見出し画像

両親と仕事

起業してからの5年間は、食のPGMや高齢者の見守りサービスの役員就任、地元発のベンチャーや海外メディアの日本版の設立、著名マーケターとの起業、出版社を買収し再編する企業での役員など、色々あった。ただ、5年という月日は長い。もっとできただろう。前よりは進んでいる。

「メディア M&A」で検索すると上位に来るサイトを作り、メディアのM&A領域に取り組もうとしたこともあった。基本的に僕がやっていることは、取材とイベントと人を繋ぐことと。そこが起点な気がする。それによって、繋がりだったり、情報が集まってくる。そんな循環を作られてきたのかな、と思うが、もう少しやりようはあるのではないか。

僕のイメージとしては、グロービス さんがとっても理想の形だ。スクール事業もあって、ファンドもあり、G1などのカンファレンス運営も行っていて、本当に尊敬しています。スクールの構想は3年前くらいからあって、企画書などはあり、ファンドも同様だったりします。

それに近しい活動が、僕にとってはイードさんとご一緒させていただいているMedia Innovationかもしれないし、もっとやれたこともあるのかもな、と思うと、どうなんだろうと思います。

ただ、なんとなくもう学びの時期はいいかなと思うし、多様な活動をするよりも、自社を大きく育てる、そこの方が大事なのでは、と思ったりするこの頃です。

同世代で同時期に起業した友人などを見ていると、既にEXITも経験して、更なる飛躍を遂げている方々もいます。自身も役員だった会社では資金調達も経験しましたが、いまいち自分の会社?でやったわけでもなく、ピンときていません。

投資も何件かしていますが、プロの方からすれば非常に甘いものでしょう。ソニーグループのファンド部門の内容を見ながら、グローバルに活躍できるか、自分、と想像すると、恐怖を感じます。

一方で、そんなことを考えるだけ考えても仕方がないので、粛々と頑張る。そんな感じですが、思えば大学生の頃を振り返りと、そもそも就職できるか、どうか、という感じでした。

大学の学士はメディアで、メディアに入りたくても入れないと悟ったのが3年生で、編入だったり、大学院に行こうと、遅まきながらひたすら勉強していたのを思い出します。

就職してからは、ものすごく機械が苦手で、今も車の運転などは苦手なのですが、建設機械の営業をしていました。毎日怖かった…ただ、成績を残さないとやりたいところにはいけないし、なんとかして結果を出さなきゃいけない。そう思ってがむしゃらにやったのを思い出します。みんなそうだろうけども。

ただ、それから転職を繰り返すわけですが、新卒当時が残業込みで年収でいうと300万円後半かな?その後、転職した先で300万円となり、基本ベースは330万くらいで過ごしていました。

このままいくと結婚も家庭も持てないんじゃないかな、そういう恐怖がありました。そうした時に、同世代の起業家が上場したり、大型のM&Aをしているのを見て、学生時代に少し関心のあった起業などを志すようになったのでした。

父は銀行員ですし、自分も銀行に入れたらよかったな、そう思うこともありましたが、今はどうでしょう。これでよかった、と思えるかというと、今もちくちく言われることもあるので、なんともどうしたらよかったのかな、と思うことはあります。

ただ、それぞれの場でもっともっと圧倒的に成績を残せたら変わっていたかもしれないし、一方で、当時の人たちと今も会ったり、先輩の方々の現在を知ると、それぞれの道ということで、これはこれでよかったのかな、と思います。

ある種、なるべくしてなっているのかなとも。そうした時に、どうでしょう、どうあったらいいのかな、と色々思うのですが、なんでこんなことを書いているかというと、悩んでいることがあるわけで、そこに葛藤があるので、少し整理したいので、書いています。

本当はこれって公開するのってどうなんですかね、でも、書いてしまっています。

順風満帆でもない、うまくいってもいない、胸を張れることばかりではない、ただ、それぞれの時のことは意外と覚えていて、借りに感じていること、心残りもあるし、それは非常に曖昧で、何も信用に値しない発言と自分でも思うのですが、返していきたいと思ったりしています。

引っかかることは色々ありますが、自分も32歳、そして、33歳になるんですが、どうしましょう。今年の残りもそうですし、あと一年、どうしようかなと思うのですが、そんなことよりも、母が少しだけ元気になったのが何よりも嬉しいです。本当に嬉しいです。心の底から嬉しいです。

そこを考えれば、他のことはどうでもいいくらいで、ムカつくなと思うことも、どうでもいいな、と思うし、でも距離は置きたいなと思ったりしますが、それ以上に本当によかったな、とひたすらに思います。

本当によかった。本当によかった。全部そこが起点となってる。起業したいと思ったのも、就活も、全部、そう。本当に娘には感謝しています。おそらく娘のお陰なんじゃないかと思います。

妻も母が「何も言わなくても分かってくれる」ということを言っていた時に、俺もこうやって育ててもらったのか、と思い出します。

小学校の友人に会えば、「あーそういえば、あの時、こうしてもらったな」と思い出したり、自転車を漕いでいるお母さんとすれ違えば、妹と私を乗せて漕いでくれて転倒した日を思い出します。

実際大変だったと思う、圧倒的に何も言えずに、当たり前を求められ、絶対に失敗は許されない。本当にすごいと思う。毎日怖いし、気が抜けない。大人になってもそうだと思います。

母が僕が大学に入った時に「やっと第二の人生を歩めるわ」と言っていたのが印象的で、結局、歩めているのか、どうなんだろう、と心配になることがあります。

実際、この10年はそれどころではなかったでしょう。全く休まることもなく、それは父も妹も一緒でしょう。そこに対して、僕は貢献したいし、しなければならないし、できることをしたい。

そこが一番のモチベーションであり、優先事項で、そこに集中したいし、そこに繋がることが僕にとっても大事で、そこがあっての日々の生活、仕事だったりします。

自分のやりたいことと、そして、大切にしたいことのバランスをうまくとりながら、失礼のないよう、なんとか頑張らなきゃ、そんな感じです。そこが大事です。

さて、今日はこどもの日ですね。うむ。鯉のぼりについても色々思い出します。本当に。本当に。食事をしていてもそう。いつも量を多く、僕と妹に渡してくれて、食べたいものもそう。

気持ちはすごくわかる、痛いほどわかる。心配で仕方がない。ただ、それをせざるおえないようにも追い込んでいたのではないかとも思う。親の責任、親という重さ、それを僕は今はそうないけれども、受けていた自分としては親に対して思う。申し訳ないし、ひたすらにありがたいな、と。ひたすらにそう。どうにもできない。どうしようもないくらいに。

どうなんだろうな。どうしたものか。どうしたいんだろうか。よくわからないが、今日も頑張りましょう!!!!!!!!!!

この記事が参加している募集

私のコーヒー時間