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アスリートの人生まで奪われないように

昨日の夏の甲子園中止は、これまでのイベント中止以上の影響があり、もしかするとオリンピック・パラリンピックの延期の何倍も多くの著名人やアスリートたちがコメントや意見を発表しています。

僕も昨日意見を書かせてもらいましたが、本音を言うと、自身で発言していない人に対しては意見を求めないで欲しいなって思います。

この状況を表現するのに一番近い言葉は、

言葉にならない」です。

言葉なんかで到底説明できないし、どんな慰めの言葉を、どんなに美しい言葉を、どんな励ましの言葉を並べても、今は空虚に感じてしまうのが本当のところなんですよね。

もちろん、誰でも自身の意見や主張を発信できる時代ですからその意思がある人はもう皆自分でやっていると思います。

意見や言葉を発信しないという優しさを選ぶ人がいるし、今の時点で自分の意見を発信していない人が居るんだとしたら、そこは聞かないであげて欲しいなって。

その代わり、昨日も書きましたが球児やその周りにいる人達はこれ以上ないくらい、たくさん甘やかせてあげて欲しいし、あの手この手で次の一歩を踏み出す背中を押してあげて欲しいんです。

さらに今日は、IOCのバッハ会長から、オリンピック・パラリンピックについて21年に開催できなければ中止という声明も発表されました。

日本においては感染率や死亡率も世界的に見ても稀有なくらい抑えられていて、少なくとも第1波に関しては一旦の落ち着きを見せ始めていると言えると思いますが、世界で見ると事情が全く異なります。

感染拡大率や死亡率が地域ではっきりとした差が生まれているのは何が原因なのか?ということや今後アフリカなどの現在まだ感染拡大していない地域などでの感染拡大の可能性はないのかなど、本当にわかっていない事だらけなのが現状です。

そう考えたときにオリンピック・パラリンピックはどうなのでしょう。五輪マークに象徴されるように5つの大陸すべての人達がスポーツという平和の中での競い合いを通じて雌雄を決する祭典がオリンピック・パラリンピックです。

つまり、オリンピック・パラリンピックにおいてはみんなで集まって一緒にやろうね!こそが大原則なわけです。

無観客開催などは毛頭考えていないという所でしょう。つまり、0か100かの判断でしかオリンピック・パラリンピックはあり得ないということになってくる。

では、今から1年未満という期間の中で新型コロナウイルスの完全なる終息が想像つくでしょうか?正直、僕には付きません。

アメリカではすでに150万人以上が感染を確認されています。これをゼロに抑え込むというのははっきり言って現実的ではありません。

となると残りは、臨床検査も通過した有効なワクチンが1年未満以内に開発される。という1択しかオリンピック・パラリンピック開催の可能性は残されていないということ。

昨日の甲子園と同じように、オリンピック・パラリンピックは選手にとっての生涯の夢そのものです。

そこに向かって人生のすべてを捧げる多くのアスリートたちが今日も練習を積んでいるのです。

希望が見えない世界はこんなにも暗いのか。ということを昨日から痛切に感じさせられています。やるかやらないかわからない大会に向けて準備する選手は今どんな気持ちなんだろう。あんなにみんなで喜んで日本中が湧きたったオリンピック・パラリンピック招致から、今ではむしろ開催反対の声の方が大きくなってしまっているような印象を受けるこの状況をどんな風に思っているんだろうって。

正直、僕がオリンピック・パラリンピックを目指すアスリートだったら自分の存在意義さえ疑ってしまうと思います。

今、オリンピック・パラリンピックのニュースやSNSにはお金、政治、中止せよ!のコメントのオンパレード。僕は人から求められていないことを一生懸命練習してるのかな?
僕がずっとずっと目指した夢舞台はお金の無駄使いイベントに利用されているピエロのような存在のアスリートになることで、そんな僕には価値がないのかな?
なんてことまで考えてしまうような気がします。

僕ははっきり言えます!

断じて違う!!

今ほどスポーツを見たい!と思っている瞬間はこれまでの人生で一度もないし、今ほどみんなと身体を動かしてたくさんスポーツしたい!って思っている瞬間はありません。己の時間も精神も肉体も競技に捧げ、国の誇りをかけて戦うアスリートの姿は例外なんて一つもなく美しい。

だから、いくらウイルスパンデミックが起きても、災害が起きても、哀しい出来事があっても、スポーツというエンタメは絶対に絶対に必要です!

でもね、アスリートだって人間なんです。限られた時間っていう資源は他の皆と平等で、日々の生活をしながら愛する家族や自分の生活を守らないといけないんです。

1年以上という長い期間、やるかどうかわからない大会に向けて準備させるなんて、そんな残酷なことは起きてほしくない。

当然、準備の期間が長いほど精神的にもすり減ります。不安も葛藤もどんどん大きくなる。ギリギリまで頑張って1年後中止って言われたら彼ら、彼女らはどうなってしまうんでしょうか?いくらなんでもそれは酷すぎます。

アスリートっていうのは諦めの悪い代名詞みたいな人種ですから、0.1%でも可能性があるんだったら、その希望にすがりつくことができる生き物なんです。

そういう意味では、早すぎるといわれた今回の甲子園中止は、ある意味タイミングとしては良かったのかもしれません。

最後に、僕の考えを言わせてもらうと、大前提としてオリンピック・パラリンピックはめちゃめちゃ見たいです!絶対に中止にしてほしくないし、アスリートたちの素晴らしいパフォーマンスが楽しみでなりません!もしほんとに中止となったら、今回の甲子園かそれ以上に大きな影響、そして悲しみが生まれます。それも間違いない。だから基本、やってほしいのが僕の意見です。
でも、こんな状況です。中止となる可能性があることだって十分にわかっているしそれで誰かを攻めようとはこれっぽっちも思いません。

でもね、せめて中止・開催を表明するなら早く表明してあげて欲しいんです。表明ができないなら開催への基準なり、○月〇日に発表する、とかの期限をちゃんと決めて欲しいんです。
期限を決めてその後で状況が変わっても、もう文句言いっこなしです。

一番の罪は、”ただ待たせること”です。

宙ぶらりんの状態で選手は待つことしかできないというのが一番傷を深くする行為だし、時間も希望も奪う行為な気がします。もちろん、ギリギリまで開催の可能性を探るというのも必要なことなのかもしれませんが、それ以上に重要な事は、方針の提示と情報の開示です。

開催することだけ、ギリギリまで粘ることだけが選手ファーストという次元から事態はすでに次のフェーズに移っていることを理解して欲しいなって。

心からのお願いです。アスリートたちのオリンピック・パラリンピックという生涯の夢がウイルスパンデミックにより奪われようとしている中、彼ら、彼女らの人生の”時間”まで奪わないでください。そこははっきり言って、人災だと思います。

残酷かもしれませんが、開催の可否が今どのくらい難しいのか、無理なら無理って一刻も早く言ってあげてください!

どうかどうか、アスリートやスポーツが好きな人達が、1日でも笑顔でいられるように。。祈ることしかできませんが。


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