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夢見モグラは空を待ち侘びて 65日目

モグラは夢の中でいつか聴いた綺麗な歌声のことを思い出していた。
色で言うと透明で、
形で言うとしなやかで、
とても遠くまで届くのに、
まるで隣にいるように寄り添っていてくれて、
その歌声を聴いているだけで、
不思議と涙が止まらなかった。

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感動という言葉を分解してみる話。

初めの緊急事態宣言が1ヶ月がめど(31日)だったことを考えると、
もうこの連載が2倍以上の歳月が経っていることに恐れ慄く。
色んな意味で慣れっていうのはとても怖い。

大阪へ向かう新幹線の中でこの原稿を書いている。
僕は何かアイデアを閃くときに、
車や電車、飛行機の中、
ランニング中もそうだし、ダイビングで海の中に潜っている時もそう、
とにかく移動中なことが多い。
この習性は非常に面倒だし危険だ。
急いで手帳(言葉なら)やスマホ(メロディーなら)やPC(それ以外)にメモをしたり、まあ出来なかったら出来なかったで、
忘れたらその程度のアイデアだったのだと思って諦める。
家の中でじっとしていて、
本を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたり、
とても大切なインプットではあるのだけれど、
それらはあくまで下地としての意味合いであって、
すぐに創作意欲に繋がるか、と言われるとなかなかにして、直結はしていないような。物理的に何かしら動いているとき、というのが圧倒的にその割合を占める。
(あと誰かと会話している時も多い。)


押し売りをするのは間違っているし、
絶対にやりたくないけれど
僕は自分のアイデアで、創作物で、
感動をしたいし、感動させてみたい。
自分の1番の本心は、生きる源、みたいな出どころはだいたいその辺りにある。

そこでひとつ疑問が生じる。

っていうかそもそも感動って何?どんな状況?
みんな当たり前のように使ったり、思ったりする言葉なのに、
感動の定義、基準は非常に曖昧だったりもする。

自分なりに感動という言葉を紐解いていった時に、
感情(喜怒哀楽)が動く、感覚(五感)が動く、まさにその瞬間のこと。
受け手の中で、何かが変わるきっかけ、が生まれた、ということなのだと、
僕は結論づけた。

では、どうしたら感情が動くのか、感覚が動くのか、
北風と太陽みたいに、感動させようさせよう、泣かせよう泣かせよう、みたいな作品や文章に出会った時は、泣くもんか、みたいな気持になって、僕はあまり好きにならなかったりする。

自分の人生経験に寄り添った共感を呼ぶことなのか、
見たこともない景色や技術で圧倒することなのか。
心を揺さぶるような表現や、思いもつかなかったあっと言わせるエンディングを閃くことなのか。

そのコツみたいなもの、正体みたいなものは未だ掴めずにはいるけれど、
追い求めるよりかは、夢中になっていて気づいたらいつか生まれていた、みたいな性質のもののような気もする。

話を元に戻すと、まだ見ぬ感動を生み出す確率を少しでも上げるために何かできるとしたら、
感動する、させる、ために、まず自分の五感、感情を日頃から目一杯動かすことなのでは?
そしてそれを動かしにいくために、
まず勇気のある一歩目を踏み出すこと、その方向が正しいと思えば、それを持続させること、たとえそれが悪あがきだとしても、動き続けること。そんなところではないかなと思う。

それではまた明日。

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本日の表紙はsunset.moon22さんの写真を使用させていただいております。

褒められても、貶されても、どのみち良く伸びるタイプです。