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味瓜( アジウリ )【エッセイ】八〇〇字

 人生初の「旅」だった。
 大雪山系の麓。旭川から、石狩川の上流30キロ弱の位置に、“愛の別れ”と書く町、愛別がある。父親が食糧庁(今はない)の職員だった関係で、小学で4回転校し、3校目の町。小学3年から1年半暮らす。60年安保前夜のざわざわした年。
 最初の夏休みの終わりが近づいた、ある日の午後。同じ公営住宅の中学生達と急に、旭川まで自転車で行こうということになり、母には黙って、家を出る。
 石狩川に沿った国道。旭岳などの山々を横目に、下る。ペダルは軽い。が、ひとり子供用に乗る私は、徐々に遅れはじめる。先輩達は時々、後ろを振り返り待ってくれた。旭川の街は、なかなか見えてこない。「着けるのかなあ」と思いながら必死にペダルを踏む。
 2時間後。パルプ工場の側を通り旭橋を渡り、8月初めの花火大会に、家族できたことがある常磐公園に、やっと着く。
 予定よりも時間がかかり、少しの休憩で帰路につく。帰りは登り、ペダルが重い。徐々に日が陰ってくる。山々を見る余裕など、ない。
 「叱られる・・・」と繰り返し言いながら踏む。夕食に遅れ、父に叱られたことが、よぎる。
 愛別橋を渡り、ようやく公営住宅に着く。おそるおそる玄関に。父親の靴があった。
 台所にいた母に、すぐに謝った。
 「お母ちゃん、ゴメン。何も言わずに出かけちゃって・・・」
 「どこに行っていたのぉ、マサ坊」
 「Aちゃん達と自転車で旭川に行ったんだ」
 すると、茶の間にいた父が、
 「おお、そうか。行けたかっ」
怖い顔が、緩んだ。
 「ハイ! Aちゃん達は大きな自転車だったけど頑張ってついて行きました!」
 と、息継ぎなしに一気に、説明した。
 「パルプ工場って、臭いヨなあ、あそこ。鼻がまがったベヤ」
 と、母と2つ違いの弟に自慢げに、話した。
 母が笑いながら、アジウリを切ってくれ、弟と縁側で、頬張った。頬を濡らしながら。
 旭岳が、残照に輝いていたのを、想い出す。

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