見出し画像

繊細さと流れていく感情

川上未映子さんはどうしてこんなにも「繊細さ」を代弁してくれるのだろうか。本を閉じた瞬間そんな思いが浮かんだ。

2年前にも読んだことのある『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子著)だが、久しぶりに読みたくなりこの1週間ゆっくりと読んだ。以前読んだときは儚い恋の物語として読んでいたが、今回は主人公・冬子の繊細な内面と社会(もしくは、周囲から向けられる目線)とのずれに視線が行った。

校閲として働いていた職場で、冬子は嫌というわけではないが居心地の悪さを感じ、「フリーにならないか」と誘われたのをきっかけに退職する。フリーになるきっかけとなり、その後も仕事を共にする聖という女性はあまり主張をしない冬子とは逆で誰にでも正論を主張し、ガツガツと仕事を進めるタイプ。

冬子が片想いを寄せる男性への気持ちについて、聖が見ているとイライラすると言ったシーンで自分も「そうじゃないんだ」ともどかしい思いに駆られた。自分の想いをすぐに伝えられて、行動できて、好意を向ける人がセックスをしたい人なのだとすぐにイコールで繋がる人にはもどかしくてイライラするかもしれないけれど、あなたが結論を出すよりもずっとずっと遅いかもしれないけれど、自分だって思うところはあるのだ。冬子に自分を重ねて、そう言いたかった。

なんでも速さが大切なのだと錯覚しそうになる昨今。殊、大人になるとそんな強風を浴びるような気がする。聖のように上下関係なくハッキリと意志を伝えられることが尊ばれ、恋愛も結局はビジネスのように例えられ、行動がすべてという風潮で語られる。行動は大事なんだけども。

聖のような人間から見ればたしかに冬子のような繊細で積極的に好意を伝えられず、時間をかけてしまう人は何も考えずに受動的に生きているように見えるかもしれないけれど、そんなことはない。

聖が一人語りのように結論を出していき、冬子が相槌を打つ会話が続くところが印象に残った。自分もついそんなふうに聞くことが多い。そんなとき、いろんな思いが湧いてきては、昇華できずに流れていってしまう。

しかし、露悪的な聖でさえも自分の中に湧き上がる感情は“何かの引用”なのではないかと吐露する場面が描かれている。自分の感情なのかどうか分からないと。聖のような陽のオーラを纏った人間にも、そうした繊細な一面があるのではないかと思わせられるシーンだった。

そうしたところが、「繊細さ」を代弁してくれていると感じたところだった。自分も何をしたいのと問われてすぐに答えられず考え込んだり、強い主張の人にそうだよねと訊かれてYESともNOとも言えず「ううん」と誤魔化すような相槌を打つことがある。冬子のようなのだ。

生きづらさを繊細に言葉にしてもらえているこの小説。冬子が三束さんという男性に片想いする恋の描写も美しい。2人の世界が“真夜中の夢”のようでもあり、真夜中に訪れる静けさのようでもある。

冬子は好意を寄せているのに三束さんの情報をほとんど知らない。儚いからこそ、読んでいるこちらは胸を締め付けられる。

順調に結ばれることに越したことはないけれど、こんな儚げで繊細な恋に憧れてしまう自分もいる。ああ、苦しい。

再び読んでも、素敵な物語だった。

この記事が参加している募集

読書感想文

恋愛小説が好き

いつも僕のnoteを読んでいただいてありがとうございます。スキ、コメント、サポートなどで応援していただけて励みになります。いただいた応援は大切に使わせていただきます。応援よろしくお願いします^^