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【55歳から目指せ! 公認心理師】改めて考えてみる、自分の人生の目標とはどうあるべきか

「よし! やはり公認心理師の資格取得を目指そう!」
そもそもは50歳を過ぎる弟の引きこもりをなんとかしたくて勉強し始めた心理療法の勉強。
一通り、民間資格のメジャーどころはとった。
きっかけになった弟の引き込もりは未だ解決していない。
しかし心理療法を勉強していくに、心理療法で得た知識を弟の事だけではなく、広く世の中のために活かしていきたい。
そんな気持ちもこの3年間で大きくなってきていた。
その気持ちは徐々に大きくなり、今では定年退職を迎えたら心理カウンセラーとして独立するのが私の夢になっていた。

カウンセラーを目指す私は、少しでも臨床経験を積むべく、パートタイムでできるカウンセラーの求人に応募した。
しかし現実は厳しい。
どこからも採用通知はこなかった。

そもそも心理職の求人資格要件には、公認心理師か臨床心理士の資格必須がほとんど。
私がもっている民間資格ではそもそも求人自体が少ないのだ。
臨床経験を積みたくても、経験を積む機会すらない現実。

この厳しい現実を打破するには、国家資格である公認心理師を取得する必要があるのは、数年前から自覚していた。
しかし、実際の行動に移すにはかなりの躊躇があった。
なぜなら、公認心理師資格取得には公認心理師のコースがある大学に3年生から編入し、大学を卒業。
その後心理学を大学院で2年間学んで、やっと公認心理師の試験資格が得られるという何とも長い道のり。
資格試験の合格率は60%と、医師、弁護士と比較するとまだ合格しやすそうだが、それなりに難易度も高い。

最短でも4年間(大学卒2年+大学院卒2年)の時間と費用(大体200万~300万くらいと推定)を負担する意味ってあるんだろうか?
しかも私は55歳。
運よく公認心理師の資格を取ったとしても、カウンセラーとして人生を約束される訳でもない。
そもそもカウンセラーになれる訳でもないのだ。
またカウンセラーになれたとしても、カリスマカウンセラーにならない限り年収は現状よりずいぶん下がる。
こんな事に挑戦する意味ってあるのか?
そう思ってネットを検索すると
「公認心理師 やめとけ」
「公認心理師 食えない」
の文字がいたるところに。

懸念は募るばかり。
それでも公認心理師になるのをあきらめきれない私は、同じ心理療法を勉強している、公認心理師に意見を聞いてみる。
「いや~ 時間もお金もかかりますしね。正直厄男さんにはお勧めしませんよ」
と言われたしまう。
たしかに55歳の私が挑戦するにはハイリスク、ローリターンなのだ。
やっぱこんな無謀な事やめよう、と思ったのが2年前。

それでも今年私は結局公認心理師に向けて大学(通信)の勉強を始める決意をしたのだ。
なぜ?って
そんな事あえて聞かないでほしい。
私自身この選択には今も不安はある。
というかはっきりいうと不安しかないのだ。

運よく通信課程で学べる大学を見つけたので、働きながら勉強する事はできる。
しかし、
大学の単位がうまく取れないで卒業できないかもしれないのだ。
また運よく大学を卒業しても大学院に行くには仕事を辞めなければならない。
定年退職前に仕事を辞めるには家族の説得も必要だ。
そして大学院を卒業しても公認心理師の資格が取れるとは限らない。
公認心理師になったとしても、その頃60歳近いカウンセラー未経験の私にカウンセリングの仕事がある保障なんて当然ない。

こんなナイナイづくしで、
55歳から公認心理師になる、
という目標を掲げる人はそういないのではないかと我ながら思う。

では、なぜ私はこの無謀とも思える目標を設定したのか?
それは
あることに気が付いたからだ。

私は今まで、目標を立てる時
自分の年齢やスキルに応じた、誰がみても、
まあ、目標としておかしくないもの。
親や教師、友達が「なるほど」と納得するものにしてきた。

自分の学力(偏差値)にあった大学を志望校にし、教師を納得させた。
自分に背丈にあった会社を選んで、親を喜ばせた。

しかし、結局それって何の意味があったのだろう?
自分の人生を振り返って思うのだ。

自分が選んだ目標というより
他人や社会が私に
「お前はこれがふさわしいよ」
と提示したきた目標にまんまと乗っかっただけではないのか?

メディアを通して、社会は
あなたの能力なら、この大学に行って、卒業したらこの会社に入るのが良いよ。
この会社に入ったら年収は最初このくらいで 40歳くらいで課長になったらこのくらいの年収になるはず。
だから家を建てるのであれば、ここら辺に建てるのがベスト!

そんな私の人生は社会のモデルケースをなぞってきただけ。

それに人生の意味があるのだろうか?

それに比べて心理の勉強は他人からも社会からも私に「やれ!」とは言ってきたことは一度もない。
しかし、だからこそ、純粋にこの事には向き合える。
純粋に向き合えるから、自分なりの楽しみをそこに発見する事ができる。
例え公認心理師になれなかったとしても、勉強している毎日は時には理解できない苦しみもあるが総じて楽しい。

そもそも目標なんて、絶対達成できるなんてことはない。
だから、達成確率を上げるために、私は成功者の真似をして目標を手帳に書いて毎日眺めたり、曼荼羅チャートを書いてみた。
毎日目標を達成したイメージを思う事も忘れなかった。
しかし、そんな事をいくらしたって、目標を手に掴む事ができない事がある。
さすがに50年以上生きているとそのくらいの事はわかるものだ。
そして逆に考えてみた。
目標は達成できないかもしれないと考えそこから、発想してはどうかと。
つまり
目標にする事は、将来それが万が一達成できなくても悔いが起こらないものにするのだ。
そうすれは、目標通りいかなくても、良かったという納得が得られるのではないか。

そういった意味で勉強している事が楽しいと思える心理学。
そしてその延長線上にある公認心理師の資格取得は私にとって良い人生の目標なのだ。

これが私が55歳にもなって公認心理師を目指そうとした理由なのである。



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