見出し画像

悪"銭"苦闘の回顧録~10億以上の借金したけど、それでも大丈夫でした!

こんなバカな人間がいるのか!

「こんなバカな人間がいるのか!」
「普通の感覚じゃない人間!」
私がよく友人から言われる言葉だ。
友人たちの多くは驚きと呆れ、好奇の目で私を見る。
最初はふざけ半分でそう言っているのだと思っていたのだが、最近、自分でも自分に呆れ始め、友人たちが私に対して本気で呆れていたことを理解し始めた。

そんな私はトータル10億前後の負債は負ってきた。
しかしながら、普通に生きている。
私が行きついた結論だが
「結局何とかなる!」
ということだ。

人生を順風満帆に進むことができず、常にお金に困り、その日の生活すら困ってきた自分が辿り着いた結論である。
私が言っては全く説得力はないかもしれないし、
「そんなふうに言っているからダメなんだ」と思う人もいるかもしれないが
なんだかんだ破産することもなく、犯罪に手を染めることもなく、多額の借り入れも返済ができている。
仕事が無くなったことも多々あるが、なんだかんだ自分のやれる仕事ができて今に至っている。

後先考えずに生きてきている自分がそうなのだから、自分より少しでも計画的に生きている人であれば、苦しまなくてもよい局面は多々あるだろう。

今回のコーナーで、お金に困り、お金に追われてきた私が
「先のことは見えないが、結局何とかなる!」
という確信に至った経緯を話していきたい。

この話を見てくれた人で、先が見えずに絶望の淵にいる人、苦しんでいる人のヒントになったり、心が軽くなって前向きになったという人が一人でも出てくれたら嬉しい。

悪"銭"苦闘の回顧録

金がなくて困った学生時代

私はずっとお金に困って生きてきた。
幼少時は衣食住もままならない、というか、衣食住もまともに用意してもらえない家庭に生まれた。
今の時代であれば児童相談所が入るような”毒親”の元で生まれてしまった。
学生時代には人には言えないようなバイトで夜の街を徘徊しながら生活費や学費を稼いできた。今で言うと東横キッズみたいなものであっただろう。
(これについてはまた別の記事で詳細書きます。)

社会人デビュー早々に金欠!カジノプロに!

学生時代には子供ができて、金融機関にせっかく新卒入社を果たせたものの、労働環境はブラックが当たり前、サービス残業が当たり前で、なおかつ当時の初任給は手取り10万を少し超えるくらいの薄給だったために生活するのもやっとの状態が続いた。
営業、そして、コールセンターを作るという仕事をしてきて、それはそれで夢中になってやってきたが、古い金融機関特有の理不尽な人間関係、評価体系、派閥、上司への忖度体制などに耐えれず退社した。
こういったことに我慢できない自分など
「日本社会で生きていけない!」
とその時の上司に言われたが、自分でもそう思った。
なので、海外のカジノを主戦場に戦うブラックジャックのプロとして生きることになった。といっても職業名は"無職"となる。そんな職業はない。裏稼業である。
私がやっていたブラックジャックという種目は、負ければお金が無くなるのは当たり前だが、勝っても店側から出入り禁止を言い渡されることが多い。そうなれば、いわば"職場"を失うことになる。香港の賭博船で一晩で6000万円溶かして意識が飛びそうになった日も印象深いが、様々な国々のカジノで勝ったがために出入り禁止を告げられ、"職場"を無くした状態で、次に行く国が見つかるまでは仕事もなく日本にいる状態であり、その間、ただただ貯蓄を切り崩すだけの生活ということで、これもまた精神的に苦しいものであった。
まさに、勝っても地獄、負けても地獄が待っている日々であったといえる。
ただ、預貯金だけは随分できたと思う。
20代にして3億円以上貯めるということを実現した。

トップセールスになるも、毎日散財の日々!

