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仏教に学ぶ生き方、考え方「続けていればいいこともあるということ」

 今日も「急に」法要が入り、お悔やみとお勤めに行ってまいりました。

 お通夜や式の予定を調整し、重なったところの時間をずらしてもらうために、様々な方に連絡して「お願い」をいたします。

 そういう細々とした調整をして、なんとか時間を「工面」することができました。

 そんな中でもちゃんと「プール」は泳いできました。

 始めてからもうすぐ三ヶ月が経とうとしていますが、監視員の方とも「顔馴染」になり、声をかけてもらえるほどになりました。

 また、よく会う人とも挨拶したり話をしたりするようになり、少しずつ「居心地のよい場所」になりつつあります。

 そしてその後伺う中華系ファミレスの店員さんも「気さく」に声をかけてくれるようになりました。

 「いつも来てくださる方ですよね?今日もありがとうございます。今日もプール帰りですか?」など、話したことをちゃんと覚えていていただき、話してくださいます。

 今日のお参りの方も昨日の葬儀にも参列していただいていた方で、「昨日も忙しかったのにまたお参りに来てもらってすみません」とご挨拶いただき、ありがたく思っております。

 でもこうやって様々な場面で少しずつ「馴染みの顔」ができるのは、毎日少しずつでも出会っているからなんですよね。

 続けていれば少しずつでもそういう人が増えてくるのだなと感じています。

 そして最初から馴染みの顔や場所を作ろうとしても、それは難しいのです。

 きっと答えは「続けたこと」の延長線上にぼんやり見えてくるのかもしれません。

 そしてこれからも、仏教に触れながら、いろいろなことを「続けていきたい」と思っております。


☆今日の一句☆

 馴染みゆく
     道は続くよ
         どこまでも

 

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