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わたしはくやしい

なんだこの気持ち。
決して自分のことではないのに、足が、体が、心が重力に負けて、気分がどんよりと、げんなりと、沈んでいくのがわかる。こんな感情久しぶりである。
同じシーンが延々と画面の中で繰り返されているのを見たくなくて、迂闊にテレビもつけることが出来ない。

出来るだけ夢中になれる他のこと、楽器を弾いたり、ランニングしたり、ご飯を食べたり、原稿を書いたり、そうこうしているうちはなんとも思わないのだけれど、ふとした瞬間に、1日経ってまだ思い出したかのようにまた胃のあたりがキューっとなる。

ただ、本来この"悔しい"という感情は、決して悪いものではない。
むしろ、自分の中で最も燃費がいい。
物事を頑張る理由、動機は様々。
例えばロックバンドをしている自分。
楽しいから頑張る。
もちろん音楽自体が楽しい。演奏がグルーヴ、楽器同士がアンサンブルした瞬間、コーラスがハモった瞬間なんて特に、なんだかとても気持ちいい。

褒められるのが嬉しいから頑張る。
メロディーや歌詞、楽曲が、共感を生んで誰かの心を振るわせて、一体感なんて生まれちゃったり、そもそも褒められること自体も嬉しい。

何かを失うのが寂しいから頑張る。
表現を生み出さなくなった自分からは、きっと人が離れていくだろうな、という孤独に対する恐怖感を、常に心のどこかに持っている。

加えてもちろん生活をしていくため、とか、感謝の気持ちや恩返しの気持ちも確かにそこには存在している(僕らの場合は、特に一緒に移籍してくれたスタッフに対して特にそう思う)。
ただ実のところ他のどんな感情よりも、圧倒的に、いや、むしろその大部分を占めているような。悔しいから頑張るというのが、一番しっくりきてしまう。とても燃費良く、自分自身を燃やし、突き動かしてくれている実感がある。

思い描いた理想に、遠く及ばない時。
自分のミスであと少しのところで手が届かなかった時。
メンバーに辞めたいと言われた時。
くやしさをグッと堪え、吐瀉物みたいな言葉も吐き出さずに飲み込んで、ひとり枯れるまで泣き濡れた夜。あの時のくやしさが、今の自分を奮い立たせていてくれる。もう二度とあんな思いはしたくない。

心の中に秘める、今に見てろ、という気持ち。
先日のライブで、10曲のデモ音源から新曲を披露しようというコンペの時に、仮タイトル虎視眈々と、と言う曲がこのタイミングで選ばれたのは、 選ぶ側(現在のチーム)の人間の心理として、どこかで共通してあったんじゃないかなと勝手に推測。


ただ自分自身の力不足や、器の小ささ、ツキの無さを省みることはあっても、
それを誰かのせいにしてるようではきっと同じことを繰り返すのだとも思う。

1番かっこいい方法で晴らしていきたいよね、誰もが笑って果たせたら、それってなんだ。 みたいなことを考えながら。今日も半歩でも一歩でも、数センチ先でも自分史上最高へ、進歩、していたいのです。Vamos。



クリスマスまえーに やってきた



<Masatokanai(BIGAMAMA)×タカギユウスケ(カメラマン)>

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褒められても、貶されても、どのみち良く伸びるタイプです。