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手っ取り早く何者かになりたかった。

振り返ると、高校・浪人・大学の8年間、 早く何者かにならなくてはいけないと思っていた。 そう思うようになった原因はおそらく高校3年間のせいだろうなと思う。 高校3年間、友達が出来ずいつも1人で過ごし、勉強にも身が入らず部活も中途半端で、 毎日自己嫌悪と劣等感でのたうち回っていた。 いつかクラスの中で何らかのポジションを獲得して皆に認められたいと思っていた。 だけど勉強ができるやつにも 部活に打ち込むやつにも 好きなことに打ち込むオタクにも もちろんクラスのお調子者にも

    • ライトでポップな人との折衝

      昔から、 人に注意したり説得したりすることが苦手だ。 苦手な原因はおそらく、 自分も適切・適当な考えからズレることが多くて自信がないこと、 そもそも人に踏み込んで向き合うのが苦手だからなんだと思う。 だから、仕事において理不尽だったり利用されてるように感じたとしても、 その場ですぐに指摘できないし、 モヤモヤを抱えてしまうことが多い。 だけど、僕はできれば溜め過ぎずに、スマートに切り返したい。 一方的に我慢し過ぎず、相手との関係も悪くせず、ちょうど良い折衝というものを身

      • 高速バスに乗り続けている

        これは別に比喩とかでは無くて、 新幹線とか飛行機ではなく、高速バスによく乗ってきた人生だったと思う。 僕は高知県に生まれたが、 中学を卒業すると愛媛の松山にある高校に通っていた。 そのため、長期休みになる度に高速バスに乗って帰っていた。 宇和島バスという長距離バスが毎日運行していて、いつもそれに乗っていた。 松山↔︎宿毛間が片道1850円だった。 高校生当時の財布事情的に辛いものがあったが、 僕はよくこのバスで実家に帰っていた。 片道4時間半は決して短い時間じゃないが

        • 1年間、原水を浄水と思って飲んでいた

          僕は新卒を機に上京し、一人暮らしを始めた。 就職した会社では3年目までは家賃補助がそれなりに付いたから、 家賃が高めの部屋を借りていた。 そのおかげか、部屋の設備は充実していて、 浴室乾燥や追い焚き機能もあり、生活水準はかなり上がった。 その中でも、蛇口に浄水器が付いていることが、僕にとってかなり大きいことだった。 いちいち飲み水を買い足すことほど面倒なことは無いし、 毎日飲む水にお金使うのが勿体無いと思っていたから、 「浄水器があれば水飲み放題やん!」と喜んでいた。

        手っ取り早く何者かになりたかった。

          とりあえず西を目指して日本海に着いた

          ゴールデンウィーク後半戦、 4日間の休み、金土日月。 仕事が終わってじっくり寝て、 金曜の昼に起きた。 とりあえず始めた部屋の掃除もひと段落して、 これから4日間どう過ごそうか迷った。 ゴールデンウィーク前半は、 祖父のいる名古屋に帰っていた。 もう一回名古屋に帰るか。 しかし、交通費はかかるしもう一度行くほどやることもない。 何を本当はしたいのかを考えた。 すると、地元の高知に帰って、 友達とのんびり遊んで、 海でダラダラしたいと思った。 だけど、 高知行きの

          とりあえず西を目指して日本海に着いた

          もっと身勝手で非効率でもいい

          会社を辞めてフリーターになり、 転職して働き出してから数ヶ月が経った。 人間とは慣れるもので、 仕事をしていることがデフォルトになり、 平日は仕事をして、土日休んで、また仕事に行く、というサイクルが当たり前になった。 長い休みになり、少し仕事から離れると気づくことがあった。 それは、会社員に戻ってからというもの、 毎日のほとんど全てにおいて最大効率を目指し、周りに配慮した行動を取るようになっているということだ。 例えば、 朝は決まった時間に起きて、 決まった電車に乗り

          もっと身勝手で非効率でもいい

          アナザートレインじゃなくて、ネクストトレインだったなあ

          東京に住んでいると時々、 外国人観光客に声をかけられることがある。 例えば、この電車は〇〇に行くのか?というような具合で聞かれることが多い。 そういう時、僕はその人達と何の関係も無いはずなのに、 「めちゃめちゃ正確な情報を伝えて助けになりたい」と思ってしまう。 あと、「自分の伝えた情報が間違っていたせいで、むしろ相手に損をさせてしまう」ということを避けたいと思ってしまう。 だけど、 自分の英語力ではこう、うまく言葉にできなくてすごくもどかしい気持ちになることが多い。

          アナザートレインじゃなくて、ネクストトレインだったなあ

          ポケモン銀への偏愛

          僕にはかれこれ20年遊んでいるゲームがある。 ポケモン銀だ。 結論、これ以上好きになったゲームが見つからなかった。 思い出補正込みで、おそらくこの先も無いだろう。 出会いはたしか幼稚園年長くらいだったと思う。 僕には歳の離れた兄がいて、兄がプレステに移行したことで遊ばなくなったゲームボーイを勝手にやり始めていた。 当時は何も分からず、 コガネシティからウバメの森を通ってヒワダタウンに着いた時、違う街に来た!とテンションが上がって兄弟に自慢したり、 技のPPの仕様が分から

