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どうしてイラストレーターになったのか①中学校の職業講話の先生として呼ばれる

私は大分在住のイラストレーターです。イラストレーターという仕事を始めて…気がついたらかれこれ27年ぐらい経ってました。

2021年の年明けに近くの中学校から「職業講話の先生」として「なぜイラストレーターになったのかお話してもらいたい」ということで声がかかりました。

最初「イラストとかマンガとかそういう業界に進みたい子がいるから参考に」ということだったのですが「いえいえ、私がイラストレーターになった経緯は…特殊なケースというか…全然一般的じゃないので全く参考にならないと思いますよ」といったんお断りしようと思ったのですが「それでもいいです」ということだったので、じゃあ、お話してこようかな、と。

その時、中学生の皆さんにお話した内容と、話しきれなかったお話を書きますね。

トップの写真はその時の写真です。会場が音楽室だったのですが、音楽家の写真の前で聖飢魔IIの写真を中学生の皆さんに見せながら「どうやってイラストレーターになったか」という話をする私。なかなか意味不明です。

もう一度しつこく言っておきますが、イラストレーターになりたい方にとって参考になる話かというと…わかりません(・ω・)

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高3時、進路の先生に怒られる

私は中学の頃から聖飢魔IIが大好きでした。音楽も、見た目も、悪魔教という教え(?)も全部好き。大学受験を前に、いよいよ「将来進む道」を決める段階になって、私が考えていた基準は一つだけ。

「聖飢魔IIに近づくにはどうしたらいいか」

そんな基準で導き出した進路は2つ。

1つめ「聖飢魔IIの出身校である早稲田大学に入る」

将来、何かのキッカケでお近づきになる機会があった時に「実は私も早稲田なんですよ!」「おおー、後輩じゃないか!」と、親近感を持ってもらえて仲良くなれるんじゃないか、と思った。←アホすぎて乾いた笑いがでるレベル。

 2つめ「音楽系の専門学校に入る」

将来コンサートスタッフとかになったら仲良くなれるんじゃないか、と思ったものの…聖飢魔IIは好きだけど音楽全般にそんなに興味がなかった。


そんなわけで、とにかく「早稲田大学に入ること」に全集中していたのですが、高校の進路希望調査票に「志望大学:早稲田大学/志望理由:聖飢魔IIの後輩になりたいため」とバカ正直に書いてしまったため、進路指導の先生にさんざんバカにされ、怒られてしまいました。

「おまえ、大学受験なめてんのか!?」

「世の中はそんなに甘くないんだよ! 真面目にやれ!」

先生、言いたい放題です。

その頃は言い返すこともできませんでしたが、志望理由は志望理由。真面目も不真面目もあるか!…っていうか、私は真面目なんだよ!!!

ヒジョーに腹が立ったので、私としては、より一層「見とけよ、絶対、早稲田に入ってやるからな」という気持ちが燃え上がり、無事受験にも合格しました。振り返って思うに、進路指導の先生の暴言は「叱咤激励」ということで、結果的には成功したってことなんでしょうか? 感謝案件?

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…で、ここからどうしたらいいんだっけ?

大学受験までは「早稲田に入る」ということで頭がいっぱい。それだけを目標に生きていたため、合格した時はもちろんとっても嬉しかったのですが、大学に通い始めてだんだん気づいてきました。

…で、私、ここからどうしたらいいんだっけ?

バカみたいな話ですが「大学に入る」という目標を達成してしまったため「大学に入ってから」何をどうしたらいいのかわからなくまってしまったのです。

そして3年次。

私が入ったのは社会科学部(デーモンさんの後輩)なのですが、3年次にはもっと専門的な分野…政治や経済、経営などのゼミに分かれます。でも、ここでも何にも興味が持てず困っていたところ、1つだけ、

「うちのゼミは何を研究してもいいです」

というゼミを見つけました。その時に思い出したんです。

「あ、そうだ。私、聖飢魔IIが好きでここに来たんじゃん。聖飢魔IIの研究しよう!」

と、ピカーンとひらめいたんです。それからの大学生活は、聖飢魔IIという基本に戻ったせいか、好きなことやってるせいか、ようやく楽しくなってきました。

そして、聖飢魔IIの悪魔教について「悪魔教とはどういう教えなのか」「なぜ彼らはこんな教えを布教しようとしているのか」「その結果世の中はどうなるのか」等々、まじめに研究しまして、自分でもある程度納得のいく答えが出ました。そして卒業論文としてうまくまとまったので、

「よし、この卒論は本にして是非ともみんなに読んでもらいたい」

とか思っちゃったんですね。若気の至りで…。

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卒業論文がアートディレクターの目にとまる

今は自費出版も簡単にできると思います。ネットで安価に製本したりもできますよね。でも当時は1000冊ぐらい作ったのかなー? なにしろ結構な金額かかったんですよねー。でも、作りたかった。自分が早稲田に来た、そして学んだ集大成を形にしたいな、と思って。

まあ、本と言うよりは小冊子みたいな薄さでしたが、形になりまして、嬉しいのであっちこっち配って回ったんですよね。買ってくださった方々もいらっしゃいました。

そうしたらある日、とあるデザイン会社のアートディレクターさんから連絡があったんです。

「卒論見せてもらいました。雑誌のカットを描いてみませんか?」

って。

え?

実は、卒論を本にするにあたって「文字ばっかりだったら堅苦しいから、挿絵もいれよう」と、つたないイラストで挿絵をいくつか入れてたんです。

その絵を見て連絡をいただいたようなのですが、私は絵の勉強なんてしてないし(そもそも社会科学部です)絵を描くのは小さい頃から好きでしたが、決してうまくはない(・ω・) 雑誌のカットなんて、どうやって描けばいいのかもわからない。

「描き方も教えてあげるから大丈夫だよ」

というアートディレクターさんの言葉で、手取り足取り教えてもらって描いた雑誌のカット。健康食品の特集で、いろんなドラッグストアを回ってある商品について理解を深めていく〜みたいなマンガでした。見開き2ページの上3分の1ぐらい。

これが私の初めてのイラストレーターとしての仕事です。

どうでもいいけど、卒論の内容よりも挿絵が評価されたのか…と当時はなんとも微妙な気持ちではありました。

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イラストレーターって名乗ればいい

その後も、そのアートディレクターさん経由でお仕事の依頼があり、相変わらず言われるがままに描かせていただきながら、

「こんな私がイラストのお仕事なんてさせてもらっていいのだろうか?」

と、ずっと思っていました。

ある時、ある編集者の方に同行してある集まりに行った時、

「イラストレーターのまさりさんよ」

と、紹介されたので、思わず、

「あ、いえ、イラストレーターと名乗るほどでは…」

と、恐縮したのですが、あとでその編集者さんに言われました。

「いいの、いいの。自信がなくても、私はイラストレーターですって言った瞬間からイラストレーターになるんだよ。最初は違和感あるかもしれないけど、イラストレーターですって言い続けてたらいいんだよ」

と。

正直、違和感がなくなるまで10年以上かかりました(^_^;) 少しずつ少しずつ、イラストの仕事をさせていただきながらイラストレーターになっていったという感じです。

今でも「絵、下手だなよな、自分」とは思いますが「下手だけど、世の中にはそういうイラストレーターがいてもいいよな」という、ある種開き直りというか、悟りの境地というかオバサンの境地でやっています。

つづく。

🌟🌟🌟

こちらの記事を人生に悩むみゃー先生の「#248 お年玉はすぐ使おう!そして私は本を作りたい!」の中で取り上げて頂きました😊
ありがとうございます💕


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