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仏教に学ぶ生き方、考え方「いただきます」

「いただきます」

 皆さん、ご飯を食べるときに手を合わせて「いただきます」と言っていますか?最近は黙食、孤食が当たり前になってきたので、そういうことをしなくても誰からもお咎めをされることはなくなりましたが、一昔前には、みんなで揃って手を合わせて「いただきます」と声を合わせて食事をしたものです。
 でも、時々一人でラーメン屋に来た若いお兄さんが、ちゃんと手を合わせて「いただきます」と言っている姿に出くわすこともあり、微笑ましく思うこともあります。
 ではなぜ食事の前にこのように言うのでしょうか?実はこの言葉には仏教の深い教えが関わっていると見ることができます。それをちゃんと自覚し、忘れずにいられるように、一日何度もある食事の前にこの言葉を唱えるようになったのかもしれません。
 というのも、今あるこの命や状況はすべて「いただきもの」なのです。ちょっといくらなんでもそれは言いすぎでしょう?と言われそうですが、よくよく考えてみると、まさしくすべてが頂いたものなのです。
 まずはこの命は自分で作ったものでも、勝ち取ったものでもありません。まさしく突然にいただいたものなのです。そして命の中でも人間として命をいただけるのは、その中のごくごく一部です。
 お釈迦様はそれを大海に泳ぐ亀が、百年に一度息継ぎのために海面に首を出したとき、同じく大海に浮かんだ木片の穴にすっぽり入るくらいの確率だと言われました。
 そしてその命を大切に育み、大きくしていただいたおかげで、今こうしていられるのです。きっと危険なこともたくさん通り越して、守られながら大きくしていただいたのです。
 そして様々な人と出会い、素晴らしい生き方や教えに出会い、こうして心穏やかに過ごせているのは、ほんとにすごいことですよね。今までの経験や出会いも、今の自分にとっては大切ないただきものです。
 こうやっていただきっぱなしの人生なのにも関わらず、それをすぐに忘れて、もっとほしい、もっとこうだったらよかったと駄々を捏ねているのが私たち凡夫ということでしょうか。なので、それを忘れないように、せめてご飯を食べる一日三回の時間には、「いただきっぱなしで本当にありがとうございます」という気持ちを込めて「いただきます」と口に出して言いたいものです。

★今日の一句★
いただいて
  いただき続けて
      いるわたし

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