          ポケモン銀への偏愛

          山手線右上エリアのお一人様おすすめスポット

          僕は就職に合わせて上京し、 山手線の上の方、駒込駅と田端駅の中間地点あたりに1年半住んでいた。 地方に住んでいた僕は、駒込と田端という名前すら聞いたことすらなかった。 東京に住んでいたとしても、駒込と田端で降りるなんて人はかなりレアじゃないだろうか。 会社でうまくいかず病んでいた僕は、 休みの日はよく山手線に乗ってフラフラと出かけていた。 1人で東京の右半分あたりを放浪したいという人は参考になるかもしれない。 そんな人あんまりいないようで、結構居るんじゃないか?と思って

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          あの苦しみは、自分にしか分からない

          僕は未経験から入った体育会系SIerを1年半で辞めた。 辞めてみると、1年半って短いとか、 続けてる同期との感覚のズレとか、 大学の友達との会話に入っていけなかったり、 勝手に後ろめたさを感じたりもした。 喉元過ぎれば熱さを忘れる。 今は、思い出そうとしなければ当時の感覚は思い出せない。 でも、何がそんなに辛かったのか、 それは自分にしか分からないから、思い出してみようと思う。 まず、毎日7:30に起きて、8:40までに会社に行くこと。 朝が弱い僕は毎日朝起きるのが辛

          あの苦しみは、自分にしか分からない

          1人は嫌だけど、好きじゃない人とは一緒に居たくなかった

          このタイトルは、めんどくさい人が言いがちな「何でもいいって言ったけどそれは嫌」という言葉の感覚とほぼ同じだと思う。 高校生の時、友達が作れず3年間のほとんどを1人で過ごした。 ただ、3年間ずっと1人きりで過ごしていた訳ではない。 時々、クラスの隅っこで常に寝たフリをしていた僕に近付いてくる人もいた。 前提として、僕は傲慢さと未熟さが入り混じっていた痛々しい奴だった。 そもそも性格が良い訳でもない。 でも、こんな自分と話してくれるだけでありがたい、くらいの謙虚さは持って

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          弱いままで強くなりたい

          傷つきやすく、考えすぎてしまう。 いわゆる繊細なタイプが僕だ。 HSP診断を受けると中度のHSPだった。 僕の繊細さは母譲りで、 母も繊細で傷つきやすく、様々な要因はあったのだろうが、継続して働くことができず、 今は社会との接点をほとんど持たずに生活している。 僕は母に似ている。 繊細で考えすぎるから、いつも思考がいっぱいになり、 マルチタスクをすると能率が一気に下がる。 受け取れる情報の上限がすぐにいっぱいになり、すぐに疲れてしまう。 それによる不機嫌や他人への攻撃的な

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          もし大学行ってなかったらどうなってただろう

          人生の分岐点というのがある。 僕にとっては、大学入学が一番大きな人生の分岐点だったと思う。 僕は中学校まで勉強ができるタイプだった。 今思えば暗記が得意で苦にならないだけで、頭が良いというわけでは無かったのだろうが、 僕は自分が勉強ができることをアイデンティティにしていた。 高校に入り、僕は成績が落ちた。 勉強しても分からないことや、暗記ではどうにもならないことが沢山あって、 僕は勉強ができるわけでは無かったんだ、と気づいた。 学校に馴染めず、抑うつの症状があった僕は、

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          ボルダリングを1ヶ月で辞めた

          大学生の頃ボルダリングを始め、1か月で辞めた。 まず、何か趣味を始めたいと思う時、運動をしたいけど何か手軽にしたいものはないかな、と思っていた。 そしてボルダリングなら、運動もできて1人でも黙々と気軽にやれるんじゃないかと思った。 あと筋トレにもなるというから、幼い頃からあったガリガリコンプレックスの解消にもなると思った。 僕は小さい頃から近所の山に登って遊んでいてたから、ボルダリングには謎の自信があった。 近くのボルダリングジムを探し、 試しに一回行ってみた。 初

          ボルダリングを1ヶ月で辞めた

          高校生3年間、3畳の部屋で一人暮らしをしていた。

          僕は県外の高校に進学したため、 下宿で一人暮らしをしていた。 そこは学生限定の築50年以上のとても趣のあるアパートだった。 趣がありすぎて火災報知器すら付いてなくて消防法か何かの法律に引っかかったりしていた。 その趣あるアパートの中でも最も安く最も狭い部屋に僕は3年間住んでいた。 3畳の部屋で家賃は1万だった。 トイレ、洗濯機、洗面所、キッチン全て共用。 風呂は風呂桶が壊れていてシャワーのみだった。 僕は学校に友達がいなくて、 一人暮らしだから当然家でも話す相手がいな

          高校生3年間、3畳の部屋で一人暮らしをしていた。

          不良に暴力を受けていた

          僕は中学3年の頃、 時折不良に絡まれて、暴力を受けることがあった。 きっかけは、中学3年になってすぐの頃だった。 僕が通っていた中学校は僕が2年生の時に休校になった。過疎化が原因で、市内5つの学校が統合した。 統合した学校は、荒れに荒れていた。 思春期真っ只中の子どもには統合による環境の変化は刺激が強かったのか、 混乱に乗じた興奮か、 原因はよく分からないけど、とにかく荒れた。 学年で数人の不良グループが頭角を表し、 毎日のようにガラスが割られ、 非常ベルが押され、 ロ

          不良に暴力を受けていた