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#60 「人生の4つのワーク」:”イギリスのドラッカー”に学ぶ『ライフシフト』

1.人生の4つのワーク

チャールズ・ハンディの著書をもとにした、法政大学大学院の石山恒貴教授作成の「人生の4つのワーク」の図は、「パラレルキャリア」や「越境学習」の文脈でもよく使われます。シンプルながら、分かりやすく、なじみやすく、キャリアデザイン研修で、私もよく使っています。

作成者の石山教授に感謝ですが、本家本元の著者、チャールズ・ハンディのことが、私はずっと気になっていました。というのも、原典であるハンディの著書「パラドックスの時代」(小林薫訳:1995年10月 ジャパンタイムズ社)を私は読んでおらず、底流に流れる思想や考え方を十分理解していないのではないか、との思いがあったからです。

そこで、少しまとまった時間をとって同著を読むことにしました。孫引き等ではなく、できる限り、原典にあたることは、私のモットーでもあります。

チャールズ・ハンディの4つのワークと「パラドックスの時代」

2.「パラドックスの時代」(チャールズ・ハンディ著)を読む

2-1 チャールズ・ハンディとは

「イギリスのドラッカー」と呼ばれるチャールズ・ハンディですが、これまで、ドラッカーの著作はある程度読んでいたものの、ハンディの著作を読んだことはありませんでした。
ウイキペディア(英語のみ)かんき出版の著者紹介にも、ハンディのプロフィールが掲載されていますので、ご参照下さい。

2-2 原題は”The Empty Raincoat”

翻訳版「パラドックスの時代」は、既に絶版となっていたため、古本屋経由で購入して読み始めました。400頁を超える長編です。

翻訳版「パラドックスの時代」の原題は、”The Empty Raincoat”。英国で1994年に出版され、米国では”The Age of Paradox”のタイトルで同年に出版されました。

Empty Raincoat(着ている人のないレインコート):タイトルに興味を持ち、英国版をKindle で読むことにしました。翻訳版ではニュアンスが伝わり難い箇所を英語版(Kindle)で参照する形で、読み進めて行きました。

チャールズ・ハンディ著”The Empty Raincoat”カバー写真

タイトルの”Empty Raincoat”については、同著の冒頭に紹介があります。
アメリカのミネアポリス美術館の野外彫刻庭園でハンデイが見た3つの彫像(下に写真貼付)の一つです。同著から引用します。

アメリカのミネアポリスの野外彫刻庭園で見た、ある彫像のことが忘れられない。それはジュディス・シー作の「言葉なく(Without Words)」と呼ばれている作品である。この作品は三体からなっている。そのうちの一体はブロンズのレインコート。まっすぐに立ってはいるが、空っぽで、その中にはだれもいない。わたしにとっては、その着ている人のない(Empty)レインコートは今日における最も喫緊の逆説(paradox)の象徴なのである。
I cannot forget a sculpture which I saw in the open-air sculpture garden in Minneapolis. It is called ‘Without Words’ by Judith Shea. There are three shapes. One of them, the dominant one, is a bronze raincoat, standing upright, but empty, with no one inside it. To me, that empty raincoat is the symbol of our most pressing paradox.

「パラドックスの時代」”パラドックスという論点”/
「The Empty Raincoat」”The story behind the book”
”Without words” by Judith Shea(ミネアポリス野外彫刻庭園)

2-3 著作に流れる思想

読み進みながら感じたのは、30年前の著書であるにも関わらず、チャールズ・ハンディの考え方は、色あせておらず、最新の「ライフシフト」の考え方に通じるものであること。正に、先駆の思想として、ポートフォリオワーカーや人生マルチステージの概念が紹介されています。読了後、30年経った「今」、読むことの意味を感じました。

”The  Emtpy  Raincoat”(英国版)とThe Age of Paradox(米国版)とは、内容は同じですが、前者(英国版)には、より個人の生き方・働き方へのメッセージ性、後者(米国版)には、より組織のありかたへのメッセージ性を感じました。私は、ハンディは、英国版のタイトルにより愛着があったのではないか、と思料します。

