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小説『愛子の日常』 本編4.

〜陶器のコップ〜

時間というものはすぐに過ぎ去ってしまうもので、来週の火曜日はすぐにやってきた。

2人は15時に仕事を終えるとセントの家へと向かった。セントの家はロンドンの中心街からは離れていてバスに乗って行かなければならない。

2人がセントの家に着いた頃には16時をまわっていた。ただ、アフタヌーンティーには丁度いい時間にも思えた。

セントはさやかを自分の部屋に案内した。

さやかが部屋に入ると、部屋の真ん中にはソファーが2つミニテーブルを挟んで置かれていた。ミニテーブルは膝よりも低く、高さは20cmほどだろうか?さやかはソファーに腰を掛けたが、そのミニテーブルに置かれた物を取るには、よりかかった背中を浮かせ前かがみにならないと取れそうもなかった。


セントはさやかを部屋に案内すると、自分はせっせとお茶の準備をしに部屋を出ていった。

さやかはその間、キョロキョロと部屋の中を見回した。

その部屋の床には木材が木目揃って敷かれ、壁には白を基調とした壁紙が綺麗に貼られていた。

その様子からすると、自分でリフォームしたのではなく、家が造られた当時のままその姿を保っているようだった。

頻繁にリフォームするイギリス人とは違う、何かイギリス離れした一貫性のようなこだわりがセントの部屋からは感じられた。

部屋の片隅にはベッドが置かれていたが布団は整って敷かれ、生活感は感じられなかった。

(、、、カーテンは青かー、オリーブの木があるなー、髪の毛が一本落ちている、、、)さやかは何一つ見落とすまいとキョロキョロキョロキョロしていて、いっこうに落ち着く気配はなかった。


しばらくして、セントがお茶のセットを運んできた。
白い陶器のコップに白い陶器のティーポット。花柄の皿の上にはビスケットとマカロンが置かれていた。

それをミニテーブルの上に置くと、「お湯を持ってくるね」と言ってセントはいそぎ足で再び部屋を出ていった。

さやかは、運ばれてきたマカロンを一つ手に取るとそれを口の中に入れた。そして、口をもぐもぐさせながら周りを再び見回した。

(、、、髪の毛もう一本見っけ!、、、)セントの部屋にはさやかの目から逃れられるものは何一つ無かった。


すぐにセントは戻ってきた。片手にはとっての付いたクリーム色の魔法瓶を持ち、もう一方の手には紅茶のティーバッグを何種類か持っていた。

そしてその魔法瓶と紅茶のティーバッグを床に置くと、セントはソファーに腰掛けた。

(、、、それを床にそのまま置くんだ〜、、、)さやかは、この男に常識など通じないのは分かっていたものの、果たして頭の中はどうなっているのかと疑った。

セントはソファーに腰を掛けるやいなや、ティーポットに紅茶のティーバッグを入れ、そこにお湯を注いでお茶の準備をし始めた。



「この陶器のコップを見て!」
「このように温かいものを注ぐと温かくなるでしょー」そう言いながらセントは、白いコップにティーポットから紅茶を注いだ。

「この前さやかは運命は神様が決めるって言ってたけど、もしこのコップがプラスチックのコップのように割れないコップだとしたら、神様なんていなくてもいいんだよー。」とセントが言った。

「それは違う。神様はいた方がいいよー」さやかは反論した。

「もしもだよ。この世界が全ての物が壊れない世界で、人間も死なないのだとしたら、神様なんていらないだろ?!」セントはさやかを説き伏せるように話した。

「いるよ!いる!神様はいるよ!」さやかはまたしても反論した。

「お前は馬鹿か!」セントは呆れたように言い放った。


「もしも、人間がこの世界の全てのことをコントロールできるのだとしたら、神様なんていらないんだよー。」
「陶器のコップもそうだけど、、、この世界の全ての物が壊れないで、人間がコントロールできるのだとしたら、神様が助けてくれる必要はないんだよー。」
「だから、そういう世界にしていいのか?って話をしているの!」

さやかは何も言わなかった。


セントにはさやかが話を理解しているかどうかは分からなかったが、セントは一人で語り続けた。
「昔ね。『原爆とプラスチックは人類がつくり出した罪だ』っていう本を読んだことがあるんだけど。。俺はたしかにそうだと思う。」

「プラスチックは人間を駄目にする。」

「人間が全てのことをコントロールすることはできないのに、まるでコントロールできるかのような錯覚が生まれるんだ。プラスチックからはね。」
そう言うとセントは、ビスケットを紅茶につけて少し浸した後、紅茶の水分を吸い取って重たくなったビスケットを大きく開けた口の中に放り込んだ。
そこには、多くの人がイギリスの紅茶文化でイメージするような気品や優雅さは全く感じられなかった。

今まで自らの考えをもっともらしく語っていた男が、紅茶の飲み方には特にこだわりが無さそうに、しかも幼稚とも思える姿で飲んでいることがさやかには可笑しかった。

さやかはこれが愛嬌というものかと彼の振る舞いを理解した。

さやかもそのビスケットを紅茶につけて食べてみたが、ミルク味で甘くて美味しかった。


外では、小鳥とカラスが鳴いていた。
セントとさやかは紅茶を飲みながらその時間を楽しんでいた。

もう40分ほどの時間が経っただろうか。セントが再び口を開いた。

「陶器のコップからは愛が生まれるんだ。優しく丁寧に扱わないとって思うだろ?!それを愛って言うんだ。」
「しかしその愛は、『コップが割れるかも?』という恐れからくるものでもある。」
セントはわざと余韻を残すかのように話していた。


「壊れやすい日常の中からは、愛が生まれてくるはずなんだよ。」
「だからそれがこの世の中の根本だと俺は思ってる」

そう言うとセントはさやかの顔を覗いてきた。

「、、、もちろん、その愛が生まれるのは、さやかの言う神様の影響かもしれないけどね。」

セントが『愛』という言葉を使ったことがさやかには意外だった。
世界一愛が分からない男のようにさやかには見えていたからだ。

勿論、そのようなさやかの思いは、あながち間違ってはいない。
セントは『愛』という言葉は知っていたが、それがどれ程の痛みを伴う物なのかは、さやかを通して知るようになったのだから。

アフタヌーンティーを終えるとセントとさやかは部屋を出た。

階段を降りると、セントの母親が笑顔で挨拶をしに現れた。
「あら〜、珍しいわねぇ〜、友達が来ているなんて!」と母親は随分と機嫌が良さそうに二人に声をかけた。

「彼女が僕の結婚相手さ!」セントが自慢げにさやかを紹介した。

その瞬間、母親の態度が激変した。
「彼女はクリスチャンなの?」「クリスチャンでない人と結婚することは許しません」

その言葉にセントも態度を変えた。「クリスチャン。クリスチャンって。クリスチャンでない人を差別してるだけだろ!」

しかし母親は「彼女と結婚することは許しません」の一点張りだった。

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