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オーケストラの中で起きていることを価値に変える:コンサートの企画をするうえで考えていること③

少し空きましたが、前回(①について)と前々回(②について)に引き続いて、僕がアミーキティア管弦楽団(以下、アミオケ)を企画するうえで考えている三つの方向性について、お話します。
改めてその三つとは、
①企画重視、音楽を届けるメディアとしてのコンサート
②開かれた場所
③社会装置としてのコンサート

で、今回は③について書きたいと思います。
なおひとつお断りなのですが、上記のように①②③と書いていますが、つい先日からそれぞれに少し違う言葉を与え直したので、それについては最後にまとめて書きたいと思います。

僕たちの価値はどこにあるのか

ここ十数年、とりわけクラシック音楽業界・オーケストラ業界を取り巻く環境(主に経済的環境)は、あまり芳しいものではありません。いくら音楽が市民に開かれてきたとはいえ、コンサートを聴きに行くにしても、楽器を演奏するにしても、何かとお金がかかるのが僕たちの世界です。社会全体として懐にも心にも余裕があった時代であれば、クラシック音楽が好きな人はもちろん、必ずしもそうではない人たちであっても、動機は様々だとしても、コンサートに足を運ぶことがまだ多かったことと思います。それが一転、社会に色んな意味で余裕がなくなると、機能的にいまいちピンとこないものにはお金を払わない、なんてことは普通に起こりますし、実際クラシック音楽だけでなく多くの芸術分野が、ここしばらく苦労を重ねていることは、誰もがそれなりに想像できるのではないでしょうか。

それでも僕たちは、そんな人びとのことを掌返しだなんていってはいけないと思うのです。それどころか「お金があるときにだけ理解される」といった程度の価値しか僕たちは発信出来てこなかったのではないかと、きわめて重たく受け止める必要があるとすら思います。

とはいえ、実はこうしたことは釈迦に説法です。すでに多くの芸術家たちが何年も前から、こうした問題に向き合ってきました。そしてそのひとつの応答として参考にされたのが、社会関与型アート(Socially Engaged Art)といわれるものです。これは簡単にいえば、創作プロセスに芸術家以外の人びとを巻き込み、その人たちに何らかの働きかけをすることで、社会課題に応答したり、社会に問題提起をしたりする行為のことで、クラシック音楽の世界ではなくいわゆる(現代)アートの世界(=アートワールド)で取り扱われている概念といえます。たとえば身近なところでいえば、日本センチュリー交響楽団(以下、センチュリー響)は、音楽ワークショップを通じて団地高齢者の居場所づくりや(「お茶の間オーケストラ」)、若者の就労支援(「the work」)を行っています。僕がこうした取り組みに出会ったのは、2017年8月に企画したトークイベントで仕掛け人の柿塚拓真さんとご一緒したときなのですが、その頃から僕は、ココルームなどいわゆる「(現代)アート」と呼ばれるジャンルに携わる人びととの交流が始まり、芸術の持つ社会的機能(このように表現することは実は問題のあることなのですが、ここではそのことはいったん無視してもらえると助かります)について、高い関心を持つようになりました。

オーケストラはこれまで、いい作品をいい演奏で届けること、その一点に心を砕いてきたといってもいい過ぎではないでしょう。そしてそのことが社会貢献だと信じてきました。もちろんそれは今もその通りです。ただその上で、そうしたこととは別に僕たちが提示できる社会的価値をもっと幅広く考えていきたいというモチベーションが生まれたのは、こうした出会いからでした。

市民オーケストラの価値は「人」「演奏者自身」

僕にとっての課題は、市民オーケストラ(アマチュア)が作ることができる価値を探すことでした。先ほど挙げたような例は、最終的なところでプロの技術や経験が、その質を担保しています。プロが非専門家の人びととアンサンブルをする中で彼ら / 彼女らが楽器を鳴らしたときに発せられた音(=表現)を作品としてまとめ上げるためには、やはり作曲や演奏、ファシリテーションについて高度な技術が必要です。そういったことが自分たちには全くできないとは思いませんが、それと同じラインに立っていても仕方がない。僕はもっと根本的に僕たちにしかできないことを探しました。そして出たひとつの結論は、道義反復ではありますが、「プロではない」ということでした。

ここでの「プロではない」とは、職業としての音楽家ではない / 音楽で生計を立ててはいないという意味であって、それ以外の意味は一切含みません。つまり市民オーケストラとは、普段はサラリーマン、学校の先生、弁護士、エンジニア、家事従事、研究者、大学生など、社会の中で様々な職業・役割を担った人びとの集まりです。そうした人びとがひとつの目的で一か所に集まって創作プロセスを共有するのが、僕たち市民オーケストラが行っていることです。

日ごろ僕たちはこうした環境に慣れすぎていますが、冷静に考えると割とすごいことが起こっているわけです。もちろん、クラシック音楽やオーケストラにアクセスできる層が代表しえないソサイエティもあります。しかしながら、ある程度の多様性をもった集まりとして創作プロセスを共有していること、これが僕たちの財産なのではないかと、あるとき強く思いました。

オーケストラの価値を子どもたちと結ぶ
~けいほく うたと未来コンサートの事例から~

僕は今、京都市の職員として右京区京北地域で、いわゆるまちづくり活動に携わっています。2005年に旧京北町から京都市に編入合併したこの地域は、大阪市ほどの面積に約4600人が住む山間地域です。豊かな歴史・自然を有する一方、人口減少は多分に漏れず深刻で、年間100人から150人が減り、特に20代と30代が極端に少ない、コミュニティ維持の面で大きな問題に直面している地域です。僕は7月からこの地域の人びととかかわる中で提案させてもらい、多くの協力の中で実現したコンサートが、1月27日開催「けいほく うたと未来コンサート」でした。

