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エジプト海外初一人旅 17日間 感じたこと

**なぜ僕は旅にでることになったのか。
また、それはなぜエジプトなのか…。**

そこから始めたいと思う。

平成30年7月末、僕は仕事をやめた。
ここまで真面目に生きてきたことには自負がある。
そんな僕はニートを選んだ。
社会の目・世の中の目があるとすれば、28歳・独身・彼女なし・仕事なしはどうみても底辺だろうw
それでもその選択をした。

職場とマッチしなかったのだ。
理学療法士として働いているという形態だけみると高知県で働いていた頃と神奈川に移った後と、なにも変わってはいない。
ただ、職場とマッチしなかった。
そう表現しておこう。

寝れない日々。
やる気のでない日々。
急に涙がでる日々。
嘔吐する日々。
職場へ向かおうとすると、毎日のように通勤途中に嘔吐していた。

僕の正義があり、それとは乖離していた環境があり、それを受け入れることのできない僕の思考や体が拒否反応を起こしていた。
フィットするためにもがいたつもりだ…それでもダメだった。
退職を決意した。
自分の体や心を大切にしたい…そう初めて思えた経験かもしれない。

人生において、自分の信念や正義があることは悪いことではない。
それに合うものと合わないものがあってもいい。

あわないものがあったとき、今回のように僕は去ることを選んだ。
それは自分を守る、大切にするためには正解だったと思っている。

しかし、もう少し多様性に富んだ解釈が自分にできれば結果は違ったかもしれない。

そう。
最近良く言われる「多様性」だ。
Diversityだ。

仕事がない僕は、その「多様性」とやらを得る方法を考えた。
また、僕が所属ししているコミュニティ(コルクラボ)の友人たちは「旅行でも行っておいでよ。せっかく時間ができたのだから…」と前向きな提案をくれた。

僕は「多様性」とやらを感じられる国に行きたいと思った。
旅を通して、多様性に富んだ解釈ができる自分に変わることを期待した。
そして、世界約70カ国を旅した経験をもつすないぱーに相談してみた。


その日は、豊洲で箕輪大陸の視聴後だった。
すないぱーゆっきーと餃子を食い、ビールをぐびっと飲みながらの相談だった。

彼はまず「インド」がいいという。
僕の聞いたことのない地名をサラサラと述べ続け、全部バスで回れるから…と簡単に言う。
「はじめての海外一人旅って言ってんじゃん!」
ってツッコミをいれたいw

詳しく聞いてみる。
あまり行きたくないぞ…そう思った。

次に「エジプト」を提案してくれた。
さらに、エジプトでダイビングをしながらゆっくりする時間を設けてはどうか?
と提案してくれた。

多様性とやらを肌で感じるに加え、ダイビングをしながら、自分と向き合う時間も確保できる。
これはいいかもしれない
行きたいと自分自身が言っているのを感じる。
それと同時に、それを上回る不安を感じる。

一緒にいたゆっきーも僕が旅にでることにノリノリである。

二人は、保守的ではない。
活発に「やってみよう!」的な感性の持ち主だ。

そんな二人に挟まれて、エジプトの旅の過ごし方などをたくさん聞いていると、僕にもできそうな気がしてきた。

そこから数日たつ。
飛行機の予約ボタンを押すのは誰だ?

自分しかいない。
旅にでて自分が変わるかどうかわからないが、多様性とやらを感じやすい環境に身を置くチャンスを手に入れるかは自分の聖なる一歩にほかならない。

眠れない夜、いや、もう朝だったな…。
朝5時頃からPCを立ち上げ、片道だけの航空券を予約した。
予約ボタンを押してしまったのだ。
その時の鼓動の高鳴りは今でも思い出せる。

すないぱーは言った。

旅に出るんだろ?片道だけの航空券を取るんだよ。嫌になれば帰ってこればいい。楽しければ旅をのばせばいいし、飽きたら他の国へ行けばいい。そのためには片道で十分。むしろ往復で取ることでその可能性がなくなるよ…。

そして僕のエジプト旅は始まった。
もう行くしかない…消すことのできる不安を解消するための行動が始まった。

買い物・準備・不安解消などなど。
ネットで調べるとどうしても嫌な情報にぶち当たる。
不安が膨らむ…ネット検索は辞める。
でも不安で、またネットへ戻る。
地球の歩き方を読んだり、そんな日々が飛行機に乗り込む日まで続いた。


旅にでることで、期待通り、自分は変わり多様性を受け入れ、多様性に富んだ思考ができるようになったのだろうか?