その後日本に帰り、外資系保険会社のフルコミ営業マンとしてトップセールスとなった。
しかし、毎日の接待営業での金遣いはとんでもない金額となったし、
目先の契約に囚われて、後先考えず大金を使った経験は数知れない。
家という多額のローンを要するものを買ったのもこの頃だ。
家以外にも、車、時計、酸素ボックスなど、少し考えればしなくてもよかったかもしれない買い物は数知れない。
全て目先の契約が欲しくて手を出したものである。
目先の契約が欲しくてあらゆる高額商材をバーター契約で購入した。
当然その後、お金に困る局面は多々訪れ、そのたびに「バカなことした!」と後悔することも度々あった。
毎月の返済額は楽勝で100万円を超える日々が始まった!
当然家計はマイナスの月もチラチラ出ることも出た。
フルコミ営業の宿命と言われればそれまでだが、子供がいる中での月刊収支のマイナスはストレスの重圧極まりなく、その分、ひたすら仕事にのめり込んだ。
散財していた買い物は、意味のない贅沢品は多々あったものの、「フルコミ営業マンが成果を挙げるための必要経費」と自分に言い聞かせて躊躇することなくその後も続けた。
とにかく、まともな感覚で生活設計なんてしていたら成果なんて出ない世界だった。
家に車に時計にと散財を繰り返し、なおかつ毎夜の接待。
よく体がもつものだと体の丈夫さに感心したが、その代わりに財布の中は3億円あった預貯金も半分以下になった。
営業マン時代は成果を出していればチヤホヤされ家族全員招待で旅行に連れて行ってもらえるのも一つのモチベーションになっていたが、その費用は全部後から報酬から控除されていることに気が付き、
「ふざけんな!それなら行かねえわ!」という気持ちにもなった。
そんなこんなで営業マン時代には収入は高かったものの手元にはほとんど残らず、貯金を削る悲しい結果になった。

創業してすぐに金が尽きる!「死んだほうがいい」

こんな状況ではまずいと思い、独立し、会社経営をすることになる。
保険代理店としての創業を行ったのだが、フルコミ営業マン時代の実績は営業マンの採用には大いに役立った。
会社経営においては営業マンの確保が重要だったが、これまでの表彰経験などである程度名前が通っていたようで採用には全く困らず一気に50人規模の会社にすることができた。
また、成績についてもこれまでのお客さん訪問をして契約の見直しをしているだけでかなりの数字になったが、新規開拓や毎夜の接待も継続してやっていたことで、自分の営業成績は営業マン時代よりも遥かに大きいものを叩き出せた。
しかし、会社経営となると自分の営業成績なんかよりも、会社としてどのくらい成果が出るのかということのほうが大切であり、私についてきたメンバーのほとんどは全く成果の出せない人間だった。
創業してすぐに資金は底を尽きた。
このころのメンタルは厳しかった。
働けど働けど金は飛んでいくばかり。
家賃や人件費の支払いは営業マン時代にはなかったものであり、社員の生産性が高いわけでもなく(むしろかなり低いかった)、24時間寝ずに働くのは当たり前、その分メンタルも崩壊状態となった。
結果として、営業マンでいた時よりも会社経営に乗り出したことでお金回りも完全に悪化していた。
「死んだほうがいい」
そんな気持ちも過りだしていた。

会社経営すると金を借りやすい!

持ち金はいっきに減ってしまう状況が起こったものの、法人として独立して助かったこともある。
代表的なことは
・融資を受けれる(金を借りやすい)
・補助金、助成金が多々ある
・税金が安くなる(所得税と法人税の税率差)

(営業マンが個人で所得として受け取る所得税よりも、法人が報酬を受け取ってかかる法人税のほうが税率が低い)
といったものだ。

お金が増えた錯覚をもたらす「借金」という経済的ドーピング

融資(借金)は目先の資金繰りを劇的に改善させるものがあったが、所詮は「借金」であり当然ながら返済が義務となるものである。売上とは違う。
にもかかわらず、後先考えることをしない私のいい加減さは、返済義務があるにもかかわらず、それを差し置いて、「お金が増えた」という錯覚をしてしまい、財布の紐をさらに緩めることになる。
まさに経済的ドーピングであった!
営業マン時代から当たり前のようにやっていたバーター契約による"お買い物"も、営業マンから経営者に立場が変わったことで、スケールを増して大きくなった。
社内のシステム開発、マーケティング運用、会社のコンサル契約、社員研修などは簡単に数千万円の金が飛んで行くものであった。
その成果は?と考えると、特に社員研修やコンサルについては全く意味を持たなかった。(もちろんこれはうちの会社の場合ではあるが・・・。)
誰一人として優秀な営業マンは育たなかったし、経営コンサル的なものは一般論としてのあるべき姿を説法されるだけであり、実情に即して実行可能なものでは決してなかった。
それでも、所詮はバーターによる買い物なのだから、その引き換えに大きな保険契約の売り上げが挙がれば良いと考え、特に気にもしていなかった。
実際に"買い物"が増えるほど、売上も爆増していった。
ところが、この杜撰さのツケが一気にやってくることとなる。
2019年以降、一転してとんでもない状況にハマっていく。

会社の売上が95%消える!