以下、適宜コメントを付記しながら、私が印象に残った箇所を貼付します。

日本語引用:出所「パラドックスの時代」(1995年10月翻訳版)
英語引用 :出所「The Empty Raincoat」(1994年2月出版)

◆下記の太字部分(筆者)に、著作への意気込みと使命感、人間の可能性を信じる気持ちを感じます。

われわれは空っぽのレインコートになること、すなわち給与台帳に載っている無名の番号や、所定の役割を果たすだけの人や、経済学とか社会学の対象となるだけの原材料や、どこかの政府報告にある統計資料などとなるように運命づけられたわけではないのだ。もしそれが能率や経済成長の代償だということならば、経済的進歩などは空約束にすぎない。人生には、だれかよその人間の手に属する大きな機械の歯車の歯になってせわしなく行く先もわからずに走り去っていくこと以上に大切なものがあるはずである。この矛盾(paradox)はなんとか乗りこなせることのできるものであり、かつ、我々一人ひとりはその空のレインコートを着こなして実体化することができるということを証明することこそ、われわれの挑戦でなければならない
We were not destined to be empty raincoats, nameless numbers on a payroll, role occupants, the raw material of economics or sociology, statistics in some government report. If that is to be its price, then economic progress is an empty promise. There must be more to life than to be a cog in someone else’s great machine, hurtling God knows where. The challenge must be prove that the paradox can be managed and that we, each one of us, can fill that empty raincoat.

”パラドックスという論点”/”The story behind the book”

◆これからの時代を生き行くために3つのスキル(3つのC)の重要性を説くと共に、これらは、名詞ではなく動詞であることを強調しています。(※ここは極めて重要な部分だと思います。

それに必要な技能(スキル)とは、Conceptualizing(概念化すること)、Coordinating(調整すること)、Consolidating(統合すること)の3つの「C」である。いずれも「名詞(なまえ)」ではなく、教育活動をめぐる「動詞(うごき)」であり「何かをすること」をめぐる言葉であって、事実を表す言葉ではない。
The skills involved are conceptualizing , coordinating and consolidating-the three ‘c’s. They are the ‘verbs’ of education as opposed to the ‘nouns’, the ‘doing’ words not the facts.

”知能への投資”/The Intelligence Investment

◆ガンジーの言葉(※少し違いますが)を意識して、使っています。ハンディが共感している格言と思われます。

「明日死ぬごとく今日生きよ。されど永遠(とこしえ)に生きるがごとく計画(プラン)せよ。
‘Live as if you will die tomorrow, but plan to live forever.

”スプライスした生活”/”Spliced Lives”

◆インドの「四住期」(学生期、家住期、林住期、遊行期)を指しています。五木寛之氏の著書「林住期」(2007年2月)により広く知られるようになりました。

古いヒンズー教の経典では、人生には四つの段階があった。すなわち、学生、世帯主、隠遁、そして托鉢僧。
In the old Hindu scriptures, life had four stages: student, householder, retirement and sannyasin.

スプライスした生活”/”Spliced Lives”

◆インドの「四住期」には理解を示しながらも、ハンディの示した四つの時期はユニークな内容でした。

四つの時期(エイジ)とはー
1.≪第1期≫
生活と仕事への準備の時代で、ここには義務教育、追加教育と資格取得、誰かの指導下での作業体験、そしてさらに家庭環境の外での世の中を開拓する機会などが含まれる。フランス語の<形成期(フォルマシオン)という言葉はこの時期のことを正確に描き出したものである。それは己を形づくる時期、正規の教育以上に、はるかに大きなものを形成するときである。
2.≪第2期≫
有給の仕事にせよ、子育てその他のカタチのホームワークにせよ、本格的な努力を傾注する時代である。
3.≪第3期≫
第二の人生の時代。第二期の延長ではあるが、さらにおもしろいのは、前とは全然異なる何かをし、何かになることである。何もしないのはもはや現実的な選択ではない。
4.≪第4期≫
依存状態の時期。
The four ages are:
1. The First Age, the time of preparation for life and work, which includes schooling, further education and qualifications ,guided work experience, and, I believe, the chance to explore the world beyond the home environment. The French word -formation- describes this period rightly. It is the age of ‘forming’ oneself, something which is more, much more, than formal education.
2. The Second Age, the time of main endeavor, either in paid work or in parenting and other forms of homework.
3. The Third Age, the time for a second life, which could be a continuation of the second but might, more interestingly, be something different. To do nothing is no longer a realistic option.
4. The Fourth Age, the age of dependency.

