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【永遠不変の私のまま、再び世界と対峙し続けるために】amazarashi「永遠市」



 こんばんは。シリアスファイターです。



 今回は久しぶりに、3連休を利用してアルバムの感想をまとめました。


 amazarashiが先月リリースした1年半振りのニューアルバム、「永遠市」についてです。



 このアルバムを引っ提げたライブツアーの札幌公演に参戦する前に、ある程度自分の中でアルバムの解釈を整理したいという思いから、筆を取ってみました。


 それは昨年のアルバムツアーに参戦した時の反省(?)からきている思いで、この時はアルバムの聞き込みも足りなかったこともあってか、音楽的にも、視覚的にも、言語的にも、その情報量の多さに圧倒されてしまい、中々気持ちを整理し切れなかったり、自分の中に落とし込めない部分が多くありました。

(と言いつつ、そんなnoteをきっかけに繋がった方もいらっしゃるので、それでも必死になって言葉にするのを諦めなかったという点では自分を褒めたいし、見つけていただいた方には最大級の感謝しかありません。)



 amazarashiの場合は、曲の内容と歌詞カードにある有り余る情報が全てで、それ以上の言葉を重ねるのはむしろ野暮になってしまうのでは…と思ってしまう部分もありましたが、私も1人の人間として、この歌詞を、音楽を受け取って思うところは沢山あったので、以下、一曲ずつ、私なりの言葉で綴った感想と解釈です。


 それでは。



1.インヒューマンエンパシー

自分欺き嘘つくのはどんな気分だい 下らなくて泣けてくる最低だよ
新品にいっそ交換はできないもんかね 9Vの電池みたいに人生も

インヒューマンエンパシー


 世間や他人から見たら「余所者」たる自分自身をどれだけ取り繕っても、
「余所者」である自分は消えなくて、嘘をつき続けるほど最低な気分で、いっそ生まれ変わりたいと願っても叶うことはない。


 ならば、


 自分の生きる世界は、自分の守りたいものは、自分で決めるという全編に渡る決意表明。



 水面にボチャっと水が落ちるように、ゆらゆらと揺れ動くギターを皮切りに、静かに吐き捨てるような歌い出しから、徐々に歌声のテンションを上げていく秋田さん。


 それでもサビのメロディは決して綺麗に突き抜けることなく、最後までどこか抜けきらないのが、まだまだもがき続ける人生を思わせるし、それでも最後には「叫ぶ」ことで、他でもない私として、私を生きるための探索が始まります。

2.下を向いて歩こう


 歌詞冒頭に出てくる「デターミニズム」は、どんな出来事も、ある出来事の結果によって起こるので、結局自分で決めきれることはない、という意味らしいです。


 結局自分でやることなすことは何一つ上手く行かず、でもそれは「全て自分で始めた」という皮肉に思わず笑ってしまうほどの袋小路。



 生きることを諦めて、生きることにうんざりして、無力でどうしようもない生活を、ただただ綴り続けて生き続ける、自分だけのあらすじ。


 井手上さんのリードギターに、決して明るくはないけど内側から溢れ出るようなエネルギーを体現するようなエフェクトがかかっているのがとてもかっこいいと同時に、これしかできないからやってるんだよ、という開き直りも良い意味で大いに感じられます。

ここでしか見えないもの 知り得ぬこと 綴る
太陽でも照らせはしない 名もないあらすじを

下を向いて歩こう


 下を向いてようが、終わってようが、歩いてる私はここにいる。


 諦めたことがあっても、どうしようもなくても、何一つ私が私として生きることを諦めていないことが伝わってきます。

3.アンチノミー


人として憤れ 感情を踏みにじる全てへ

アンチノミー


 人として生きるための意志を「憤れ」と歌う秋田さん。



 「怒れ」とか「悲しめ」の方が分かりやすいし、意味も通りますが、「憤れ」になることで、そういった感情を一通り包括した上で、それでも自分は悩み苦しむというニュアンスが入ってくるような気がします。



 真面目すぎて押しつぶされそうだけど、その憤りを失っては人間として壊れてしまう気がするから足掻く。
 その過程こそが、私が人として生きることで、震える心や意志を持って息をすることの尊さは私のものだ。


 「コワレタヨルハ」のパートはニーアオートマタを見ている人には分かりやすい部分ですが、知らない人にも、一瞬矛盾で足が動かなくなって思考停止する自分自身とも取れる、機械じみたコーラスが印象的。


