見出し画像

マユにおしっこされた。蔦という彫刻。

庭の散策して、仏壇に線香あげて戻ってきたらマユがいない。
呼んでもでてこない。
リビングから人が居なくなる時はハウスに入れるのだが、おとなしかったので入れなかった(妻が二階に上がる時に横着したのだ)。

キーボードはご臨終ではなかった。まだ大丈夫である。
呼んでも、目を合わせようとしない。机の上でオシッコをすることがいけないことだと分かりながらするのである。僕がキーボードを叩いているのを見ているのだろうと思う。一度、キーボードにするところを見たいものだが、人がいると絶対にしない。監視カメラが必要である。
そ~っとこちらに忍び寄ってくる。やはり僕の方を見ようとしない。
定位置に収まり、哲学にふけっておる。結局、机に乗れる近さで椅子をおいておいた僕が悪いとこうことである。

今日は雨であった。

山桜の花がついた。母が亡くなった年に買った苔玉である。地におろしたが庭に桜は植えないほうが良いと言う言葉に従って鉢に戻した。

蔦は面白い。樹木は生命の作る彫刻である。

山ぶどうの蔦から新芽が出てきている。面白いものだ。土中の根から「蟲(マイクロバイオーム)」が登ってきて葉となりやがて散って世界を変える。
この蔦はオレンジのきれいな花がつく。かなり前からあったのだが、数年前から伸ばすようにしたら、きれいな花がついた。隣の家から飛んできたようだ。
この木は、お寺の山から持ってきた。居なくなったと思っていたのだが、昨年から元気をだしてきた。
池の水が澄んできた。やはり鯉が見えたほうが嬉しいものである。

雨だったので明日はタケノコを見に行こう。


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。