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ガラッと変わる、音楽とは何か / コンサートとは何か。——釜ヶ崎芸術大学×アミーキティア管弦楽団

【2022.05.29 追記】
本稿は、別のnote記事「釜ヶ崎でアミオケが見つけた、オーケストラのもうひとつの形【再掲】」において改稿されました。内容はほぼ同じですが、最新のものについてはそちらをご覧ください。

僕たちアミーキティア管弦楽団は、年に一度のホールコンサートのほかに、年に数回、アンサンブルコンサートや地域の皆さんと作るコンサートを企画しています。その最初のきっかけとなったのが、2017年から開始して、今年の10月に3回目を迎えます、NPO法人こえとことばとこころの部屋(通称:ココルーム)が主催する釜ヶ崎芸術大学という企画の一環で開かれている「オーケストラ!音楽とことばの庭」というコンサートでした。アミオケが釜ヶ崎でコンサートをやっている、というくらいは少しずついろんな方々に知っていただくようになりましたが、今回は、そのコンサートで一体僕たちが何をしているのかについて少し書きたいと思います。

釜ヶ崎とは

本題に入る前にまず、この会場である釜ヶ崎という地域について簡単に説明しておきたいと思います。釜ヶ崎とは、大阪市西成区の一角を指す名称で、いわゆる労働者の町として、名前だけは全国的に有名な地域です。僕は大阪出身で、小さい頃から「危ない地域」だと言われて育ってきました。そして大阪に住む方であればほとんどがそのように教えられてきたことだと思います。これまで数回にわたる大規模な暴動事件の発生、貧困ビジネスの跋扈、路上生活者が多く暮らす光景などが、大阪の人びとにそのような印象を抱かせてきました。

ただそもそもこの背景には、高度経済成長期にいっきに高まった大阪の労働需要を、全国からこの町に集まった労働者たちが支えていたという過去があります。当時は大阪万博もあって好景気で、日雇いながらに仕事があった彼らでしたが、成長期以後は失業者がたくさん生まれ、今度は一転して生活保護などの社会保障を受ける人々の暮らす町に変わりました。今は紙幅の関係から最低限の説明の仕方をしましたが、このようなシンプルさには収まらない苛烈さを、この町とこの町に暮らす人びとは抱えてきました。有名な暴動事件についても、かつての劣悪な労働環境にたいする怒りが元凶であり、現在でも生活保護受給者を狙う貧困ビジネスや、「西成」とひとくくりにされて起こる現地住民への差別などがなくなることはありません。こうした背景はかつて労働者だった彼ら一人ひとりの個人の問題を大きく超えて社会の構造と認識の問題であるという方が正しいでしょう。また今この地域に暮らす人びとの中には、どこかほかの地域から、様々な事情を抱えて故郷を離れることになりこの地域にたどり着いた人も多くいます。「釜ヶ崎」とは、そうした人びとが今を生きる町としてのシンボルと言えます。

そしてこの釜ヶ崎は今、一方で高齢化によってかつての労働者の数も減り、他方で地域の再開発や観光地化によって景色が変わりつつあります。つまり、この町は今変わり目を迎えているのです。しかしながらそれは素直にいい話というわけではありません。資本主義や産業社会の矛盾を引き受けたと言っても間違いではない彼らやこの地域が、その認識がない外部社会からただ単に危ないと言われ、自己責任だと言われ、その先にあるのが再開発と観光地化であるというのは、誰にその意図があろうとなかろうと、あたかも「かつてのことがなかったことのようにされようとしている」というのが今の状況です。そして当然今もこの地域に暮らす人びとがいます。その彼らがありのままで語り生きていくことがいかに可能かということに、主に表現(アート)という側面から向き合っているのがココルームであり代表の上田假奈代さんであるというのが、僕の理解です。

このココルームとは、商店街の一角にゲストハウスとカフェを構える形で(上田さんはいつも「カフェの『ふりをしている』と」言います)、釜ヶ崎の中で人びとの表現と出会いの場を作ろうと様々なワークショップを継続的に開催しているアート系NPOです。2003年に大阪市の事業としてかつてのフェスティバルゲート内で始まったココルームは、事業終了をきっかけとして2008年に商店街内に拠点を移しました。そのココルームのメイン事業のひとつが、釜ヶ崎芸術大学(通称:釜芸)です。2012年から正式にスタートしたこの事業は、「学びたい人が集まれば、そこが大学になる」をコンセプトに、ココルームをはじめ地域の様々な施設を会場にして、釜ヶ崎の人びとや釜ヶ崎を訪れる人びとを対象に、天文学、芸術、詩、音楽、俳句などの講義やワークショップを無料で実施してきました。釜ヶ崎の人びとの創作活動はしだいに注目されるようになり、2014年には、釜芸として横浜トリエンナーレにも招聘参加していました。僕がココルームおよび上田さんと出会ったのは2017年の夏ごろで、当時ココルームにインターンをしていた友人の発案で、ココルームでオーケストラのコンサートをしてはどうかという話になったのがきっかけでした。その時まで僕は、多くの人と同じく大阪に住んでいながらまともに釜ヶ崎を歩いたことがなく、これをきっかけにいくつかの考え方が大きく変わります。そしてその中には、僕の音楽観の変化もありました。

