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そこに愛はあるんか?

  地域おこし協力隊として佐木島に着任してから5カ月近くが経過し佐木島でも私の存在が徐々に地元民に知られるようになり、話しかけられるや否や行事の手伝いがあるから来ないかとお誘いを受ける頻度が増し、それをことごとく断る私は佐木島で柑橘栽培を行っている柴田將志と申します。断る理由としましては単純にキリがないのもそうですが、内容として共感できないものが大半だからです。たちが悪い場合どこで私の電話番号を知ったか初対面にも関わらず電話を取れば「私達の行事に協力してくれないか」等の連絡がありイライラが募ることもありまして私の短所なのでしょうか、機嫌が悪いとすぐ顔に出る癖があり恥ずかしながら32歳にもなって感情のコントロールが出来ないのは私が精神的に未熟であるが故のことなのでしょう。そうなるとハマグリがごとく殻に籠るわけでございます。
 
 さて共感が出来ない行事とは何ぞやですが例を挙げますと我々のビジネスに人手が足りないからボランティアで来てくれないか。こうした類のお話は基本的にことごとく断ることと致します。結果的に「地域おこし協力隊だから当然だの、税金云々で」等の極端な暴論を吐かれる始末。ならば、地方議員のどなたかにお願いされてはどうかと問うならば口をつむぐのが容易に想像できるのです。とある著者が好きな言葉として「Who knows?」という言葉を挙げまして、直訳すれば「誰が知る?」となるのですが意味合いを変えれば「知ったこっちゃない」と訳せるわけであります。私が困っているところで知らん顔をする癖に、いざ自分が困れば協力してくれないかなど虫が良すぎはしないでしょうか。恋愛でも同じことが言え、全ての人類において異性ないし同性に告白する権利は与えられている一方で断る権利も皆等しく与えられているはずなのですが、自己都合により物事の達成に不安が過ると人は利己的になるのでしょうか。困ったものです。共感や理解無くして人を動かせませんし、人を動かすにしてもそれなりの告白は必要になってくるのです。仮に私が女性に「これから毎朝俺の為に味噌汁を作ってくれるか?」と問うたところで「一生あなたについて行くわ」とはならないだろうに。
 
 

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