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サッカーとの出会い(ACL手術から復活。府リーグデビュー。ポジション変更。そして移籍~現在に至るまで)


ACL再建後、プレー復帰

ACLの再建手術を終え、リハビリに明け暮れた日々も過ぎ、半年ちょっとでフットサルのゲームに少しだけ参加。その2か月後にスパイクを履いてのサッカーをプレー。プレーに対する恐怖も当然あったので全力ではなかったものの、それをはるかに上回るぐらいの喜びと楽しさがありました。やはりボールが蹴れるのは僕の人生にとって不可欠だと改めて確信。再びサッカーから離れていた期間も相まって、僕のサッカー熱はどんどん高まっていきました。が、当然体力もまだまだなのと、やはり接触や対人プレーの恐怖もあり、全力でプレーできたのは手術後2年後くらいだったような記憶があります。それでもやはりサッカーできるだけで幸せでした。

大阪府リーグへの初挑戦


手術後のブランクは大きかったものの、徐々にプレー強度も上がり、ある時所属していた市リーグの代表選手で構成される泉大津FCというチームで大阪府リーグに並行してチャレンジすることになりました。それまでは地元で市リーグで顔なじみばかりとの試合でしたが、大阪府リーグでは対戦したことのないチームとばかりの対戦で刺激になりました。今でこそ府リーグのレベルや存在は認知しているものの、当時の僕はまだまだ世間知らずで、ただただ行われる試合に参加しに行っているだけの感覚ではあったが、相手も強いチームが多く、勝ったり負けたりといった感じでした。大阪府3部リーグでの戦い初めて数年後、一度だけ昇格のチャンスがありましたが、最終節で敗れて結果3位でシーズン終了。それでも毎年リーグ優勝に向けチャレンジし続けました。

ポジションコンバート

大阪府リーグへ参加を始めてから数年が経ち、年齢も30になるころ、周りにも若い選手が増えより攻撃的な選手が多くなったこともあり、ある時センターバックでプレーすることになりました。元々攻撃的なポジションでプレーし続けていた僕へ、怪我復帰後もフォワードやサイドアタッカーのポジションでプレーを続けてきました。市リーグの試合ではチーム事情もありボランチでプレーすることもよくありましたが、センターバックでのプレーは初でした。が、想像以上にこのポジションでのプレーは楽しく、また内容も悪くなかったように思います。元々空中戦は得意としていたので、相手のロングボールに対する処理はもちろん、フィジカルやスピード面でも相手に対応できていました。また、攻撃時はロングボールで前線にいいボールを供給できていたので、自分の能力にあったポジションだと思いました。また、当然経験が浅くポジショニングやラインコントロールはまだまだでしたが、同サイドのサイドバックに入ってくれた経験のある選手のコーチングや、センターバックの相方でプレーしてくれたベテランの選手のおかげで、その後その部分も成長できたと思います。このコンバートはこれまでプレーしてきたポジションとは真逆の位置であり、全く新しいプレーの場として、僕のサッカーの幅を広げた良いコンバートとなりました。

移籍

そんな中でもチームは優勝には至らず、なかなか2部昇格は実現しませんでした。チームとしての練習はほぼできず、環境もなかったので仕方ない部分もあったのかもしれません。そんな中、僕はチームの移籍を決断しました。理由としては、チームを仕切っていた選手が事情あって退団したこと。若い選手が他チームへ移籍したこと。途中から試合のメンバー決め等、チーム運営まで担っていたので、サッカー人生最後に選手として思いっきりプレーしたいと考えたこと。などありますが、縁あって知り合いがいたチームに移籍させてもらうことになりました。2020年度のシーズン。32歳のことでした。

高石中央FC

移籍先は高石中央FC。当時同じ大阪府3部に所属しており、若くていい選手がいている中でもなかなか昇格できていないチームでした。泉大津FCにも良い選手はいましたが、違いとしては監督がいたこと。プレーイングマネージャーに近かった僕としては、一選手としてプレーできることは楽しみでした。また、若い選手が多かったので、年齢的にもプレー以外でも助けることができるのではとは考えていました。僕が入団すると同時期に他にも良い選手がたくさん加入し、チームとしても新たな船出の一員として関われたことは非常に良かったです。背番号は「33」。当時僕の好きな「17」が埋まっていたため、33歳になる歳だったので選びました。ポジションはセンターバック。最後に現役としてサッカーをすることに決めました。

3部リーグ優勝

3部リーグが始まり、開幕戦は出番がありませんでした。これまで社会人サッカーをやってきて、怪我以外で試合会場に行って出場できなかったことはなかったので、正直とても悔しい気持ちでした。しかし、これが一選手としてプレーするということ。悔しい気持ちをバネに練習し、続く2節目では移籍後初出場。チームも勝利でき、ようやくチームの一員になれたような気がしました。その後もチームは連勝。結果として最終節でリーグ優勝、チームとしても個人としても念願の2部優勝を達成することが出来ました。また、その年の大阪府市町村杯も優勝。チームは2冠で最高の移籍初年度となりました。

大阪府リーグ2部

大阪府3部優勝をした僕らは、続く2021年度シーズンを大阪府リーグ2部リーグへチャレンジすることになりました。本年度から監督が代わり、僕は再び攻撃的なポジション・センターフォワードでプレーすることになりました。スピードがある選手が多かった中、前で体を張ってタメを作れる選手が欲しかったからだということでした。コロナ禍の緊急事態宣言もあり、開幕戦を前になかなか練習できない日々が続いてましたが、開幕戦は日程通り開催されることになりました。チームのエースとなる選手がケガで欠場。相手は昨年度1部の強豪チーム。開幕戦で絶対に負けられない相手にセンターフォワードとしてスタメン出場。1点ビハインドの前半終了近く、開幕戦第1号となるゴールを決めることが出来ました。その後後半に入ってチームは加速。結果として5-1で開幕戦を勝利することが出来ました。何より結果が出た中での勝利だったので、喜びは格別でした。

2部優勝。3部からストレートで1部へ昇格。現在。

開幕戦を勝利したチームはその後も勝ち点を積み重ね、結果として1試合を残した状態で2部リーグ優勝を決めました。移籍初年度の3部から2年連続の優勝。結果が出て何よりです。選手としてはすべてに出場できたわけではないので100%の貢献というわけではないですが、年齢的にもベテランなので、プレー以外でも少しは貢献できたかと思います。2021年度シーズンのラストの大会、大阪府市町村杯では惜しくも4位に終わりましたが、3位決定戦では「ヤンマースタジアム長居」という素晴らしいピッチでプレーさせてもらいました。これまでサッカーを続けてこれたことに感謝。家族にも感謝です。

その後迎えた2022年度シーズン。
4月29日にプレー中に左膝に痛みが出て検査の結果「軟骨損傷」。
ファーストオピニオンでは「もうサッカーをプレーすることを辞めたほうが良い」と引退の勧告を受けました。
その後いろいろあって、結果6月29日に手術。現在に至ります。
初の大阪府1部リーグへの挑戦は事実上断念。年末年始頃にプレー復帰できるようリハビリ中。
チームは初の挑戦で苦しみながらも健闘中。何とか1部残留を目標に、良い結果を残してほしいと思います。
大阪府市町村杯が年始~春ごろにまたあるので、そこに参加できるよう、これからもリハビリを続けていきたいと思います。

以上です。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
またボールが蹴れるよう、頑張ります。
また、これから1人でも多くの人とサッカーを通じて出会い、一緒にボールが蹴れることを願っています。

吉元 将

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