2019年2月、法人税法の改正により、会社としての売上の大半、というか、ほぼ全てを稼いできた商品が突如売り止めになった。
これは業界ではバレンタインショックと呼ばれる大事件であった。

商品が無ければいくら営業力があっても意味がない。
保険代理店であるのだから、もちろん個人営業を中心とした小口の保険に方向転換することはできる。
しかし、積み重なった億を超える莫大な借金を返済するには、今まで数千万円を超える保険を獲得して得た収益が、数万円の保険を取ることに方向転換してしまってはとても間に合わない!
さらに大問題が次々と顕在化する。
会社の売上構成が、社員が50人近くいるにもかかわらず、95%以上が私一人の個人営業であったという、会社としては体をなしていない状況もここで追い打ちとなる。
何億の金をつぎ込みながら、誰一人として優秀な営業マンを育成できていなかったツケがここでモロに出てくる。
目の前が真っ暗になり、眩暈がする日々が始まる。
途方にくれながらも、とにかく新規事業に打って出ざるを得ない状況となった。

コロナでトドメを刺される!

創業以来、営業会社としてやってきたものの、2020年からいっきに外交営業ができない状況がやってきた。
コロナである。これは参った。
前述した主力商品の消滅により売り上げが95%消えた段階で、新たな商品を営業することを考えた自分としては、「営業も終わり」を突き付けられた状況となった。
もちろんオンライン営業という手法が今になってみれば主流になってきてはいるが、果たしてそのスタイルでどれだけ成約率がキープできるだろうか。
よほどニーズが顕在化して、相手が「興味ある」「手続きします」状況でない限り厳しい状況になると考えられる。
その分、移動などの時間はかからないことを利点と考えれば、面談量を今までの営業スタイルよりも圧倒的に増やすことが可能ではあるが、私のように高額商材を富裕層に営業する仕事であれば、ゴロゴロ富裕層がオンラインで面談時間を取ってくれるなどということはまずない。
税法改正により商品が無くなり、コロナにより対面営業が消滅する、というまさに両手両足をもがれたような状況が訪れた。

どん底に落ち切った!経営危機で社員が大量に辞める!

業績が悪い企業は社員を不安にする。
この状況が訪れて社員は極端に減り、5分の1以下になった。
8割の社員が退職するという事態が起こった。
しかし、この時に冷静にうちの会計担当役員は言ったのだ。
「生産性が古賀さんでもっているから、これで資金繰りが本当に楽になった!」
と。私を励ますために言ったものかな、と感じたが後々振り返ると、
本当にその通りで、もし社員があのまま会社に在籍していたら、確実に資金ショートして倒産した。
売上が作れない中での固定費ほど首を絞めてくるものはない!
そして、社員が大量退社したことで、大きな事務所に居座る理由もなくなり、安いアパートの一室で事務所代わりにできる場所に引っ越した。
そしてコロナ融資ももちろん活用した。
先程、「融資(借金)はドーピング」という言い方をしたが、モノは使いようで、事業の無くなった我々は受けた融資を散在する理由など一切なく、新規事業を創出するまでの期間、とにかく生き残るための運転資金として、本当に必要な状況以外で使うことは一切なかった。
(本来、これが本当の使い方だったのはわかるが・・・)
事業が無くなり、社員が辞め、事務所も追われ、多額の借金返済が襲ってくる!
完全にどん底に落ち切った!生きている感覚すらない!
しかし、今振り返るとわかるのだが、
この結果、劇的に資金繰り改善が行われた。

もがいた末に生まれた新規事業

事業が消え、多額の借金だけが残った。
しかし、この状況になり、社員が大量に辞めた。そして、月に100万円を超える家賃を支払っていた事務所を移転した。
これで毎月1500万円前後の経費削減が実現した!
しかしながら、良いことばかりではない。
仕事は引き続き無い状況である。
私は法人営業で培った人脈をかたっぱしらから当たり、やれそうな仕事を散々当たった。その中で、法人向けの緊急配送、SNS管理、営業コンサルなど依頼された仕事を細々と行うことができた。
完全に何でも屋となった!
もちろんコロナ前の大きな売り上げと比べたら比にならないほど額にしては小さなものであったが、仕事ができることの喜びと安心感を強く感じたことを覚えている。
とにかく何でもしようと思って動いた。
学習塾、就労支援施設など新規事業として形になるものを模索した。
また、当時話題になったプロセスエコノミー(尾原和啓)の本に出合い、徹底的に自分の人生を商品化しようと考えた。
実はnoteを始めたのもその一環であった。

希望の光を差し込ませてくれた「100円」!

