見出し画像

パーティーを始める条件とは

旅を始めた時、はっきり言って僕はまるで英語が話せなかった。

もちろん英語についての多少のことは知っていたが、ただそれは英会話というよりは英語の知識という程度のものだ。

僕の通っていた高校は週三回・毎朝、英単語テストがあるような学校で3年間毎日単語帳を予習復習することが義務のようになっていた。

ただテスト範囲は単語帳を毎回2ページづつ進めるのだけなので、次第に2ページ分の丸暗記をしてその時ばかりを乗り切るような勉強法になる。

また受験生だった頃は覚えるべきものや覚えておくと出題されやすい単語や構文というものが示されていた。

なのでそれに合わせた英語の知識を習得するに留まっている。
それはテストでいい点を取るための技術を身につけたに過ぎなかったのだ。

知ってはいるがきっと英語は喋れない。
頭で知っているのと実践するのは違う。

だから旅に出ると決めてから準備のために英会話の動画をみたり、旅で使えそうな英文や口語文をノートに書き写したり、いろいろと試しはしたがどんな方法も僕には役に立たなかった。

画像4

タイでは1人でいることも多かったし、話し相手のアブーは多少の日本語もできた。
僕が理解できていないとわかると分かりやすい英語や身振り手振りで理解できるまで付き合ってくれたりもした。

ホテルの人も出会う人もそれまではみんな良心的で良い人に恵まれていたと思う。

「話せなくてもなんとかなるだろう。」


ラフに考え困ることではないと思っていたが実際は何度か困ることは起きていた。

実をいうとバンコクにいた時に英語が理解できなくて小額ではあったがよくわからない料金を請求れたことがあった。

その時はもしかすると騙されているかもしれないと思ったが、相手が何を言っていたのかも周りに確かめるためになんと言ったらいいのかもわからずにいた。

状況を説明できないし、嘘か誠かも判別できない状態ということだ。

バンコクでの出来事があってからわからないまま進んでいくことに少しの不安が芽生えはじめていた。

話せるという重要性は特に移動や買い物など金銭の交渉を図るときにはとても大切になる。
簡単な交渉であれば適当にやっていけるが複雑な交渉になるとそうはいかない。

言語学においても言語の発生には商業活動がきっかけになるものがあるとされる。そういうものをピジン言語・クレオール言語と言う。

【ピジンとクレオール】
言語発生における初期言語と発展言語のようなもの。
ピジン言語とは異邦人同士の商人が商取引をするために作った言語でいわば商売のための言葉である。そのため商売の妨げにならず意思疎通ができれば良いだけなので文法や発声は重要視されていない。
クレオール言語はその商人たちの子孫や取引の舞台となる交易地の次世代の人々が取引以外でも生活のためにピジン言語を使うようになり、より正確な意思疎通を求めて整理し発展させた言語である。日常の全てをこの言語でまかなうために文法も発音も整理され統一されたものになる。

チュンマイでは値引きの交渉はアブーに頼んでいたし、細かいことは気にせずに生活していた。
しかしいつまでも誰かと旅をするわけでもない。
いつかは1人で全てをやれるようにならなくてはいけなくなる。

画像4

商取引以外でも旅を続ける中で金銭の交渉になる時がある。

公共交通機関がなく現地人や他の旅人とお金を出し合って車をチャーターするという場面だ。

こういう乗り物を乗合タクシーとかチャーター車とかいう。

特に辺境の地域での移動や街から外れた国境を目指す際に利用することが多い。

もちろん自分1人で全額負担して車を手配することもできるがとんでもない値段をふっけられることの方が多い。

だから同じ目的を持った人を探すことになる。

要するに目的が同じもの同士でパーティーを組むのだ。

大抵の場合まずは一緒に乗る人を探す。
どうして先にメンツを探すかというと最初から人数が揃っている方が1人で交渉よりスムーズに進むからだ。
旅人だけで移動する車を作る時にはまず最初にすることだ。

またドライバーにとってもメリットが大きい。
なぜならドライバーもできるだけ早くお客さんを乗せて出発したい。

例えば、辺境に行くほど一日4往復できる区間を毎日必ず4往復できるというわけではない。
こちらが既に十分な人数のパーティーになっているとドライバーもすぐに出発ができる。そうすればその日は4往復できる確率は高くなるし確実に一定の売り上げが見込める。

