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身の丈Ⅱ【エッセイ】二〇〇〇字

宮島ひでき氏のエッセイ『そして足るを知るということ』読んで、自分の「身の丈人生」を想いました。若いひとへのアドヴァイスになれば、さいわいでござる。ん? 若いひと、あまりいないって? (笑

TOP画像:代々木ゼミWEB

「身の丈」を知ることは、必要と思う。しかし、本人が使うと謙遜の言葉になるが、「身の丈に合った生活をしなさい」と、他人に言うと、傲慢で、厭味である。人に対して言う言葉ではない。それを使ってしまったエライ人がいた。大学共通試験で活用される英語民間試験について、萩生田文科相が「身の丈に合わせて、がんばって」と発言し、顰蹙ひんしゅくを買った。「あんたに言われたくないよ。特に教育行政のトップに」。そもそも、子たちに「身の丈」を意識させるような格差があることが、政治の不毛、怠慢を露わにしていると、考えるからだ。
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 46歳という遅い独立ながらも、ほどほどで終えることができたのは、多くの失敗から学んだ末に、否が応でも「身の丈」を知らざるをえなかったから、と思う。
 30歳で17年間勤めることになる会社に入るまでは、失敗の連続だった。
北海道の田舎暮らし。中学までは「井の中の蛙」ならぬ、「小山の大将」。順風満帆(と勝手に思っていた)。しかし、その地域の進学校に入るも、自信があった体力も成績も落ち始め(結核に罹患していたからと言い訳し)、留年。気力が萎えたまま、受験に望むも二度の失敗。やっとの思いで東京の大学に入学するが、すでにスタートラインから遅れをとってしまったと知らされた。同期の多くが「寄らば大樹」と一流企業をめざすなか、私は、その考えは頭からなくなっていた。結果、「多くの相手と競うよりも、人のやらないことをやろう」「ナンバーワンじゃなくてもいい、オンリーワンであれば」と、決めた。しかし、20代も挫折ばかり。いわゆるモラトリアム期だった。
三十路を迎え、ようやく落ち着くことになる。選んだのは、翻訳教育会社。50名足らずの会社。営んでいるのは、(当時は)マイナーな通信教育であり、翻訳家養成という過去に類をみない業界。さらにアメリカから輸入されたばかりの、ダイレクトマーケティング(無店舗販売)手法を知る。小さな会社だったことが幸いしたか、いろんな幸運も重なり、役員に。しかし、社長と衝突し、閑職に。そこで、独立後の味方になってくれたインターネットに出会った。「イ」の時代に。ウィンドウズ93、95が出たころ。何が幸いするか、わからない。
 そして、独立。退職金とわずかな蓄えでもできそうな、WEBデザインを選んだ。インターネットは、完全な黎明期。それだけで十分にリスクがある。なので、他のリスクは避けたい。自然な流れで、「借金はゼロ」「固定費はゼロ」。当座、自分が生きるだけの売り上げがあれば、なんとかなる。自宅でもできる仕事だが怠惰な性格。なので、仕事場だけは借りることにする。それ以外の経費は、全て流動費。事務所には、当初は自分ひとりだったが、売り上げに合わせて、内勤スタッフだけは雇った。あとのデザイナーたちは在宅勤務。いま言うリモートであった。そこまで経費を抑えていたので、制作単価は、他社よりも低く抑えられた。見積が勝負所なのだが、業種が新しいが故に、他社は多めに見積る。だから勝ち続けることができた(たぶん)。
 小さい頃からの「小山の大将」精神と、失敗を重ねてきたからこその「生き方戦略」だった。つまり、「身の丈」を知らざるをえなかったということだったのだと思う。もし、高校、大学、それ以降が順風満帆だったなら違っていたかもしれない(大失敗だったかもしれないけども)。
 独立した際に、決意したことがある。「人生、仕事だけで良いのか」という疑問は、ずっと頭にあったので、独立後は、6時(始業は10時)で仕事を終えることにした。多くの失敗を積み重ねてきたが、辛いとは思わなかった。休日返上で夢を追ったモラトリアム期。終電まで働き続けた会社勤め時代。そのなかから得た大きな学びが、「“毎日が平日”でもいいが、“毎日が日曜日”というゆるやかさも欲しい」だった。
 私が独立した年と同じタイミングで、三木谷浩史氏が「楽天」を、翌年に前澤友作氏が、ZOZOタウンの前身「スタートトゥデイ」を創業した。「月旅行に行く」までは行けなかったが(高所恐怖症なので行きたいとも思わないけど)、「身の丈」に合った形でほどほどの結果を出すことができた、と思っている。
 しかし、小さくまとまってしまったような気がしないでもない。なので、これから人生の時を刻む子たちには、「少年こたちよ、大志を抱け」と言いたい。大谷選手みたいになりたい、であっていい。そして、自分が好きなことに積極的に挑戦し、失敗したとしてもくじけず、それを栄養源として自分らしさを知り挑戦し続けて欲しいと思う。たとえ失敗に終わったとしても、納得できるはずだ。そして国は、そんな子らをサポートできる存在であって欲しいと、切に思う。「子は国の宝」なのだから。

(おまけ1)
新聞コラムの読み比べが、あるnoterさんに好評でしたので・・・。

4月27日の朝日新聞と東京新聞のコラムです。ともに「失敗」がテーマ。「スターシップ打ち上げ失敗」をあつかっていました。
ちなみに、本日のコラムは、朝日が「チャールズ国王の戴冠式」を、東京は「昨日の石川・珠洲地震」をテーマにしています。「東京」は、数時間で書いたのでしょう。


朝日新聞朝刊(4月27日)


東京新聞朝刊(4月27日)

(おまけ2)
本日の二紙の一面比較です。


朝日新聞朝刊(5月6日)


東京新聞朝刊(5月6日)

東京新聞では、WHO事務局長の「コロナ緊急事態終了」宣言について、一切報じていません。政府のコロナ政策には批判的な立場をとっていたからでしょうか。
私も、懐疑的です。欧米の「集団免疫」政策と日本のそれとは根本的に異なります。一様にはとらえられない。尾身茂分科会会長も、「終息」とは、言っていない。なにか矛盾を感じます。

天声人語(5月6日)
筆洗(5月6日)



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