noteは数年前から知ってはいたものの自信のあるコンテンツもなく、ずっとやらずにいたのだが、そんなことを考えている状況ではなくなった。
とにかく何でもいいから商品を作っていかなければならない!
その状況になり、自分の持つ経験やノウハウ、それをアウトプットしていこうと考えた。
その中のコンテンツの一つが株式投資の決算分析を扱った「カブアカマガジン」である。
私には高校時代から株式投資の趣味があった。
2020年は海運業が大相場を形成しており、そのことの分析を備忘録的に記事にしてアップした。noteには課金機能があり、とりあえず100円の金額を付けてみた。
アップロードして数時間後、なんと一つ売れたのだ。
当時フォロワーも一人もいない自分の記事を誰か買ってくれたのだ。
私はインフルエンサー的な活動は一切しておらず、株式投資が趣味であったことを知る友人も多くない。noteを始めたことも誰にも伝えていない。
その自分が書いた記事があっという間に一つ売れた経験は本当に今でも忘れることができず、そのサプライズが今のnoteの活動に繋がっている。
noteはその後、売上を急成長させていっている。
これまでの仕事人生を振り返っても、何億もの大きな売上を上げた経験よりも、倒産と隣り合わせだった状況で書いた記事の売上100円のインパクトは圧倒的に大きかった。この100円の売上があったから、「もっと書こう、書きまくろう」という気持ちになれた。
仕事がなくなってしまった分、時間はある。労力もかけれる。
noteの活動は加速した。
そして、このことがきっかけで株式投資に関する執筆や講演、セミナーの仕事も入り始めた。また、拡大は諦めていた保険営業の仕事にも繋がっていった。

金の問題は絶対なんとかなる!

結局何とかなる!
これは私が辿り着いた結論である。
私は生まれた時からお金に困って生きてきたし、人間として基本的な生活を送るための衣食住すらままならない少年時代を過ごし、独立した後もお金に困ったことは数知れない。
しかし、お金について考えれば考えるほど、重要なことは、
「好きな仕事に没頭する」
ことに尽きるのではないかと思う。

仕事とお金の問題は切っても切り離せないものだろう。
このコーナーに応募しようと思ったのは以下のこのコーナーのお知らせを読んでからである。

このコーナーに紹介されていた寺澤伸洋氏の記事を読み、無性に自分も書いてみたくなった。
同氏のコラムには以下の一文がある。

在宅勤務中でも家を一歩出ることすらはばかられるくらい仕事に追われており、それを我慢して必死にこなすことだけが僕の人生だったのです。

このような論述をする人は本当に多く見かけるのだが、皆様はどのようにお感じになっているのだろうか。
私は、
「そもそもつまらない仕事なら今すぐ辞めろ!」
と真っ先に感じる。

で、だいたい、こういう「仕事我慢してきた系」の人が言うセリフが
「貯蓄や資産運用してFireした」という話なのだが、私にはどうしてもしっくりこない。
今、会社員をしながらだって副業で稼ぐことが許されている時代。
繰り返しになるが、
そもそも自分が我慢してやる仕事ならとっとと辞めるべき!
と考える。

「お金ができたら辞める」という発想は、お金よりも価値の高い「人生の時間」を犠牲にしているのと同じではなかろうか。

彼のプロフィールを読むと「44歳で1億円貯めてFIRE」と書かれているが、私は20代で3億円貯めて、40代では10億以上の借金を負っていた。
その私が言うのもなんだが、金があっても人生の時間が終わっていたら何もできない。
だから、金の心配などせずに自分の夢中になれることに今すぐ飛びついて生きる!
これは博徒的な人生を歩む私だからかもしれないが、リスクも積極的に取る!
嫌な仕事を我慢してするというのは、人生という「時間」のリスクを無限に冒していると認識すべきだろう。

まとめ~仕事が最もインフレ対応可能!~

人類は飢え、病気、戦争、災害、こういったことで人生を脅かされてきた。しかしこれらの問題は今やテクノロジーの進化などの事象で大きく改善を見せてきている。
そして、今の時代に新たに人類を苦しめるものは「孤独、退屈、不安」と言えるだろう。
ということは、ひとまずお金のことは考えず、
自分のやりたい仕事を徹底追及して仕事にする!
このことがお金の問題を解決する一番の道ではなかろうか。
お金について考えるということは、好きな仕事について考えることだと思う。仕事が回っていれば金の不安など起こり得ない。単なる取り越し苦労になる。
貯金やFIREをしても金の問題は解決しないだろう。
最後に一つだけ経済的なことを言えば、今話題のインフレに対応することも、貯金やFIREでは解決できない。
結局、労働が最もインフレ対応できる手法でもあることを、もっと真剣に受け止めなければならないだろう。

#お金について考える

ここから先は

0字
こんなことしたのか! こいつバカじゃね! なんて気分を味わいたい方にお勧めです。

ヤケクソな気分の時にカミングアウト更新します。 なんでこんなことになるわけ? 激しく失敗したこととか、 激しくやらかしたこととか、 人に堂…

この記事が参加している募集

自己紹介

お金について考える

サポートに心から感謝します。これからも研究や分析の精度を上げてまいります。 また、分析システムの保守やバージョンアップにも活用させていただきます。 今後とも何卒よろしくお願いいたします!