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「自助」【エッセイ・ツブヤキ】一四〇〇字

 ものを書く者として、五本に一本ぐらいは、為政者が嫌がることも書かないと、“筆が腐る”と、エッセイの私の師匠がおっしゃる。『愛の不時着』の全十六話を観終わったので、そろそろ中毒から脱して—————。
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 「ハンコ廃止」、「縦割り行政打破」、「行政のデジタル化」、「携帯電話料金の引き下げ」、「不妊治療保険適用」などと、打ち上げ花火は、総論でOK、各論は未知数。だけど、案の定、発足早々に本性が露呈した問題が発生している。「学術会議問題」、「『記録を残すのは当然』削除問題」である。「一難去ってまた一難」と言うかたもいらっしゃるが、前途「多難」と思わせる出来事だ。「モリカケ」「サクラ」なども、「前任者が代わったのだから、もういいだろう」と擁護する発言もあるだろうが、ご破算になったわけじゃない。「共犯」であったのだから、追及すべきだ。
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 さらに、彼の基本姿勢についてスルーできないことがあるので、ここで書いておきたい。
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 「まず自分で努力してください。それでもできないなら、家族、親戚、友達で助け合ってください。それでもできないなら、そこで国の出番です」と、「公」のリーダーのある方が宣った。さすがに苦労してきた人らしい、お言葉である。なかなか言えたものじゃない。
 苦労人には次のタイプがあるようだ。「私にできたのだから、あなたもできない筈はない」と、突き放すタイプ。「私が苦労してきたから、あなたの気持ちはよくわかるよ」と、寄り添うタイプ、である。「ある方」は、前者になるだろうか。しかも、「自助」で一国のリーダーに上りつめたと、言わんばかりだ。
 秀吉を連想する。信長についているときは、気遣いの人を装い、出世するにつれ、自分に歯向かう部下(官僚)は冷遇する。太閤検地では、逆らった農民は「撫で斬り」にする。
 私の場合、(悠々自適までいかないが)幸いどうにかなるかも(と期待している)。そもそも、親や友、スタッフなどの助けはあったが、「公助」なんて、はなから期待して生きてこなかった。べらぼうな「みかじめ料」を取られ、この国に住まわせてもらい、医療や年金などの恩恵はあるが、その分払ってきた。
 「自助」も必要。しかし、努力しようにも、にっちもさっちもいかないひとが多いのではないか。シャンパン・タワーで潤っただろうか。しずくほどもなかったのではないか。昨年、「老後三千万円問題」があった。その額でさえも足りるかの疑問もあるし、蓄えを準備できるひとがどれほどいるのか。「一揆」が起きても不思議じゃないのに、おとなしいひとが多い。成長戦略会議の竹中平蔵が主張するようなベーシック・インカムじゃなく(一人七万円で最低限の生活ができる?)、北欧などのように、税は高くても、老後を心配しなくて済むような社会を選択することも、可能なのだけど。望まなければ、実現しない。
 「公助」というのは、「自助」でもどうにかなるような、「共助」し合えるような仕組みを作り、将来の不安がなく仕合せに生きていけるように、必死になって努力することではないか。「みかじめ料」を、有効に使って。
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 「筆」が、いや「キー」が腐らないように今後も書き続けたい、と思う。
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 (因みに『愛の不時着』では、ティッシュが一箱なくなりました・・・)

 画像:ウィキペディアから豊臣秀吉像(狩野光信筆 高台寺蔵)

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