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自分であることを確認するように今日も走る

夢のなかで、走ろうとしているのに身体が前に進まず焦ることがある。目を覚ますと夢であることに気づきながら、次に走ったら本当にさっぱり走れないのではないかと心配になることが時々ある。

そんな夢のようにというわけではないけれど、思うように走れなかった時代が幾つかある。高校の陸上部時代、貧血や怪我に悩まされた自分は半分くらいは思うように身体を動かせなかった。また、高校3年生から大学3年生までの4年半は陸上競技から離れて、学生団体やまちづくりに関わる活動をしていたのでほとんどシューズに足を通さなかった。

時折、浮腫んできた顔と贅肉の付きはじめた身体を鏡で見てランニングをしたこともあったが、長くは続かずフェードアウトしていくのだった。ましてや、スピードを上げて走ることはできず、久しぶりに1000mを1本走り3分30秒でさえ心臓から血が噴き出すのではないかと思うほど苦しかったのは懐かしい。

再び走り出してから5年が経った。その間もずっと習慣的に走っていたわけではなく、時々精神や体調の不安定さが祟って走れなかった時期がある。その状態から復活して走れるようになったときは毎回と言っていいほど安堵した。

自分はまだ走れる身体だったのだと認識できたから。

インドア派の自分が、唯一走ることだけは外に出てやりたいと思うのは、そんなところにあるのだろう。

初めてフルマラソンを走った後、身体のバランスが崩れて走るフォームがぎくしゃくしていて休息を余儀なくされた。一度走ると足が痛くて、また休む時間が続く。精神を病んだ時、走ることから離れた時と同じように、また自分は走れなくなってしまうのではないかと不安がよぎる。

3月も終わりに差しかかった今日、5kmを4分ペースで走ってみた。追い込んでいる時期なら余裕のペースだが、1ヶ月半以上自堕落な生活を続けてきた今、それなりにきついペース。走り出すと2kmほどで苦しくなってきた。2月にマラソンを走った時は26kmまでこのペースで走れたのだが……。結果自体は19分45秒で設定通りに走ることができた。

よかった、これで一安心だ。まだ走れる自分が居るみたいだ。

左右の脚を前へ出して進み続ける。自分が自分であることを確認するように、これからも走り続けるのだろう。

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