だからこうした場合は交渉も早く進むし、ときには満員にならなくてもあと1人くらいなら良いと言って満員と同じ料金で走ってくれることもある。

旅を長くなると様々なパターンに出会い、いろいろな方法を模索するようになる。

例えばドライバーがたくさんが溢れかえって群がってくるターミナルでは立場は逆転する。
そこではドライバー同士で競りのようなことさせて1番安値のドライバーを選ぶ。

他には別の対価を利用する方法もある。
ある時は日本人のお客さんを呼び込む為に日本語の看板を作ってあげる代わりに安く乗せて欲しいと交渉したこともあった。
時には仲良くなった宿のスタッフに交渉だけをお願いすることもした。

旅を続けるうちにこうした腕は上がっていく。

画像5

そして交渉がうまくなると口裏を合わせてくれとも言われるようになる

「あんただけは安くしてるから、他の乗客に値段を聞かれても高く言ってくれ」と言ってくるのだ。

これを言われてた時は自分も随分腕を上げたなぁと思った。

これは旅を通して僕が感じていることなのだが、口裏合わせを要求される時は必ずドライバーは1番最後に乗車するように言ってくる。
だから逆に最初に車に乗せられた時は損した場合が多いというのが僕の体感だ。

なせなら最後の方になればなるほど出発したいドライバーは値段交渉に応じやすい。
それに車内に乗せてしまえば外でどんな交渉をしていてもわからない。
さっきの口裏合わせはそうした場面でしか言われなかった。

だから損をしたくないので乗合を必要と分かっているなら前もってパーティーを探すし、ターミナルではすでに何人かの客を持ってるドライバーを見つけるように心がける。

いつ。どこへ。どのようにして。どうやって。何人で。行くか。

こういう話をドライバーや同乗者たちと話し合わなければならない。

「もう少し安く!」なら言える。

「もしかしたら現地人を通した方が安くなるかもしれない。」
「最初から5人用意できているという方が相手も早く動けるから有利だと思う。」
「金銭以外の対価を払うから安くしてくれ。」

これにはやはり言語力がいる。

交渉したり相談したりするにはお互いが共通で使える言語がなくてはどうにもならないのだ。つまりピジンとクレオールだ。

とにかく英語は話せなくてはいけない。

このあと僕の英語力は段々と伸びていくのだがまだタイにいた頃は全くだった。
どうすれば伸びるかがまるでわからなかったからだ。

画像2


そのきっかけはラオスに入った日に訪れる。

この日はタイとラオスの国境検問所に向けて路線バスに揺られていた。

バスは国境から少し離れたところに客を下ろす。そこで待ち構えた地元のタクシーに乗り換える必要がある。

情報ではバスは国境にはいかないし、国境行きのバスもないらしい。

車内はこのルートを目指すであろうバックパッカーたちが数人乗っていた。
僕は後ろから四列目に座っていたので前方でなにやら他のパッカー同士が話し始めているのに気づいた。

おそらくみんなパーティーを作ってタクシーを割り勘する相談を始めているのだろう。事前に調べた情報通りだ。

「君もラオスへ?」
隣の列に座る2人組のバックパッカーに声をかけられた。

「そうだよ。」
「俺たち2人もそうなんだが良かったら国境まで一緒にタクシー乗らないか?」

彼らも事前に調べていたようだった。

僕と合わせて3人。これはありがたい。
人数が4人に近い方が値段交渉は有利だ。

待っている車が乗用車なら確実にすぐに出発できるし、もっと大きな車なら前列で今パーティーを組んでいるグループの一つと合流すれば良い。

「国境を抜けた後も良い?」
「もちろんだ。」

ラオスに入国後も近くの村まではまた乗合バスに乗らなくてはいけない。
彼らもそれを知っているらしいかった。

「日本から来たマサシだ。よろしくね。君たちは?」

お互い簡単な自己紹介をするのが礼儀だ。
彼らはイギリスから来たリバイとクリスという青年だった。

リバイはノリが良くとにかく色んなことをよく喋る陽気なやつで、一方のクリスは寡黙で落ち着いていているが熱いところのある青年だった。

停留所に着くまでのしばらくの間ではあったが彼らと少し言葉を交わしてみたが、英語がネイティブの2人の会話にはなかなか追いつけない。

『やっぱり英語ってわからない時があるな』

停留所で難なくタクシーに乗り換えて僕らは国境に向かった。

簡単な検査を受けて出国はあっさりとしたものだった。
おそらくラオス国境でもまた簡単な検査を受けてあっさり入国のはずだ。

どうしてかというと日本人はタイもラオスも短い滞在期間ならビザの申請がいらない。

日本人はタイなら30日間、ラオスなら14日間はビザが免除される。
なので出入国も荷物とパスポートをチェックされるだけで簡単に終わってしまう。

もしもビザが必要ならその場で申請もできるので申請カウンターに出向いてから入国すれば良い。

ただ僕の予定では10日程の滞在だったのでビザは求めなかった。
なのでまっすぐラオスの入国ゲートに向かった。

「マサシ!?どこ行くんだ?」
クリスがビザ申請カウンターの入り口に立っていた。

彼らはビザがいるのだ。日本人がビザがいらないことを知らないようだった。

「日本人は14日間ならビザが免除なんだ」

これが言えない。
なんて言えば良いんだ。
免除? 二週間の間?