釜ヶ崎のど真ん中でコンサートを開く

このコンサートでは、クラシック音楽やオーケストラとして有名な作品を数曲演奏するほか、それまで釜芸のワークショップで音楽家の野村誠さんが釜芸の参加者たちと一緒に作った合唱歌を、改めて僕たちがオーケストラ曲に直させてもらい、当日釜芸の皆さんと一緒に演奏して歌うという内容になっています。参加者たちが好きに歌った詩やメロディから構成されるこの曲は、どれもかなりいい意味で「変」で一度聴いたら忘れられない中毒性があります。もちろんその完成度は野村さんの高度な技術が裏打ちするものですが、釜ヶ崎や釜ヶ崎にやってきた人びとの個性がぞんぶんに発揮されたからこその「名曲」だと、僕は思っています。

またこのコンサートは、ココルームの中庭を会場としています。残念ながら一回目は雨が降っていたので、軒下に避難して開催しました。それでも半ば屋外という環境です。二回目は今度はカンカン照りで、それはそれでまずいということで、やはり軒下に演奏場所を移しました。余談ですが僕は天候運が極めて悪く、この二回の環境に加えて、三回の台風と一回の大雪警報を引き当てております。すべて直前で何とかなったからよかったものの、このためアミオケは常に「晴女」「晴男」メンバーを募集しております。笑

そして本番当日は、屋外に配置された僕たちオーケストラを囲むように「お客さま」が入ります。なおこの「お客さま」はここでは、このコンサートが釜芸の講座の一環であること、そして何よりこれから釜芸の合唱歌を一緒に歌いコンサートに参加してくれる人たちであることから、釜芸参加者と呼ぶ方が適切なので、以降はそのように書くことにします。

まあこの本番の盛り上がりったらないと思います。控えめに言って最高です。皆さん普段ピアノ伴奏で歌っている歌ですし、そもそも自分たちが作った歌なので、大得意で歌ってくれます。ただ本当に誰も指揮を見ない。笑 毎年この時だけは、このコンサート強い思い入れを持った僕が指揮を振らせていただいているのですが、みんな普段から相当自由に歌ってきているので、指揮に合わせるという前提がなく、オケと合唱とでバランスを取りながら指揮を振ることになります。ただその中で、普通では考えられない熱気やエネルギーが現場に満たされます。それぞれが思いっきり歌うことを楽しんでいるからです。それはとてもエキサイティングな「合唱コンチェルト」なのです。

オーケストラが「会いに来る」

近年、一般にアートと呼ばれる行為――音楽、絵画、彫刻、ダンス…etc.――について、創作の結果だけではなく、そこに至るまでのプロセスに芸術性を見いだしたり、そうしたプロセスに関わった人たちが何かしらの影響を受けて変容することで社会課題の解決の糸口を探ったり、またそうした新しい方向性から生まれた作品を、アートのひとつとして積極的に評価しようとしたりする動向が存在しています。釜ヶ崎芸術大学もそうした流れの中で評価されている側面があり、また例えばオーケストラの世界では、以前のnoteで紹介した日本センチュリー交響楽団(以下、センチュリー響)の「お茶の間オーケストラ」(団地高齢者の居場所づくり)や「the work」(若者の就労支援)に加えて、琉球フィルハーモニックオーケストラの主催する「ジュニアジャズオーケストラ」(子供の居場所づくりと見守り)が事例として存在しています。どれも実際に取り組んでいる方にお話を伺う機会があり、アミオケの活動はそうしたプロフェッショナルの背中を見て、そしてこのような現代アートの動向を意識することで支えられていると言えます。一時期にわかに立ち上がった「文化芸術は社会に何ができるのか」という問いをオーケストラなりに真剣に追求した結果としてこうした取り組みが存在しており、またジャンルを超えてこうした流れに共鳴する人びととして、先ほど紹介した楽団の担当者の皆さんやアーツカウンシル、そしてココルームの上田さんは同じような空間にいて、現代の文化芸術業界のいちシーンを作っているという構造があります(そうしようとしている、というよりかは、結果として、という方が正しいような気がします)。

