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それから事業がスタートした。

会社を初めた当初は今までの実績や自分やセバスチャンを実力だからすぐに売上なんて出るっしょ、余裕でしょ!

っと思っていた。けれども全然売上がでない。

1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月とすぎていく。

マジで全然売上がでない。

会社のお金はどんどんなくなっていく。

それでも割と楽観的にいた。

というのも日本政策金融公庫(公庫)の創業融資に申し込んでいたから1,000万円の融資は降りるだろうと思っていたからだ。

経営者の先輩からも、税理士の人からも融資はほぼ絶対でるよと言われてたし。

まぁ、それがなくても売上なんて来月、というか1週間後にでも出るだろうと思っていた。

それでも売上はちっとも出ない。

そんな中コロナがやってきた。

すると顧客は採用をほとんどやめてしまって、紹介したいにも人材を紹介できなくなってしまった。

おいおい、マジかよ。これどうなるんだよ。

このまま日本はどうなったいくんだろう?

朝のテレビのニュースで志村けんさんがコロナで死亡という速報が流れた。
膝が崩れ落ちた。
俺ほど志村けんさんが亡くなったニュースで悲しくなった人間はいないね。
いや、言い換えるとめちゃくちゃ腹が立った。
「おいおい、あんたがここでコロナで死んだら、コロナ影響は倍増されて日本はとなでもないことになるぞ」
こっから政府のコロナへの対応はもっと厳しくなって、経済は鈍化することが明らかだった。

そんな不安もありながら、まぁ公庫から融資は降りるし大丈夫だろうと楽観視していた。

そんな中、みるみるうちに会社の口座は減り、残りの金額は6万円になった。

もう給料や社会保険やシステム費用やら何も払えない。

これは公庫から融資が降りなかったら本当に詰みだな。

倒産確定だ・・。

そんなある日、そろそろ公庫から結果の電話がくるだろうとドキドキしながら待っていたある日、

突然北千住のマルイの廊下で歩いているときにその電話がきた。

公庫「融資の結果がでました」

自分「本当ですか!どうですか?」

公庫「すいません、今回は難しいという判断がでました・・」

え?うそだろ?
本当かよ?
そんなはずないだろ?
融資はおりるはずだろ・・

そこから自分はマルイの廊下にうずくまった。
これはまずいと思いマルイの、人気のない階段までなんとか移動して、うずくまりながら吐き気をなんとか抑えた。
とにかく吐き気が止まらない。

自分「わ・・・わかりました。とにかく了解です」そして一旦電話を切った。

時空が歪むとはこういうことか。見えない重たい重力が一気に体全身にのしかかって立てなくなる。
目の前の景色が歪んで、ぐにゃっとなって、目の視界がちかちかとなるる。

とにかく絶望感に包まれ気持ち悪い。

まずい、やばい、このままじゃ吐く。

倒産だ・・・・・。
吐く。

それから何分たったかわからないがずっと階段のところでうずくまっていた。

これで終わりかついに倒産か。
ついに詰んだ。

命をかけて始めた起業だが、上手く行かなかったな・・。

母さん、父さんにあんなに無理をいって、大金を借りたのに。

セバスチャンの奥さんにも、絶対に会社を成功させるって誓ったのに。

くやしいな・・。

周りの人になんて言おう。
こっからは給料の高いトラックの運転手をやろうかな。

色んな人に謝らなきゃ。

・・

・・


違うね。
いやだ、認めない。


このまま終わらせてたまるか。

絶対にまだ何か出来る。

・・・

ていうか何で俺は絶望してるんだ?

こういうどうしようもない状況って前から自分自身で望んでたことだよな?

だったらこんな状況笑って受け入れるべきだ。

何でもない平坦な道のりを進んで世界一のになりたいんじゃない。

苦難、試練や辛いことを乗り越えて成長して世界一になると決めたんだ。

だったら今この状況は笑って受け入れるべきだ。

そう思いなんとか笑った。

気合で北千住のマルイの階段で大声をだして笑ってやった。
めっちゃその時普通に人周りにいたから、まじで警察に連絡されなくてよかった。

そこから公庫に再度電話した。

自分「先ほど融資難しいということですが、まだ断られてはいないということですよね?ということは融資への申請は再度改めて出来るということですよね?」

公庫「あ、はい・・。一応」

自分「であれば、一旦今回の申請はやめて、また再度融資への申請をさせて頂きます。というか、融資をして頂けるまで何万回でも申請するのでこれからも宜しくお願いいたします」

公庫「あ、はい・・。わかりました・・こいつやべーな」

そして立ち上がり前に進みはじめた。

続く‥

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