きっと「あざとさ」だけで繋がっていた

どうしても、闇に溶けてしまいたくなる夜がある。もうすぐ2年が経つ、あの日も。

コロナ禍に入り他人との交流がめっきり減った2020年。休学を終えて仙台に戻ってきたばかりで、直前に体調を崩していたため余計に外で出ることが減り、人と接することを欲していた。そのことを聞いたある人からマッチングアプリを勧められ、すぐに始めた。

ほどなく何人かとメッセージで会話するようになり、そのうちの1人とよく会話が続いた。ファミレスで友人から撮られたパフェを持って笑顔の自分の写真に「笑顔が素敵だけど、あざとい」と言われ、相手の少し遠目に映るワンピース姿の写真に「僕も素敵だと思います」と返した。控えめに言っても、笑顔が素敵だと言われたことに舞い上がっていた。まだ会ってもないのに、既になにかが運命づけられているように。

カメラが趣味でカフェに行くのが好き。プロフィール写真に載っている写真のエモさと好きなことが似ていることに惹かれて、想像だけが膨らんでいく。数日メッセージでのやりとりをして仙台の街中で会うことになった。初めて顔を合わせたその人は清楚そうなワンピースを着て、待っていた。

実際に話してみると、その儚げな見た目とは裏腹にとても毒舌で、日々職場で起こるトラブルを面白おかしく語っていた。面白いと感想を漏らすと「へへ、そう?」と訊き返してくる。話す姿といい、その口調といい、完全に惹かれていた。それから、柔らかそうなほっぺたに。こんなことを書く自分に対して、気持ち悪い。

それから、お互いがどんな恋愛を経験してきたのかを話した。相手が変な人としか付き合ったことがないこと、自分は久しく恋人がいないこと。お互いのエピソードについて「へえ」と頷いたり、そんなことがあったのかと驚いたり。相手から「優しくてモテそうなのにね」と言われた時には、かなり好きになっていた。チョロすぎる。

実際、趣味が似ていることや人生を少し遠回りしていることで話が合い、お互いに良いなという雰囲気は漂っていた。

2回目に会うことになったのは、その2週間後くらいだった。その頃、美術館で開かれていた特別展が興味のあるもので「美術館行かない?」とLINEを送ると「行く!」と返ってきて、次も会うことになった。

夏を目前にした時期だというのに、春先のような寒さが戻った雨の日に待ち合わせた。隣を歩くその人の、その時期らしくない紺色のコートとニットのセーターを着る姿には、キュンとする高揚感を憶えた。

特別展を見ている間も静寂に包まれた美術館のなかで「あの絵の鳥ってさーちょっと馬鹿っぽくない?」「ちょっと笑わせないでよ笑」と小声で笑い合うその姿には、側から見ればカップルぽさがあった。

美術館を出ると2人で横並びで歩き感想をポツポツと話したり、最近マッチングアプリを通して会った人がどうだったかを聞いたりした。5人会う予定の人がいて、自分は4人目であること、もう1人いることを教えられた。自分についての印象を訊くと付き合いたいと思うほど良いとは思っているけど、最後の1人に会ってみるまで決めないと言う。

好いているのに願望がなかなか手に入らず焦らされる感覚はもどかしかったけど、大人になろうと思い、待つことにした。

カフェに寄った帰り、手を繋いだ。その人が自分の手を握って「本当に手が綺麗だよね。タイプ」だと言っていた。体の小ささのわりに指が長いので、手が綺麗と言われることはそれまでもあったが、手の綺麗さでタイプだと言われるのは初めてだった。別れ際にハグをされた。

その週末は会えない代わり夜に電話をした。大学の話や相手の職場で起こるいろんな話、それから恋愛の話。21時に話し始めたのに気づけば日が越えていた。そこで話すのが最後になるとも知らずに。

そんなにお互いがお互いを好いていたら、きっと大丈夫だろうと思っていたが、翌日の夜に突然LINEが来て一言「今日会った人と付き合うことになった」と。

一瞬、何のことを言ってるのかよく分からなかった。昨日までのあれはなんだったのだろうか。時が止まったように、景色がぼやけた。

出先から部屋に帰ると電気もつけずに呆然とした。暗闇の床へ溶け込むように仰向けで天井を見つめた。あんなに良い雰囲気だったのに、また付き合えなかったかあ。また受け容れられなかったか。光のない部屋のなかで、ネガティブな思考は止まることを知らず絶望した。

人生において、失恋することは多々経験してきたにもかかわらず、あの闇のなかに溶けてしまいたい瞬間、何もかも終わってしまうような失意の時間はいつになってもさっぱり慣れない。

受け容れられなかったと言っても拒絶されたわけではないし、そもそも自分は何を失ったと感じたのだろう。受け容れられる以前に、今思い返してみると自分たちはあざとさでしか繋がっていなかったのかもしれない。あざとい行動に対してかわいらしさを感じ、きゅんとしていたのだと思う。お互いに。

あざとくて、浅はかだった。

その意味では「手が綺麗だ」という言葉は、それ以上でもそれ以下でもなかった。

分かってほしいと願うからこそ、人へ好意を向けてしまう。身勝手にも、その好意が成就しなかった場合、拒絶されてしまったかのように勘違いしてしまうけれど、拒絶されるほど分かってもらえたのだろうか。分かってもらえるほど、自分も相手のことを分かろうとしたのだろうか。

底なしに暗かったあの夜から2年。どうだろう、僕は。

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