#81 雑草という草はない
1.今日は「立夏」
今日は「立夏」、暦の上では夏に入ります。「暦の上では」との枕詞がなくても、全国各地で夏日が、所によっては真夏日が記録されました。
最長9日のゴールデンウイークも終わり、週明け8日からは、コロナも「5類」に移行、態勢を整えて臨みたいものです。
2.雑草という草はない(牧野富太郎)
牧野富太郎博士を主人公のモデルとして描いたNHKの朝ドラ「らんまん」が話題です。私も昨日、練馬区にある牧野記念庭園を訪れ、スエコザサやサクラ”仙台屋”など、博士にゆかりのある植物を始め、300種類以上あるといわれる同園の植物を見て来ました。
「雑草という草はない」ー牧野富太郎博士の名言として広く知られていますが、この名言には根拠となる史料がありませんでした。牧野富太郎研究の第一人者(高知新聞)とされる田中純子さん(牧野記念庭園学芸員)によれば「雑草の名言を博士が本当に言ったのか。牧野研究の中で最大の問題と言っても過言ではなかった」(高知新聞)。
史実としての確認は、山本周五郎から・・・4月18日付の毎日新聞のコラム「余録」は、その経緯を紹介していますが、コラムで紹介された、周五郎研究の第一人者、木村 久邇典(くにのり)さんの著書「周五郎に生き方を学ぶ」を読んでみました。
木村さんは、戦後、朝日新聞の山本周五郎担当記者として、のち研究家として、周五郎研究の第一人者と言われた人ですが、その木村さんをして、「山本周五郎は牧野富太郎博士の率直なたしなめの言葉のなかから、ただちに大きな教訓を感得したものだったに相違ない。でなければ、あんなにもしばしば、牧野博士の思い出を語ったわけがない。」(同著)と言わしめました。山本周五郎にとって、それだけ、牧野博士の言葉は強烈なインパクトを持ったのだと思います。
同著によると、山本周五郎は、帝国興信所(現・帝国データバンク)が母体となって発行していた雑誌「日本魂(にっぽんこん)」に編集記者として勤めていました。大正14年(1925年)から昭和3年(1928年)の4年間(22歳から25歳)で、この間に、牧野博士との対談があったものと思われます。
田中純子さん(牧野記念庭園学芸員)は、3年以上、史料を探す中で、牧野博士と山本周五郎とのエピソードを聞きつけ、帝国データバンクに問い合わせ、帝国データバンク資料館の学芸員(福田美波さん)の調査・協力を得て、漸く木村さんの著書にたどりつきます。そのあたりのいきさつは、帝国データバンク史料館 学芸員室の雑記帳”4年越しの回答”(2022年8月26日/福田美波)に掲載されています。
3.誰一人として同じ人はいない
牧野博士の言葉が、山本周五郎のその後の生きる姿勢や作風にも大きな影響を与えたことは、想像に難くありません。名もない市井の人たちが、作品の中であれほど生き生きと描かれているのは、牧野博士の言葉と通じるものを感じます。
前回のnote#80でも「人的資本経営/人的資本開示に感じる危惧」について書きました。
”最近の論調に「KPI」や「メルクマール」重視の形だけ整える風潮、「人的資本」と言いながら、「人(ヒト)」がおざなりになっていないか?”
KPIやメルクマールは、顔が見えない数字の世界ですが、実際には、一人一人、名前があり、顔があり、個性がある人たちがいます。誰一人として同じではありません。
草の根運動としてのキャリアコンサルタントの役割は、こういった一人一人との関りだと考えています。「雑草という草はない」・・・一人一人の可能性を信じて、伴走して行きます。
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