 矛盾でもがき苦しむからこそ、間奏部のギターソロや差し込まれるピアノソロは、よりドラマチックに聞こえてしまうし、現実に憤る私に火をくべ続けてくれます。

4.ごめんねオデッセイ

 オデッセイは、長い冒険旅行みたいな意味だと思いますが、過去がなかなか報われない今の自分が、過去の自分に対して思ってる心情のようにも聞こえます。


 どこかの宇宙に漂うような音の世界の中で、過去から未来の自分に繋がる想いを一つ一つ書き殴るように、言葉を吐露していく秋田さん。



 終わりが見えずとも、過去の自分は中々報われずとも、それでも自分がやってきたことを、進んできた道を、しっかりと刻めているのかと自分に問いかけながら、何かを探し続ける日々は続いていきます。


 最後のタームに向けて秋田さんのリーディングとともに、力強さを増す豊川さんのピアノが特に印象深いです。


 「朝日が見たい」から始まり、「木漏れ日を」で終わる歌詞。
 歩き続けた先に、必要なひかりやあたたかさを見つけてほしいし、私も見つけたいと思うところから、また世界との交流が始まっていきます。

5.君はまだ夏を知らない


 雨が降っているような、夏の陽炎がゆらゆらと揺れているような音像から、「君」から見た夏と「僕」から見た夏の風景が浮かび上がってきます。



 「君」が見た夏の風景やそれに対する思いは、「僕」の想像でしかないですが、どんな見方をしていたとしても、そっと見守ってくれているようなとても優しい眼差しに溢れています。
 歌い方もとても丁寧で柔らかい印象です。



 私にもっとその夏を教えてほしい、というのは、何より「生きてほしい」という優しい願いで、歌詞にもとうとう「永遠」というワードがはっきりと登場するこの曲。



 永遠のように続く夏が残酷にも思える一方、まだまだたくさんの可能性に溢れている、そんな季節に焦がれているようにも感じられます。

季節が留まり永遠ならいいな だって僕はまだ夏を知らない
たった七つしか

僕は君との夏を知らない
たった七つしか

君はまだ夏を知らない


 かけがえのない夏が永遠に続くことは叶わないけど、永遠のように見える残酷な夏はいつか終わりを告げるけど、まだ「7つ」しか夏を知らない君との日々を、焼き付けたくてたまらない今を生きるのは悪くないかもしれません。


6.自由に向かって逃げろ


 跳ねるようなバスドラも、ギターの音色も、ピアノも、amazarashiの中でも群を抜いて開放的で、爽やかさすら覚えるイントロから始まり、終始この音像でまとめられているところに新鮮さを覚える曲。



 痛くて仕方ないなら、逃げろ!
 前曲の「君」に向けたメッセージにも聞こえるし、今現在の自分自身に言い聞かせているようにも聞こえますが、前曲の優しさとは一転して、こちらは曲調も相まってほのかに感じる力強さが印象的です。
 焦り?に似たようなものも感じます。


「いいか見ろよあの筏が 僕らなんだ 今に沈みそう
だけど自由だ 君次第だ あの夕日を 撃ち抜くのだって」

夕焼けに誓ったんだ

自由に向かって逃げろ



 「当たり前」と「それなり」に阻まれ続ける私の生きづらい人生から何としても…!
 夕焼けに誓いつつ、全能感すら感じるほど、迷いを振り払ってひたすら走り続ける様が眼に浮かびます。


7.スワイプ


 一聴した時は、この曲順残酷すぎないか…と正直思いました。


 あの日逃げると誓った夕暮れが途端に残酷に見えるほど、「生きづらさ」が、私の人生をあらすじの中に閉じ込めてしまいます。



 目を背けたくなるような現実の数々が、ヒップホップ的な韻の踏み方で次々と頭に入り込み、怪しい祭囃子のようなアレンジと不気味に手を取り合って、「生きづらさ」の正体を次々と夕暮れの真っ赤な灯りが暴いていきます。


 暮れる 暮れる 暮れる陽を止めろ

スワイプ



 頼むから止まってくれ…。
 生き続けようとする意志は力強さを増します。


 そんな意志は消えることはなくても、それでも容赦なく日は暮れ、夜は訪れます。

8.俯きヶ丘


 訪れた夜の中にぽっかりと浮かんで漂うような打ち込みのビートに合わせて、秋田さんのポエトリーリーディングにより場面転換。


 忘れ去られて、置いてきた気持ちも、自ら掘り返す。
 たとえ腐敗していたとしても、全てが「自分のもの」。
 自ら手に取って、再び物語へ。


9.カシオピア係留所



 「君はまだ夏を知らない」でも、痛みには覚えがあるというフレーズが出てきますが、そんな流れも踏まえて再び手にした自分自身と、自分の意志に突き動かされていると思うと、この曲で歌われる「痛み」はより重く、実感を伴って響きます。