このコンサートでは、僕たちアミオケが京北地域の中高生とともに、ポップすや地元の学校の校歌などを、オーケストラに編曲して一緒に合奏・歌うというものでした。参加生徒が吹奏楽部員であれば楽器で、そうでなければ歌で参加してもらいました。

そしてこの本番は、アミオケ奏者と中高生とのキャリアワークショップを同時に行うという構成になっていました。午前中の2時間、ゲームを通してお互いが進路や仕事、これからの地域とのかかわり方について、インタビュー形式で話し合っていきました。ところで、特に山間地域だけに限る話ではなく、どの地域にとっても若者は次の世代の希望です。その若者の無限の可能性を後押しするのは、様々な生き方・考え方に触れる機会、そして「未来」について考え、話すきっかけです。僕は仕事として地域とかかわる中で、その若者たちのためになる企画を、自分がこれまで携わってきたオーケストラの中で作ってみたいと思い、このコンサートを開催させてもらいました。

ワークショップでは、奏者から中高生にたいしては、「町長になったら何がしたい?」「10年後の自分に聞いてみたいことは?」と聞いたり、反対に中高生から奏者にたいしては、「人生を変えた出会いはありますか?」「仕事って何のためにするんですか?」と聞いたりしました。最初はみんな緊張していたのですが、次第に打ち解けてくると、普段考えていたことがたくさん出てきているのが分かります。奏者も中高生もみんなとてもいい顔をしていました。

このワークショップは、僕たちがアマチュアだからできたことです。いろんな経験や経歴があるからこそ、話す言葉には説得力があります。加えて、近頃は仕事をしながら音楽を続けることのハードルが、一昔前よりも上がっていると思います。それは社会の中でライフスタイル・ワークスタイルが一定ではなくなってきたからです。なので今のアマチュア音楽家は、決して余裕のある人びとの集まりというわけでは必ずしもなく、むしろ相当やりくりをして活動を続けている人がたくさんいます――それでも社会的にはアッパークラスじゃないか、というご指摘は甘んじて受けながらも、やや今の本筋からはそれています。

そうであるので、アマチュア演奏家とは、その存在自体が、若者たちにとってひとつの生き方のモデルなのです。そして僕はこの企画を通して演奏者の皆さんに、日頃そのように様々な日常生活・社会的役割を持ちながら音楽をしているその在り方にまず価値があるのだということを伝えたかったのです。

アマチュアの作る音楽

そしてこうしたことは、ただ社会的・機能的に有用であるということにとどまらないと僕は考えています。この日はワークショップのあと、直前合奏を二回に分けて行い、夕方に1時間程度の本番を開きました。その練習風景を見てわかるのは、ワークショップを通して奏者と中高生との間に、少なからず良好な関係性ができているということでした。そして終演後の控室では、奏者が参加生徒のことを下の名前で呼んでいる声も聞こえてきました。

こうした関係性が、合奏・アンサンブルには大変重要であるということは、楽器をやらない方にもいくらか想像がつくと思います。そして、あのワークショップがあったからこうした関係ができて、だからこそできたアンサンブルが本番にはあったと、僕は思います。なので、精密に検証できる話ではありませんが、あの本番はやはり、プロではない僕たちだからこそ作れた本番でした。それはつまり、僕たち市民音楽家の日ごろの生き方・あり方が作った音楽であったといえます。

改めてアミオケの三つの方向性について

さて、手前味噌もそろそろ終わりにしないと、さすがに嫌になる方も出てきそうです。もっとも僕がこのようにいかに言葉を尽くして企画を作りこんだとしても、アイデアを社会実装した結果を見たとき、それが言葉通りになることなどほとんどありません。ましてやこれは評価の難しいテーマで、どこまで僕のいっていることがそうなのかは、本当はもっと結論を俟つ必要があるとも思います。ただアイデアはプロトタイプにして初めて理解できるし、その理解がなければさらにいいものは作れません。その意味で、今回の企画実施に協力してくださったすべての方々、特に参加してくれた生徒の皆さんには、本当に感謝しています。僕は第一に京北のために何ができるかを考えて立てた企画ではありましたが、結果的に僕の音楽活動にこのようなヒントを与えてくれたことになり、とてもありがたく感じています。

これまで三回に分けて、アミオケの三つの方向性について詳しく書いてきました。すべてに目を通していただいた方にはプレゼントを!というのは冗談ですが、もしそういう方がいるのならば本当に感謝いたします。差し支えなければご意見・ご感想をお寄せください。

そして冒頭にもお伝えした通り、今はこの三つについて、もう少し別の言葉を与えています。そしてこの言葉で確定して公式ホームページに掲載しています。(といっておきながらすぐに変わっていたらごめんなさい。)

改めて僕たちは、次の三つを活動の軸として、アマチュアの立場から、クラシック音楽やオーケストラの作ることができる「面白さ」や「価値」の幅を広げていこうとしています。
①何がしたいかがいえるコンサートを作る
②人の価値ある集まり方を作る
③オーケストラの中で起きていることを社会的価値に変える仕組みを作る

こうしたことの先に、あらゆる演奏者やお客さま、地域社会が、クラシック音楽やオーケストラを通して、これまでに触れることのなかったいろんな世界に出会ってほしいと願っています。

なので僕たちのコンセプトは、《音楽で、いろんな世界に出会おう。》です。改めまして、僕たちアミオケをどうぞよろしくお願いいたします。

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