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#10 【育児】現代の教育における、ネガティブな側面の学び方

こんばんは

フクロウです。
3連休は天気が優れないので、自宅や近場で娘たちと遊ぶ予定・・・

最近思うのは、3ヶ月の子供がいると上の娘には申し訳ないけれど、炎天下の屋外プールや車で2時間先の恐竜の博物館へ行ってやれない

本当はパパも連れて行ってやりたいのだが、妻だけに3ヶ月の子供を任せるのも、心苦しく、上の娘には我慢させてしまうことがあるな。と最近は考えております。

そんな中でも、ランチだけ外へ食べに行ったり、周辺をバスに乗って散策したりとパパなりに工夫しているから許してくれ

今日はそんな子供の”教育”に関する、最近感じた疑問です。

それは、物理的にも精神的にも「痛み」や「恐怖」、「理不尽さ」などのネガティブな面を、今の子供はどのように体感したり、理解したりするのだろうかという点です。

今の子供たちは、上記のようなネガティブな面からできるだけ離す、仕組みが整っており、それはそれで良いのですが、社会人はどちらかとういうと、ネガティブな状況の打開の連続かと思います。


現代の”教育”の中で感じる、疑問

現在、私は娘が4歳で、保育園に通っています。
それはもう、毎日毎日、いろんな発見や学びがあり、娘の成長をひしひしと感じており、担任の先生には感謝でいっぱいです。

一方、昨今の世の中で、パワハラ、性加害、個人情報の漏洩、LGBTなどの多様性、といったことも大きく取り上げられるようになり、保育園や学校はいち教育機関として、そのような世の中の潮流に乗った運営はしていかないといけないのも事実としてあり、すごく大変な仕事だなと感じております。

もちろん、上に記載したような行為は当然NGだし、これまでの日本の教育であった、誰に対しても一辺倒な教育は、もはや時代遅れとなったという認識は間違いではないでしょう

ですので、これらを意識できていない教育機関は淘汰されてしまうのだろうなと考えています。

そんな中で、私が感じる疑問とは、冒頭で記載した「痛み」や「恐怖」、「理不尽さ」などのネガティブな面への向き合い方をどうのように学ぶのか?です。

「痛み」の学び方、今と昔

例えば、「痛み」について
私が小学校だった1990年代は担任の先生から定期的にビンタをくらってました(笑)

つまり、”痛み(体罰)”です。
同時に(痛い〜、みんなの前で恥ずかし〜、やらなきゃよかった)というような精神的な痛みもあります。

当然、私が悪いことをしたっていう認識はありますし、親に話しても「それは、先生も怒るわ。ちゃんと謝んなさい」と、当時はむしろ、ビンタは当然の仕打ちとして認識されてました。
昔は、そのような家庭が多かったと思います。

ですが、そこから、クレームをいうモンスターペアレンツが頭角を表し、社会問題となり、その対処に困った教育機関は、一切体罰はやらないという決定を下し、今やモンスターペアレンツは聞かなくなり、体罰は悪いこと、パワハラとして、認識される世の中となりました。

極論ではありますが、モンスターペアレンツが正しかった。
モンスターではなかったということになったのです。

今や、親が言えば、たいていの教育機関は波風たてたくないので、その通りにしてしまうのです。

余談ですが、娘の保育園もそうです。
保育園が子供の園での活動を写真で撮影してくれて、親が見て、購入するのですが、「プールでの水着写真は不特定多数の親に見られるから無しにしてほしい」と要望が入り、今年からプールで遊んでいる子供の写真は一枚もありません。
気持ちは分からんでもないけど、水遊びの我が子を楽しみにしている親もいるぞ・・・と思ったり

「痛み」や「恐怖」、「理不尽さ」を知らないことでの弊害について

もちろん、私自身、体罰は推奨されることではないと考えていますし、娘がいる身ですので、もし傷が残ったりしたら、怒り心頭になるでしょう。

このように考える一方、昨今の若い命が奪われる残酷な事件を見ると、思うのです。

今まで、大人たちに遠ざけられていた「痛み」や「恐怖」、「理不尽さ」に突然、襲われたら、対処の方法がわからず、有らぬ選択をしてしまう可能性はないのだろうか?

つまり、
突如「痛み」や「恐怖」、「理不尽さ」に襲われたら、とにかく逃げたり、他者へ相談すべきだが、これまで経験がないと、
・途端に動けなくなってしまったり
・従ってしまったり、我慢したり
・善悪の検討を投げ出したり

このような、傾向が高くならないのだろうか?と考えたわけです。

どうでしょうか・・・
ちょっとでも私のようにビンタされた経験があれば、人から殴られる、物理的な痛み、精神的な痛みの味を知っているので、耐性はあります。どうすれば良いかも、知っています。

ですが、耐性がなければ、物理的な痛み以上に、精神的な痛みに耐えること
ができるのでしょうか。今までされたことないという思いがあるため、より一層に心の傷が深くならないでしょうか?

とは言っても、小、中、高すべてで担任から体罰があるとか、成績順で座席が決まるとか、生徒の物理的、心的ストレスになるものは排除されつつあります。

しかし、社会にでたら、怒られるし、理不尽な上司はいるし、いまだにパワハラはあるし、年下に抜かれるし、子供の頃のような守られ、整った、綺麗な環境ではないんだよなぁ

どうやって、学ぶべきか、親として何ができるか?

物理的または精神的な「痛み」や「恐怖」、「理不尽さ」を学ぶこと自体が難しいのは事実です。

人は嫌なことに自ら突っ込むことはしないですからね
失敗しよう!なんて思っている人はいませんしね・・・

だから、一つヒントがあるとしたら、自己啓発では無理ということです。
多様な人と出会えるコミュニティーに飛び込んでいくことが大事なんだなと思います。

学校生活でいえば、部活動はその代表格かもしれません。
身体的(体力)な苦しさ、試合での重圧(心理的なプレッシャー)、人間関係の構築などで、試行錯誤するため、比較的学べることが多いと思います。

当然、親としても、子どもにできることはあるでしょう。
可愛いからといって、褒めすぎてもダメです。
暴力はダメですが、多少の痛みは経験となるはずです。

そこには”愛”が必要ですが、どうしても痛みが必要なら愛情とセットで行うことが重要となります。 #2で記載しております

また、保育園以外の異なるコミュニティーへ連れ出すことも、学ぶ糧は多くなると思います。

私自身、教育機関だけに任すのではなく
・これからの子どもに何が必要なのか?
・どのように学ばせるのか?
・今の教育に足りないものは何か?

ということを常に情報を収集することも
親として、大切な活動だと思います。

長文になってしまったのですが
”教育”に正解はないと思いますので、日々試行錯誤で臨みます







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