痛みの堆積が歴史だ それが僕らの最初の武器

カシオピア係留所

その痛みは共通言語だ

カシオピア係留所


 何かを生み出したり、一歩進むためにはその人なりの痛みを伴うことは、秋田さんにとっての表現の確信なんだと思います。
 しっかり何かと向き合って痛みを感じるその先に、自分を本当に突き動かす気持ちを、憧憬を思い出します。
 痛みこそ自分の、誰かの歴史。
 何をするにもそれが始まり。



 綺麗事のように聞こえますが、自分の意志と同じように、その先に生み出したものがしっかり光って欲しいと、私みたいな人間は思わずにはいられないのです。


 この曲のギターもロマンチックで素敵です。
 間奏での力強いソロは、常に何かに焦がれ続けているようです。


 ちなみに、最初のフワーッと夜空が浮かび上がるようなフレーズは、ライブではキーボードで再現するんですかね?
 同期なのかな?

10.超新星


 曲単位でいうと1番好きかもしれません。


 もうどうなってもいい、自分の信じた道を突き進んでやるというヤケクソにも似た心情かもしれませんが、
 自分の全身全霊で光り続けるという気概を感じるサビのメロディはハッとするほど美しくて、全てのサビを歌い終えた後に差し込まれる、豊川さんのピアノの旋律が本当に綺麗で綺麗で仕方ありません。



 ヤケクソでも、自分にはこれしかないという確信を少しずつ深めていくように言葉が沸々と湧く度に、聞いている私にも自然と力が湧きます。

目が眩む残像を 空の隅に残す
見上げてくれ葬式で

超新星


 ただ、まだまだ死なないでほしいと思います。


 あっさりフェードアウトしていきますが、まだまだこの先も続いていくぞというポジティブな意味に、私は勝手に取りました。

11.クレプトマニア


 タイトルは窃盗症で、現実感や記憶がないまま行動してしまう、みたいな意味でしょうか? 


 力強いドラムのビートから幕を開け、過去のamazarashiの曲の歌詞やタイトルが、次々と意識に流れ込むように引用されながら、1分30秒ひたすら前のめりに言葉を捲し立てる秋田さん。


 ここまで長く旅を続けて、結局「自分は自分でしかない」という結論に、無意識の内に辿り着いているとも取れる気がします。



 でもそのことを悲観しているようには聞こえず、むしろ進み続けようと強い意志すら感じられるまま、この旅路は終盤へ。

12.ディザスター



 「もう怖いものなんてない」とは言えませんが、今この世界で、自分がやりたいことがそこにあるならそれをやるだけで、そこに誰かが付ける価値や褒賞なんて目もくれることはない。



 自分の道を進むために伴う痛みも、不安も、恐怖も、全てまたここから始まり、何度だって繰り返します。

危機が訪れて あれがはじまりだとのちに知るんだよ
笑えてくるぜ 笑えてくるぜ

ディザスター


 この笑いは、「結局これの繰り返しかい!」という諦めでもあり、かかってこいというヤケクソの意思表示でもあるような気がします。



 ドラムの聞こえ方が打ち込みに近い生音という印象で、これはライブの生音で聞くと派手に化けるのではないかと勝手に思っています。


 起きているのは自分にとってネガティブなことのように思えるのに、不思議と不安よりも、これから世界と対峙することへの前向きなものを感じずにはいられません。

13.まっさら


 嵐がすぎた翌日。再び朝。

 弾き語り+打ち込み+ギターで、このアルバムの旅路をゆっくりと総括するように歌を紡ぐ秋田さん。



 嵐も痛みも懲り懲りで、全部消えろと願っても、極端に振り切れなくて、じゃあせめて何かいいことは…と探してみても、絶対的な何かは見つからなくて袋小路。



 嵐が過ぎて、散々泣いて再び辿り着いた先を歩む自分は、絵画でも映画でも小説でもない生活を、うんざりするほど、諦めることが多くてもやり直せない日々を、結局ただただ生きていくのみです。

白紙に戻れない僕らだから

まっさら


 ただそこには、変われなかった自分だけにしかない絶対譲れない意志があります。


 痛みを伴いながら進み続ける誰かへの、優しい眼差しがあります。



 このアルバムを持って、またamazarashiの音楽をこれからも聞かせてくれる人生が続くことを、私は楽しみにしたいです。


 今回は以上です。


 来週のライブがこれを経てどうなってるのか…とても楽しみです。


 最後まで読んでいただいたそこのあなた、本当にありがとうございました。

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