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職業、「無職」【エッセイ】六〇〇字

 新聞などの投稿欄、「無職」がやたらと目立つ。高齢社会を象徴する、一面なのだろう。
 悠々自適じゃないけど、無理して仕事を続けるよりも、自由な生活を選択するひとがそれなりにいて、人生経験や問題意識が豊かで、モノ申したいひとが多いから、かもしれない。
 私も五年前、六五歳で「無職」、「サタデー毎日」の生活に入った(ひとは「サンデー毎日」というが、翌日も、その翌日も休みだからゆとりのある土曜日の方が相応しいので)。
 だけど、いざ投稿が採用され、肩書の「無職」を目の当たりにすると、「その他無職」と一緒くたに扱われ、世の中からつまはじきにされているようで、一抹の寂しさがある。
 職業が、投稿内容に関係がなくても、「そんな職業のひとは、そう考えるのか」と、何( なに )某( がし )かの意味をもつこともあるが、「無職」の場合は、無職=高齢者=無色、でしかない。
 〝スーパー・ボランティア〟として注目の、尾畠さん。彼はもちろん、いっさい収入を期待していないので「無職」になるけど、尾畠さんの職業、肩書は、(職業ではないけども)立派に「ボランティア」が、しっくりくる。
 つまり職業だけを「肩書」にするのではなく、趣味とか、自治会活動とか、街づくりとかのような社会的活動など、いまの立ち位置を添えるべきじゃないだろうか。さしずめ私は、「悠々自適者」とか「年金生活者」とかじゃなく、エッセイや英語などを学ぶ、「生涯学習(をめざす)者」という方がいいな。

写真は、二〇一八年九月二三日のMBS「情熱大陸」より

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