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「共同体感覚」は幸福になるための必須要素だ

私たちは皆、共同体に属して生きています。

家族も、会社も、地域も、共同体です。今は家族と離れて暮らしていたとしても、両親の存在がなければこの世に生まれることができません。近隣の人と交流がほとんどなかったとしても、そこで暮らしている時点で地域のインフラやサービスに支えられて生活することになります。

人は決して一人では生きられない生き物なのです。そして、共同体の一部として生きることが当たり前のはず。

これはアドラー心理学でいうところの、「共同体感覚」と同じことです。人々は社会の一部として機能し、互いに協力しあい、貢献しあい、共存している。

近年、社会全体でこの「共同体感覚」が薄れてきていると感じます。

共同体感覚が薄いと、自分の存在意義も得にくくなります。人は他者とのつながりによって自分の価値を認識するものだから。そうすると、自己肯定感が下がっていく。

反対に、そもそもの自己肯定感が低ければ、共同体感覚も育まれにくくなります。生きているだけで価値がある、といった感覚を持てるほうが、自分も他者も認めることができ、共同体の一員として生きやすくなるからです。

ちょっと極端に聞こえるかもしれませんが、「共同体感覚」がないと、幸福には近づけません。共同体感覚を持つことは幸福を手にするためのスタートラインであり、大原則と言っても過言ではないのだと感じています。

共創を積み重ね、共同体感覚を育む

さきほど、共同体感覚が薄れていると感じると書きましたが、それはなぜなのでしょう。

ひとつは、「個性を尊重する教育」「個の力を重視する風潮」の影響があるのではと考えています。

「個性を大事に」「あなたはあなたでいい」「競争しなくても大丈夫」といった教育を受けた世代は、個人主義が強調された層だとも言えます。その結果、他者との比較が生まれにくくなったり、力を合わせて何かを成し遂げるといった感覚が育まれにくくなった面はあるのではないでしょうか。

とはいえ、個を磨きながら、共同体感覚を育むこともできるはずです。両者は決して相反することではありません。個性を尊重しながらも、他者と力を合わせて共創する機会を積み重ねれば、共同体感覚を持つことができます。
実際に今の小学生には「探究」の授業があり、他者と協力しながら課題に取り組む機会も設けられています。

磨いた個性を発揮するための土台としても、共同体感覚は必要です。

社会全体に共同体感覚が浸透していけば、社会的孤立や格差などの問題も減っていくでしょう。

共同体感覚を育むのは、大人になってからでも決して遅くはありません。なかなか他者とのつながりが生まれにくい世の中ではありますが、家族でも、仕事でも、趣味のつながりでも、協力しあって生きていく喜びが、幸福への第一歩になります。


共同体で自然体で生きるためには、自治力が必要になってきます。こちらの記事もよければご覧ください。

個の力だけが重視される社会への問題意識は、こちらの記事でも投げかけています。

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