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結核病棟(5の4)【エッセイ】二四〇〇字

結核病棟(5の3)の続きです。

                  ※
 高見沢さんは、中学の野球部でマネジャーをやってくれていた。
 滝川からバスで30分の町・雨竜町で1校しかない、学年4クラスの中学校。農業が中心の町で、彼女も農家の子だった。勉強はできたほうなので、進学校である滝川高校にも合格できたと思う。しかし、准看護学校に進み、正看護婦の道を選んだ。貧しかったようで、親に気を遣ったのだろう。そんな心遣いをする優しい子だった。マネジャーも懸命にやってくれ、部員を見守る、そう飛雄馬を見守る“明子さん”。練習の後も、トンボ(大型の竹とんぼのようなT字型の地面をならす道具)で、部員と一緒になってグラウンドを整備してくれていた。
 准看護学校生は、滝高の定時制にも通い高卒の資格を得て正看護婦を目指す。なので、高校で見かけたことがある。まだ野球部に在籍していた頃。彼女が通学時に、グラウンドの隅で、練習を見てくれている姿があった。退部後の演劇部では、練習は5時前に終わることがあるので、帰宅する途中で出会ったことも。
 バレーコートで見かけたとき、彼女はすでに准看護婦になっており、休憩中に後輩の中に混ざって運動していたのだろう。研修が終わり、6月初めから結核病棟に配属されてきた。同僚は、彼女の出身中学は知っているだろうから、私と知り合いであることは分かっていた。そのことが関係しているのか、担当は1階だった。なので、集会室での行事があるときか、風呂に行くときにたまに出会い、野球部時代のことを立ち話する程度だった。
 2階の担当は、憶えているのは(婦長さんを除くと)4人。リーダー格、正看護婦の田中さん。ザーマス奥様風のメガネをかけているので、あだ名は“ザーマス”。30歳くらいだったような。かなりの文学好き。棚にある本を見て、「大江、好き?」と訊かれたことも。「まあね。大江を読んでいないと相手にされないからなあ」なんて、鼻を拡げる。『万延元年のフットボール』も、難航しているのに。
 そして、吉田さん。あだ名は“よひこ”。名は良子よしこなのだが、「し」を「ひ」と発音するところから。生まれも育ちも北海道なので国訛りということではなく、愛嬌で言っているうちに治らなくなったようだ。「どうして?」というところを、「どうひて?」。「よしてよ」を、「よひてよ」、となる。なので、みんなはからかって「し」を「ひ」と言わせようとするのだった。それでも、正看護婦。丸メガネをかける楽しい20代半ばのひと。
 あと、准看学校を出て、アパートに同居している、野宇さんと沢田さん。1つ年上の、4月からは4年生。卒業し、実務経験を積んだ後、正看護婦試験の受験資格を目指している。
 野宇さんは、ショートカット。いま思うと、“蛍”役の中嶋朋子に似ている。あだ名は“のうちゃん”。沢田さんのあだ名は“さわっち”。ハキハキしていて、“のうちゃん”のお姉さん役。二人ともテニス好きなようで、仲が良かった。病棟前のテニスコートで二人がラリーしている姿をよく見かけていた。

 退院4週間前になった6月。ようやく『万延元年のフットボール』を読む余裕ができページを進めていたとき、湯呑を倒してしまい本の左側にお茶がかかってしまった。病室に来ていた“のうちゃん”が、すぐにタオルで拭いてくれた。さすがのフットワーク。しかし、読んでいないページの部分が、ブヨブヨに歪んでしまった。それからは、日本文学全集や、母に自宅から持ってきてもらったギリシャ悲劇などの戯曲を読んでいた。大江と違って、読むペースがあがった。

 ある日、白木さんも松田さんもいないとき、“のうちゃん”が入ってきた。
「菊地くん、演劇部だったでしょ?」
「うん、いちおう」
「文化祭の劇、観たよ。それから、練習しているとこも。教室まで、声がすこし聞こえるんだ」
 演劇部は、11月にある予選の参加作品を、初夏あたりから練習を始め、9月の文化祭が予行練習になる。その年は、郵便局が舞台で、私は社会問題に無力さを感じている法学部のアルバイト学生役だった。
「あ、そうなんだ、いやあ~恥ずかしいなあ・・・」(笑
「俳優を目指すの?」
「うん、いちおう」
「新劇?」
「うん。俳優座養成所に入りたかったんだけど。去年で桐朋学園の演劇学科になっちゃって。そこ学費が高いから。早稲田の演劇に行ければと思ってる」
「そうなんだ・・・。私も演劇、興味あるんだ。准看護校じゃなく滝高に入っていたら、演劇部に入っていたかも」
「そうか。だったら良かったなあ~」
「うん。このまえ札幌に『夕鶴』がきたとき、行ったんだ」
「あ、ほんと? それ、すごいよ! 山本安英と宇野重吉?」
「そう」

『夕鶴』 山本安英と宇野重吉

「棚に木下順二の本があるの、知っていたんだ」と、指をさす。
 未来社の木下順二作品集を何冊か本箱に置いていた。
「あ、読む? いいよ貸すよ。来週、戻してくれればいいよ。また、別のを貸すよ」
 1週間に一冊のペースで貸すことになった。その都度、彼女の感想を聞いていた。と言っても、長くは話せない。一言、二言。
 しかし、それも残り1冊になった。

 6月半ばを過ぎ、北海道でも暑い日が続いていた。野球部のときは予選突破に向けて、半ば日射病。水も飲めずに遅い時間まで猛練習が続いていたことを想い出していた———。

 すると、階段を急いで上がってくるパンプスの音。引き戸が開いた。高見沢さんが、涙目で、直立不動で立っていた。

(つづく、たぶん、いやきっと)


(つぶやき)

昨日の朝日新聞朝刊の「天声人語」。

桐野夏生の『日没』、が浮かんだ。

 ミャンマーなど日本よりもヒドイ国はある。日本はいいほうと考えるか、日本よりも上の国はたくさんある。「人権」についてもっともっと学ばないと、考えるかそれが問題だ。「人権」も「政治」もね。

 その上には、鷲田さんのコラムが・・・。

塀の中も外も・・・

(つぶやき2)
ワタクシの主張が記事に(笑

本日の朝日新聞朝刊 社会面


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