答えは、おそらく否である。

ここはエジプト、異国である。
多様性を受け入れる、というより僕が異質なのだ。
数日の滞在では、エジプトの多様を感じる余裕がない。
エジプトという文化が僕にとって異質である。
その異質の塊をどかっと抱える。
解像度は低い。

その国のルールに従っていく。
それは僕が今まで体験したことのないルールがたくさんあった。
カイロでは、1秒に1回以上聞こえるクラクション。
ものすごい交通量の道を、車の隙間を縫いながら歩く。
信号はない。
ルクソールでは、客引きに200mくらい並走され「これを買え!」「馬に乗れ!」「タクシーはどうだ?」などと言われ続ける。

もしかすると、すないぱーのように70カ国ほど回れば、多様性を受け入れることができると自信をもって言えるかもしれない。
すないぱーに聞いてみないとわからないが…。

ただ、一つ気づいたことがある。

**「僕は僕だけの僕である」
「僕は孤独である」
「僕は一人だけである」**

そういったことだ。
僕の人生の舵取りは、他の誰でもなく、僕なのである。
そんな当たり前のことに、改めて気づいた。

異国にきて、僕個人と他者や外環境との境界線が明確であることを感じる。
異質な物体と触れ合うことで、自分の輪郭が明確になる。
僕はこれは好きでこれは好きじゃない、とわかる。

例えば、日本では、自分はあまり楽しくないと思っていても、自分の居場所を守るために、楽しい「振り」が必要なことがあるかもしれない。
また、自分で意思決定したと思っていても、それは小さい頃からの親の価値観に染まった意思決定かもしれない。

ま、日本で、電車に乗ると「転職しよう!」「ダイエットしよう!」「婚活しよう!」と多くの情報にさらされる。それらを見ないでも、携帯の中にもたくさんの広告が渦巻く。さらに、友人のリア充投稿に目が移る。
自分の内なる声に耳を傾ける時間が極端に減る気がする。

自分と他者との境界線が曖昧なのである。
それが悪いわけではないが、自分のことがわかりにくくなる、という欠点があると思う。
それは日本にいるからなのかはわからないが、異質を感じる機会が少ないことや、孤独を感じる時間が少ないことで、自己と他者の境界線は曖昧になるように思う。

**自分はどうしたいのか?
どんな人生を歩みたいのか?**

それを考えるとき、協調性のようなものを強く求められる環境では、自分と他者の境界線がより曖昧になり、難しさを伴うことがあるように思う。

自分の個性を光り輝かせる・自分ならではの人生を歩む、ということに躊躇する、躊躇させる環境因子がそこにはあるように思う。

協調性・みんな一緒というのは、ある意味で安全で安心で安定的かもしれないが…。

**自分に潜り込まないこと。
自分に浸りきらないこと。
自分の心の声に耳を傾けないこと。**

は、地に足のつかない生き方で、ある意味自由かもしれない。
しかし、ジワジワと自分を殺す。
自殺行為である。

**今の自分が将来・未来の自分をつくる。
自分に潜り込むこと。
自分に浸り切ること。
自分の心の声に耳を傾けること。**

僕は、多様性うんぬんではなく、それをするために、一人で言葉も通じない国に行ったのかもしれない。
つまり、孤独を明確に感じに行ったということだ。
良かったと思う。

たとえ話になるだろうか…。
僕は困っている。
僕はハルガダに行きたい。
言葉が通じない。
このバスがハルガダにいくのかわからない。

小さいことで簡単なことだ。
バスに乗って目的地付近まで移動するだけだ。

それでも環境が変われば、困難になる。(日本でバスの乗り降りで困ったのは、小学生か幼稚園の頃だろう。)

やりたいこと、それを成すこと、そこには困難がつきまとう(可能性がある)。

でも。
「ハルガダに行きたいんです!」
「このバスは、ハルガダに行きますか?」
を伝えるために、僕が行った行為は「ハルガダ」とひたすら叫ぶことだった。
それしかできなかったのだ。

そうすれば、周囲が見かねて助けてくれた。
僕のハルガダ行きを応援・支援してくれたのだ。

日本でも一緒だと思う。
僕は◯◯がしたい
でもやり方も行き方も始め方もわからない。
だったら、ひたすら◯◯の話しをしよう

そうすると、◯◯に詳しい人が君を助けてくれるだろう。

そのためには、まず自分のしたい・好きを見つけよう。

ここに、振り出しに戻ってきたように思う。

やはり、自分はどうしたいのか?自分はどのような人生が歩みたいのか?誰と歩みたいのか?何をなしたいのか?何が好きなのか?
そういうことに向き合って行くしかない。

好きなことなどないんです。
そう言っていた自分が思い出される。
それは、嘘だと今は思う。
異国の地でも楽しいと感じたこと凄いと感じたこと、嫌だと感じたこと、たくさんあった。
そういった感情の変化に目を向けていくことが「好き」の源泉に到達する一歩目なんだと思う。

歩みたい人生は、心や体が語っている。
その声に耳を澄ませ、不安や恐怖を感じたとしても、内なる声に素直に耳を傾けられるかだ…。

エジプトに来て17日目。
今、僕はそう思っている。

大きな事故もなく終える旅になりそうだ。
みんなに笑ってもらえるほどのネタもなく終わりそうだ。
エジプトの旅を終えようとしている。

僕にとって価値のある時間だった。
そう思えるならそれでいい。

今の気持ちを書き記しておく。

平成30年10月2日 佐々木 将人
The NILE RITZ-CARLTON in CAIRO

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