その方々のうちのおひとりが以前「オーケストラに会いに来てもらいたいならば、まずオーケストラから会いに行かなくてはなりません」という言葉を紹介していました。これは、社会の中でオーケストラが何を成すことができるのかを、自分たち自身が考え、動いていく必要がある、ということの表現だと、僕は受け取りました。そして僕はこのことを、表現の次元で、そして字義通りの次元で実践する取り組みとして、オーケストラに釜ヶ崎と出会ってもらうことを始めました。

当然のことながら、ある地域で演奏をするということは、演奏者がその地域を訪れるきっかけにもなります。そしてこの釜ヶ崎という地域は、他の地域と比べて一段と、きっかけがなければ来ることがない場所です。

他方で、今まさに町が変わろうとしています。数年たてば景色はがらりと変わるとすら言われています。こうした時期にこの地域を訪れて、地域の人びとと交流をして、さらに一緒に演奏をしたという思い出を共有することで、シンボルとしての釜ヶ崎を、地域を超えてささやかながらつないでいくことができます。とりわけ僕たちアミオケは、日ごろは多くの人と同じく社会で様々な役割を持って暮らしています。そうした人びとがこのコンサートへの参加をきっかけにこの地域を知り、気になるようになり、あるいはまた訪れる場所になることは、他でもない演奏者自身が、自分たちの世界観を広げるきっかけとなっていると言えます。それは僕たちアミオケが掲げる、「音楽で、いろんな世界に出会おう。」というコンセプトそのものです。

そのとき僕たちができる最高の音楽

そして「オーケストラから会いに行く」ことで僕たちは、その地域のことを知るだけではなくて、クラシック音楽やオーケストラについて新しい価値観に気づくことができるようにもなります。

改めて言うまでもないことですが、僕たちはプロフェッショナルの演奏家ではありません。ただそれは音楽を仕事にしていないというだけであって、音楽的・技術的な卓越性の優劣を指しているわけではありません。とはいえ、多くが幼少期から訓練を積み、音楽活動で生きていくことができる程度に日々勉強して努力をしてきたプロフェッショナルは、事実として音楽的にも技術的にも卓越しているはずだと言えます。他方で、例えばいわゆる子どもたちは、周囲を気にすることなく、技術とは無関係のところで歌ったり、絵を描いたりすることがあります。つまり、プロフェッショナルが最高度に訓練されているがゆえにクリエイティブであるのに対して、子どもは全く訓練されていないがゆえにクリエイティブだということができます。

僕たちプロではない音楽家は、この両端の間のどこかに位置しています。それは誤解を恐れずに言えば、いわゆる子どものように振り切れるには学習されていることが邪魔になるし、他方でいわゆるプロのように自在に身体を操るまでにはなれない、僕たちは「一般論として」そういう音楽家であるということです。

そうであるから僕たちは、自分たちのしている音楽を評価する基準として、音楽教育で身に着けた三大要素、つまりリズム・音程・メロディを用いることが、どうしても多くなってしまいます。急いで断っておきたいことは、それがおかしいとか間違っているとか、そういうことではありません。この三大要素について、それが必要な作品である場合に(ほとんどが必要です)それが全くないのであれば、それは端的に「聴くに堪えない音楽」です。そのように作品として成立していない場合、それは誰のためにもなりません。

それでも僕たちは、その三大要素が実現できているかの範疇でばかり音楽を考えるくせがあるということもまた事実です。より正確に言えば、これら以外の基準でも僕たちは音楽について考えることはできるのですが、そのきっかけが実は少ないということです。この要素をいかに実現できているかどうかについて心のどこかで誰かと比べてしまう気持ちは、一方でそれはその人の向上心ではありますが、他方では、きちんとした演奏に向けてのプレッシャーや、それまで受けてきた音楽教育環境が、その人をそのように思わせてしまう面も大いにあるわけです。そうしたことから一旦自由になり表現するための仕掛けが、実は僕たちには時として必要なのです。

さて、すでにお話した通り、このコンサートの会場は屋外です。屋外で演奏するということは、反響がほとんど期待できず音が散ってしまうということです。さらには気温も室内と比べると不安定で、簡単に上がったり下がったりします。加えて、釜芸参加者の皆さんは基本的に指揮を見ません。インテンポで行かないこと、妙なルバートがかかることはしょっちゅうあります。つまり、この環境の中で、音程やリズムを強く意識することは、極論すれば無意味だということです。もちろん汚い音でいいわけがありませんし、僕たちもできることはやります。けれどもそこばかり気にしていても最終的にはどうしようもないのが、この環境なのです。

