見出し画像

じれったいくらいに毎日は

週に1回は言い過ぎかな、それでも2週間に1回、最低でも月に1回くらいは、誰かしらのライブに足を運んでいると思います。
もともとそんなに憧れという意識が強くないというか、
どんなアーティストでも、普通のお客さんという目線はほぼないです。勉強です。どんな登場、どんな仕草、どんな演出、どんな演奏、
それがどんな表現になって、どのように伝わっていくのか、
それがどう愛されていくのか、
盗めるところはどんなところなのか、
どんなところをダサいなと思って、自分はしないように気をつけるのか。
そんなことを考えながら、じっと見ていることがほとんどです。
可能であれば1階ではどんな音の聞こえ方がするんだろう、2階ではどんな風に音が聞こえるんだろう、とか、いろんなところで音を聴き比べてみたり。
いやはや迷惑な客ですね、本当に。

流行の先端で、なぜ今ここにこんなに人が集まるのだろう?
逆になぜ、こんなに素晴らしいのに、求められていないのだろう?
なんて音楽を生業にしている自分ですら、仮定することはできますけど、今だにさっぱりわからないこと、納得のいかないことだらけです。
いや、まあなんとなくわかることもありますけれど。

流行る、流行らない、は置いといて、
生き残るアーティスト、には必ず共通しているものがあって、
最終的には、良い楽曲と、それを表現できる、歌の力。
それに尽きるかなと思っています。
どんな突き抜けたヴィジュアルをしてどんなパフォーマンスしていても、歌い出した時にそれが頼りないものであれば、そこに説得力もクソもないというか、
すでに自分達のことを大好きでいてくれるファンを満足させることは出来るのかもしれないけれど、より好きになってもらえたり、新しいファンを獲得したり、そういった機会を逃し続けている印象があります。

で、そういった機会を逃し続けてきた自覚が僕自身にあります。

もう一度BIGMAMAで駆け上がるために、
徹底して歌のクオリティと向き合う必要がありました。
上記の話は逆説的に、良い歌唱、良い演奏が掛け合わされれば、ものすごい表現力、そして自ずと説得力が自然とついてくるはずです。
向き合えば向き合うほど、先は長く果てしないというか。
特にこの半年間、意識を改めて、ほぼ毎日歌の練習をしながら(たまに休みますけど)、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、匍匐前進。
これがもう本当に、じれったい。
現場においては(カラオケだとあるけどね)、40点とか90点みたいに常に点数で評価されるものではありませんし、ABCDEみたいにランク付けされるものでもありません。音程が届かず長さが足りなくても、なんか味があって好きと言われてしまえばそれまでですし。

今もまだ道の途中です。
それでも、今現在37歳、そして、その半分くらいはボーカルとしてバンドで歌ってきて、今が一番良い声で、良い歌を歌っているな、という自信があります。
ボーカリストとして今までで最高の自分であるという自信です。となると必然的にバンドの方もそうなってくるでしょう

明日から短いですが、またツアーが始まります。

今回のセットリスト、メニュー決めの段階から多くを他のメンバーに預けているので、その意外性や、予期せぬ展開に、自分も乗っかる側、受け取る側ではありつつなんですけど、届けるということに関しては、一番の責任者であることに変わりはありません。

改めて理想論というやつでしょうか。
自分が一番に重きを置いているところ<音楽で感動する>です。
スポーツになくて、テレビにもなくて、テーマパークにもなくて、
音楽の、1本のLiveの中だけにあるものを突き詰めなくてはなりません。
同じ空気を吸って、イントロが鳴って、好きな歌詞で歌い出して、メロディーに心が震える瞬間ってとても尊いものだと思うのです。
演奏で、駆け引きをして、感情を、感覚を揺さぶって、決して押し付けがましいものでなく、自分を含むそこにいる全員が“感動”まで辿り着けることができたら最高です。


ライブに来てくださる方、気をつけていらしてください(体調が優れない場合など、くれぐれもご無理なさらず。)
あとはもうこちらに、身を委ねていただければ。

というわけであと一つ寝ると、クリスマスパレード、はじまりはじまり。

<どうでも良い話はこちらでやってます↓>


褒められても、貶されても、どのみち良く伸びるタイプです。