スプライスした生活”/”Spliced Lives”

◆五木寛之氏も第三期である「林住期」の重要性を説いていますが、ハンディも、第三期の重要性を説き「最善の機会」としています。第二期に戻ってみるなど、柔軟な選択を認めています。

しかしながら、この≪第三期≫は、四つのタイプの仕事の色々な混合(ブレンド)を経験できる最善の機会である。どちらにでも進むことができる。人によっては、特に女性の場合には、≪第二期≫に主に家庭の仕事に籠りがちだと、ブレンドの中の有給仕事の量を増やす機会を求めることになる。
The Third Age is, however ,one‘s best chance to experiment with a different blend of the four types of work. It can go either way. Some, particularly women, may want the chance to increase the amount of paid work in the blend, if they have been largely restricted to homework in the Second Age.

”スプライスした生活”/”Spliced Lives”

◆この部分に、ハンディの言いたかったことの全てが集約されていると言っても過言ではないと思います。(太字筆者)

わたしの人生でとても感動した瞬間の一つは、イギリスのオープン・ユニバーシティの学位授与式を見守っていた時であった。それはある大聖堂で開かれたが、まことにふさわしい場だと思った。というのは、そこに出席した卒業生全員がそれぞれ何らかの形の個人的な再生や復活に向かって努力してきたからである。感動を覚えたのは卒業するクラスメートが千差万別だった点である。おばあさんもいたし、曽祖父もいた。 帽子とガウンを身につけ、学位証書を手にして、子供や孫たちに写真を撮ってもらっていた。その逆ではないのだ。車椅子の人もいれば、盲導犬を連れた人もいた。年齢はその場では何らの障害にならなかった。階級も、信条も、人種も、またこれまで何かで成功したことなども一切、関係がなかった。真に「オープン」な大学だからである。その日は私にとって、人生での無限の可能性に対するすばらしく生きたお手本であった。形成と学習の≪第一期≫はいつの時期でも再来することができるのだ。
One of the more moving moments of my life was watching a degree ceremony at  Britain’s Open University. It was held, appropriately I thought, in a cathedral because each graduate was there because they had made  an effort  towards some form of personal renewal.
What was moving was a huge variety of the graduating class. Grannies were there, and great-grandfathers, photographed by their progeny in their caps and gowns with their degree certificates, instead of the other way round. There were people in wheelchairs and others with guide dogs. Age was no barrier in that place, nor class, nor creed, nor colour,  nor previous success in anything, for it is a truly ‘open’ university. It was ,for me that ,a splendid example of the infinite possibilities of life. That First Age of formation and learning can come again at any age. 

スプライスした生活”/”Spliced Lives”

◆第三期の生き方、働き方の重要性を説くと共に、金銭的報酬以外の心の報酬にも価値を見出す、価値観の転換が必要なことにも言及しています。『知足』の思想とも相通じるところです。

私自身の望みは人生の≪第三期≫にいる人たちに多くかかっている。この人たちはそのほとんどが、これからさらに自分の貯えにもっと砂糖を追加する機会はあまりない。金銭では測れないような満足感や努力の達成感があること、そしてギフトワークやスタディワークや、あらゆるタイプの家事にも十分に価値があることがそのうちにわかりはじめてくるであろう
My own hope lies more in the denizens of the Third Age of life. They will not、most of them, have much chance to add sugar to their store. Enough of that will have to be enough for them. They will then to begin to find that there are satisfactions and achievements which cannot be measured by money, that gift work and study work and home work of all types can be richly rewarding.