その代わりに、さきほど「合唱コンチェルト」と言ったように、その時に目の前にいる人びとの歌声とどのように音楽的に演奏を合わせていき、またその場の熱気や雰囲気にどのように乗っていくことができるかということに、僕たちは意識を集中することになります。つまりこのコンサートは、いま僕たちができる最高の音楽とは何だろうか、ということに向けて強制的に身体が動く環境で成立しているということです。結果として、録音を聴けば頭を抱えたくなるところが少なからずあるにもかかわらず、居合わせた全員が間違いなく「あれは楽しかった」というコンサートになりました。くり返しますが僕たちには演奏上の責任があり、それを放棄するわけでは全くありません。しかし普段であれば意識から漏れてしまう「そのとき僕たちができる最高の音楽を作る」という身体の動かし方を体験する、きわめて音楽的に重要な機会だと僕は考えています。そしてそれは、日ごろから自由に好きなように歌う釜ヶ崎の皆さんとともに作るコンサートだからできることで、つまりは僕たちの方こそが釜芸から学ぶコンサートだということです。

その場所にとって意味のある作品を選ぶ

もうひとつ僕がこのコンサートで大切にしているのが、演奏するクラシック音楽の選び方です。ここでは具体例として、2017年の第1回目、そして次の第3回目で取り上げる、ヨハン・シュトラウス二世「美しく青きドナウ」について少し書きたいと思います。

あまり知られていないことなのですが、この作品は次のような歌詞のついたとある合唱歌をルーツに持っています。

(前略)……時代なんて気にするな / こんな、時代なんざ! / 悲しんだって、どうしようもない / そうだな、そのとおりよ! / 苦しんだって、悩んだって、何の役にも立ちゃしないだろう? / だから、楽しく愉快にいこうぜ!

小宮正安『ヨハン・シュトラウス:ワルツ王と落日のウィーン』中公新書2000年, pp.124-5.

歌詞を付けたのはヨーゼフ・ヴァイルという人物で、曲自体はもともとウィーン男声合唱協会にシュトラウス二世が贈ったワルツでした。それがのちにシュトラウス二世自身の手によってオーケストラ編曲され、改めて荘厳な歌詞が付いたことから、今ではオーストリア第二の国家とまで言われるようになりました。

そしてこの歌詞は、当時プロイセンとの戦争に敗北し、気持ちのやり場のなくなったウィーン市民たちを慰める意味が込められていました。加えて当時は次第に労働者階級が社会進出をするようになり、これまでの社会構造にも変化が表れてきており、その意味でも「市民」が追い詰められていた時代でした。

僕たちは今も昔も、政治や経済というどうしようもなく強いうねりに、しばしば巻き込まれます。そして19世紀のウィーンにも、今日の釜ヶ崎にも、そうした中で一歩ずつ、人びとが自分らしい毎日を暮らしていくというリアルな人生が存在していました / います。「美しく青きドナウ」を演奏することは、僕たちが釜ヶ崎をこのように理解しているというひとつのメッセージです。さらにはこうした背景を持っているがゆえに、この作品が時空を超えて、現代の釜ヶ崎で演奏される意味があるのです。そしてお分かりいただけるように、僕はこのように、コンサートにおける曲選びの方法として、このように作品とコンサートとがそれぞれ持つ背景を重ねていくということを、ひとつの手法として大切にしています。

ホールを出る

さきほど紹介した「オーケストラから会いに行く」ということを僕なりに言い換えるとすればそれは「ホールを出る」ということです。

この「ホールを出る」というのは、これまで僕たちがクラシック音楽やオーケストラに取り組むうえで当たり前だと思ってきたことを疑うということの表現です。曲の選び方、演奏の仕方、そして音楽とは何か、オーケストラとは何か。僕たちにはこれらをすべてパラメータだと思って操作する自由があります。その中では、「コンサートホールで演奏する」ということも何かの理由に基づいて選択される、という考え方すらあるわけです。

そうした先に新しい人と出会い、社会と出会い、音楽と出会う。これはひとえに大変豊かなことだと僕は思っています。そしてここでの出会いを踏まえて、もう一度普段の音楽活動に戻ったとき、きっと更なる発見があるはずです。なので仮にアミオケにばかり来てくれる人がいたとして、僕はその人には「たまにはカタギに戻りや」と声を掛けなければならないとは思っています。笑……いずれにしても、このコンサートには、ひとつふたつではない色んな気づきが僕たちを待ってくれています。そして次の第3回目は、釜ヶ崎の紙芝居劇団むすびさんとコラボして、紙芝居劇にオーケストラを付けてパフォーマンスをします。これも本当に楽しいコンサートになると思います。近々募集が始まりますので、演奏者の皆さんは是非ご参加ください。そして楽器をやらない方も、是非歌いに来ていただきたいと思います。釜芸で一緒に盛り上がりましょう!

第2回コンサート終演後の様子

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