必死で頭の中で文章を考えるがどう整理して良いのかわからない。
もたもたしているうちにクリスはわかっただけ言ってビザ申請のカウンターに向かった。

僕は今なんと言えば良かったのだろうか。

彼らは出国後も一緒に行くと約束しているから僕が理解しているのか不安になったのかもしれない。それで呼び止めたのだろう。

そこからはもう何を言って良いのかわからくなってしまった。

「向こうにいる。」「待っている」さえもう咄嗟に出なかった。

彼らに合流した後も僕は必死にビザが二週間なら必要ないことを伝えようとしたが文章が作れない。

2人はしどろもどろしている僕を不思議そうに見つめるし、僕はというと英文が出なくて萎縮してしまう。
そのうち街に向かうバスの中で何も話せなくなっていた。

「二週間はビザが免除になるってなんて言えばいいんだろう」
そのことをずっと考えていた。

画像6

乗合バスは村の真ん中で僕らを下ろすとまた国境に戻っていった。
まだ宿の決まっていない2人は村の宿を巡ってみるという。
安い宿を探して回るらしい。
僕は2人と別れ予約していた宿でチュックインを済ませるとベッドに倒れ込んだ。

英語は本当に難しい。

「あの時、本当になんと言えばよかったのか」
2人には悪いことをした。ちゃんと話せなくて申し訳ない。
そのまま伏せて寝ていると、聞き慣れた声がする。

結局村を一回りしたリバイとクリスは僕の宿に来たのだ。

僕はバツが悪かったので寝たふりをしていた。
2人も僕には気づいたようだったがすぐに何処かに行ってしまう。

しばらくして僕も起き上がり腹ごしらえをするために宿を出た。
夕飯を済ませ、村を一周して宿に戻ると宿の入り口にあるテラスに2人が座っている。

そこでリバイは自前のパソコンから音楽をかけている。
掛かっていたのはOasisのD’ont Look Back In Angerだった。

「オアシスだね。」

僕が呟くとリバイが僕を見つめる。

「知ってるのか?オアシス?」
「知ってるよ。有名なイギリスのバンドだ。」

するとリバイは捲し立てるように話し出す。
「この曲は最高だ。」
「彼らの曲は素晴らしい。」
「俺もマンチェスターなんだ。」
そのあとはもう聞き取れなかった。
なんとか調子を合わせて英語を取り繕うが本当にあっているのかもわからない。
「じゃあこれは知ってるか?」

今度はTwo Door Cinema ClubのWhat You knowが流れる。

「知ってるよ。ライブにも行ったことあるよ。」

リバイはすごく嬉しくなって大声で歌い出す。
クリスは静かに首を振ってリズムをとる。

画像2

まぁ一緒に座れとリバイが椅子を差し出す。
僕はおずおずと腰を下ろす。

「マサシ。たぼこは吸うか?」

リバイは持っていたマルボロの箱を僕に差し出す。
やめてたんだけどな・・・。と思いながら彼のタバコを黙って咥える。

やめていたと言えないからだ。

リバイは陽気に歌い、クリスは静かにそれに肯く。
僕はやめていたタバコに火をつける。

2人はどうやら僕が英語がそんな話せないことを理解しはじまていたのかもしれない。

そしてそっと僕にビールを差し出す。
「まぁ飲もうよ。」

ラオスの片田舎でイギリス人によるイギリスのロックとイギリスのタバコと英語の会話に目が眩みそうだった。

「なぁマサシ。このバンドは知ってるか?」
リバイが聞いたことのない楽曲をかける。
「これはあんまりだ。」
クリスが割って入る。

「じゃあこれはどうだ」

クリスが黙ってリズムを刻み始める。これは2人共お気に入りなのだろう。
僕は一言初めて聞くとし話せない。

「ビールをもう一本どうだ?」
クリスが売店に新しいビールを買いに行く。
「さぁタバコももう一本」
リバイと僕は新しいタバコに火をつける。

『あぁなんでこんなにも英語が喋れないんだ!!!』
『もっと喋れたら、もっといろんなことが話せるのに!』

この夜からもどかしくて仕方がない日々がはじまる。

『日本人は二週間ならビザがいらない。』

誰かなんと言えばいいか教えてくれ!!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?