"新しいスコアカード”/”The New Scorecard”

◆本著でハンディが紹介した多様な生き方、柔軟な生き方の例は、実際に自分が見聞きしたものですが、『想像の世界』で一つの理想のイメージを紹介しています。

イングランドの光のやわらかき夕方を想像してみよう。陽は9時過ぎまで沈まないし、外気は穏やかで 芳しい・・・。私はキングズカレッジの汚れ一つ無き芝生と、忘れようのないほど美しいチャペルを目の前にしながらケンブリッジの川堤を歩いていた。その時、合唱隊の高い歌声がひとしきり樹々の間を漂って流れてきた。若いアメリカ人カップルが立ち止まってうっとりとしていた。「これを憶えて覚えていてね、あなた」と女性が言った。「決して忘れないでね。これこそ心の綺麗な時間なのよ 」。もし我々が生活の中により良いバランスを見つけ、社会の中により良い正義を見出したいと思えば、こうした質の高い時間の実例をもっとたくさん見つけ出して大勢の人をもっとそれに近づけられるようにしてやり、それを大事にすることが必要である。それをもっと祝福することによってそのことができるようになる。というのは、皆がやるという流行こそが変革への力強い代理人だからである。
Imagine one of those lambert June evenings in England, when the sun doesn’t set until after nine, and the air is still and scented - I was walking along the river-bank in Cambridge, with the immaculate lawns and the hauntingly beautiful chapel of King’s College in front of me when a snatch of treble voices in an choir floated over the trees and a young American couple stopped, entranced. ’Remember this, honey,’ she said. ’remember it always. This is quality time.’ If we are going to find a better balance in our lives and a better justice in our societies, we need to find more examples of quality time, make them more accessible to more people, and make them count. We can do that by celebrating them more, for fashion is a powerful agent of change.

"新しいスコアカード”/”The New Scorecard”
キングズカレッジ

3.”イギリスのドラッカー”に学ぶ『ライフシフト』

ほぼ30年前に書かれたチャールズ・ハンディの”The Empty Raincoat”ですが、読み終えてみると、「ライフシフト」の思想を先取りしていたことを感じます。人生マルチステージの働き方やポートフォリオワーク、多様な生き方など、ライフシフトで提唱されている考え方が、既に盛り込まれており、その先見性に驚きます。

著書のなかで、ハンディは、3つのCを、名詞ではなく、動詞であることを強調しました。

翻訳は、実にありがたいものですが、時として、原書の意図を伝えきれていない場合があります。
今年の1月、note#32で、原書が”Narrate,Relate,Explore”と動詞で書かれているにもかかわらず、翻訳版では、それぞれ、「物語、関係、探索」と、名詞に訳してしまっていることの問題点について書きました。

ライフシフトの思想の3本柱は、Narate、Relate、Exploreであり、「語りなさい」「つながりなさい」「探索しなさい」という動詞のメッセージとして受け止めるべきものです。
そして、3つの動詞の「」になるものとして、私は「対話(すること)」を位置づけています。

ライフシフトⅡ/(原著)The New Long Lifeをもとに筆者作成

ナラティブを動詞として使う事の重要性を感じながら、少しやきもきしていた所、5月に野中郁次郎先生が、ご著書のなかで、ナラティブは『動詞』であり、『物語る』ことであると、明確に定義されました。
我が意を得たり、の思いでした。30年前のチャールズ・ハンディも同じことを言っていたことを確認でき、原典を読んだ意義を感じました。

物語り」とは、物語(ストーリー)ではなく、ナラティブである。物語は初めと終わりがある完結的な構造を示す「名詞的な」概念であるのに対し、物語りは「動詞的な」概念である。単一の物語に収束せず、多様に発展していく。

「失敗の本質」を語る なぜ戦史に学ぶのか(野中郁次郎)

動詞のNarate、Relate、Explore(「語りなさい」「つながりなさい」「探索しなさい」)の3つの「核」になるものとしての『対話(すること)』の力について、機会をみて書いてみたいと思います。

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