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ほとけさまのおしえ「絆がれた命」

 時々ふと想うことがあります。

 それは「父親と母親」のことです。

 父親は昨年、そして母親は八年前に往生いたしました。

 この二人がかつて「生きて出会い」、私がこの世に生を受けたわけです。

 そして二人共、先の「太平洋戦争」を経験しております。

 父親はまだ学生だった昭和二十年に学徒動員で徴兵され、広島の呉の「灰ヶ峰砲台」に配属されました。

 そこで弾薬を麓から山頂の砲台に運び上げる仕事をしていたのです。

 呉の軍港に爆撃をするアメリカ軍機を迎え撃つために山の上に砲台があったのです。

 そしてそこに上がると、飛来する「アメリカ軍機」に乗った兵士の顔が見えたそうです。

 そして「八月六日」に広島に落とされた「原子爆弾」を、肉眼で目撃しております。

 また、母親は子供時代を「満州」で過ごしました。

 終戦を迎えた後、迫りくるソ連兵から「命からがら」逃れて日本に帰ったのです。

 たまたま「一緒になった」ご婦人に列車と船の手配をしてもらい無事に逃げ帰ることができましたが、母親の父は抑留されてシベリアで数年間「強制労働」を強いられたのです。

 そして、そんな二人が偶然にも「戦争を生き延び、この世に存在し続けてくれた」お陰で私がこうやっているわけです。

 そして様々な辛いこと、悲しいことがあったとき、このことが「そっと」背中を押してくれます。

 そして仏様になった父母が極楽浄土から、「なにはともあれ、まずは生きなさい」と声をかけてくれているように感じるのです。


☆今日の一句☆

 ありがたき
     命の重み
        感じつつ

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