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コハタの本棚#2 それからの僕にはマラソンがあった

走ることの美しさとはなんだろうか。

仙台の友人から、松浦弥太郎さんの「それからの僕にはマラソンがあった」を貸してもらい読んだ。

この本を読んでいて考えさせられたのが、自分にとって走ることとはなんだろうか、走ることの根源にあるものとはなんだろうかということ。

それはこれがいいのではないか、という一般論や正しさとは異なる、自分にとってこれだと言えるものは何なのかという話。

ところで、松浦弥太郎さんといえば暮らしの手帖の編集長をしていることは知っていたけど、正直なところ自分はそれ以上のことを知らなかった。

マラソンの話を書いた本があるくらいのことは知っていたけど、なんとなく…というくらいだった。そんなタイミングで、僕の友人から松浦弥太郎さんを尊敬している話をされたり、仙台にいる友人から本を貸してくれるという話をされたので読んでみた。

全体的には走り始めたきっかけと、走って行くうちにぶつかる壁と試行錯誤の話、9年間ランニングを続ける中で目指すようになった次のこと、という時系列で話が語られている。

僕は全部に共感したわけではないし、あくまで松浦さん自身の走り方が語られていたという話だけど、「マラソンが精神のよりどころ」「速さよりも美しさを目指す」という2点は印象に残った。

「マラソンが精神のよりどころ」と語られているのは、仕事やプライベートの時間でも誰かと一緒にいることが多いなか、走るときだけは一人になれるということ。また、だからこそ走りながら思考が整理されていくということが書かれていた。

EKIDEN Newsや渋谷のラジオでおなじみの西本武司さんとの対談ページでは、「走ってればなんとかなる」と語られている。

僕自身、この6月〜8月改めてそのことを突きつけられることが多かった。OTTが終わって燃え尽き症候群になり、梅雨の間まったく走らずにいたが、走らない生活は逆にストレスが溜まっていく。まったく思考が整理されない…という時期を過ごした。

ついには夏風邪にかかったり。笑

だからこそ、走ることが精神のよりどころ、走ってればなんとかなるというのは身を以て共感したところだった。

翻って「走ることの美しさを目指す」という話は、自分の走る理由を深掘りされるような文章だった。

松浦弥太郎さん自身、ランニングを続けてくる中で速さに囚われて怪我をすることがあったらしい。だから、速さではなくいかに美しく走るかということを目指し始めたと書いてあった。

僕自身、はっきりといえば速くなりたい。5000mで15分台を出したいし、マラソンだって2時間40分くらいで走りたい。

けれども、どうして速く走りたいんだっけ、どうして走ることを選んだのだっけという問いを深掘りしていくと似ている気がする。

僕が走り始めたのは中学3年生のこと。

駅伝をきっかけに長距離競技を始めたのだけど、続けようと決めたのは純粋にもっと極めたいと思ったからだし、速く走れる人たちの“美しさ”に魅せられたからだと思う。

駅伝にハマった頃、魅了されたのは佐藤悠基選手だった。あんなにフォームが綺麗で、あの速さで走り続けられるなんて…と感じた。

自分自身の速さ、タイムを求めるのもあるけど、彼らみたいに美しく走れるようになりたい…という気持ちは少なからずある。そして、美しさという言葉だけではなく、走るからこそ見える言葉を紡ぎたいとか、速さという単一ではないものを追い求めている。

「それからの僕にはマラソンがあった」。自分にとっての走ることを考えさせられるきっかけになる一冊だった。

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