである。お金は、僕が使った(笑)。 父は経理担当のサラリーマンで、東京の本社の社長に目にかけられて、新発田にある工場の経理を任せられていた。 手羽先は、先頭をマユのご飯にして、元の方を骨を割いておく。腱を切って割っておくとよい。 工場長の監視役として辛いことも多

マユが哲学しておる

SELF-PITY I never saw a wild thing sorry for itself. A small bird will drop frozen dead from a bough without ever having felt sorry for itself. 「この瞬間を生きること」 今を精一杯生きる者は 自らをあわれむ事はない いつか小鳥は凍え死んで枝から落ちる、それ以外の「生」など考えはしない。 D・Hロレンス 【2021年9月9日】夜中の3

ドッグフードでマユを飼っていた頃と今(僕の手作りで共に生きる)

ドッグフード時代の昔も可愛かったが、今はもっと可愛い。同じ釜の飯を食っているからだ。 この日は素麺が少し余ったので加えた。マユも僕も「そうめん」は大好き。僕の食事と同じものを食べるから、身体の内側の代謝系も似てくるのであろう。マイクロバイオームが共通でもあるのだ。食事とセックスは「生命=細胞の内外の体液の内で立体構造を保ったタンパク質や脂質」を自分の身体という「バイクロバイオームのコロニー」へと受け入れるのだ。そして、感染も同じ「律」を持つのだ。 飼い主が食事をしていると

小玉スイカ食べている動画アップしました。

食事は喜びであり、生命の跳躍である。細胞のレベルから見たら、イヌもヒトも同じである。 生きるということはイヌもヒトも同じである。マユを見ていると教えられる。僕はマユのご飯をつくる。生命に溢れた食事だ。 マイクロバイオームという生命観が医学を変える。 細菌がコロニーを作りそれはカビと呼ばれる。一定の温度湿度のもとで最も効率的に出来上がる。やがて、サンゴのように、コロニーを作り、「鞭毛=移動」を得て世界のあらゆる環境に生きるすべを見つけたのだ。 DNAは身体全体の設計図で

マユは涼しいところを知っている

どうやら床がとても涼しいようだ。 いたずらをしたときもここに隠れる。 僕の布団なのだが、一緒に寝ようと横に行くとガウと言ってさる。 僕が出張のときは夜はゲージに入れられていた。出張の間のご飯は作っていったのだ。 僕の椅子の上に丸まる。ここもお好きなようである。 枕もお使いになっていることがある。 寝床でキャベツは食べないでほしい。 「長いお別れ」という小説の中でベッドに残された髪の毛を見つけて「別れるというのは少しだけ死ぬことだ」とマーローはつぶやくのだった。