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その18 『学校の授業』これでいいの?(940文字)

1 学校の授業これでいいの?

 現学習指導要領における『主体的・対話的で深い学び』のある授業は、教科書をなぞるだけでは難しいと感じています。
 決して教科書を批判したいという話ではありません。

 教科書は、とても秀逸で、こんなにも頼りになる『奴』は、いません。
 むしろ『相棒』です。

 スポットを当てたいのは、一つの教室に、たくさんの子どもが集まれば、教科書に書いてあることは、授業までに、すべてクリアしている子が居る事実です。
 また、教科書に書いてあることが、一人で考えるだけでは、全く理解できない子どもが居る事実です。

 日本型と言っていいのか、何年生ではこの教科書、この内容として与えられた枠をなぞるだけでは、すべての子どもが、主体的・対話的で深い学びを実現できる授業は、とても難しいと感じています。

 いやいや、それは教師の力量不足という意見もあると思いますが、従来の枠に囚われた授業スタイルでは、なかなか現学習指導要領を実現する学びを目にすることはないな〜と感じるのです。

 できる子だけがとても意欲的になっている授業や、先生の授業準備・教材の設定がすごい授業というものが、ピントを狂わせている要因のようにも思います。

 私が大切にしたいのは、どちらかというとマイノリティにあたる子どもが、学べる授業といです。
 いわゆる「吹きこぼれ」や「落ちこぼれ」なんて表現される子が、どれだけ学べているのかだと思っています。
 もちろん、マジョリティである、いわゆる「フツー」の子どもも、もちろんのことです

2  私が考える授業の定義

① 目の前にいるすべての子どもが学べるもの。

② 『対人的よはく』があるもの。
※ 五木田洋平先生提唱『対話ドリブン』『ポリシーメイキング』による。

③ 他者の声を聴いて、学びを深めていくもの。(先生が知識を一方的に与えるものではない)

④ 教師の敷いたレールを外れていくもの。
 (「プラン」から「デザイン」へ)

⑤ 子どもたちが自分自身で学ぶもの。

⑥ 学びの「めあて」を、自分で見つけるもの。

⑦ 誰も答えを知らない。答えが複数あるもの。

⑧ 自分の考えも、他者の考えも正しいもの。

⑨ 教師とこどもが、フラットな関係であるもの。

⑩ 話すことと同じくらい、聞くことを大切にするもの。

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