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2016年3月30日に設立した(株)メディアインキュベート が4年を経過…

2020年3月30日をまもなく迎えようとしています。2016年3月30日に設立した(株)メディアインキュベート 。メディアの新規事業の創造と、メディアを活用した新規事業を作りたいと思い、設立しました。

最初は、記事の作成などを請け負い、創業まもない頃にお世話になった会社さんには、本当に感謝で、今でも覚えています。最近、当時お世話になっていた会社の方とお会いしました。

その方と一緒に最近ハマっているstand.fmを収録すると、社内で聞いていただいていたようで、本当に嬉しく思いました。ありがたいな、と。隔世の感があります。もう4年です。あっという間でした。

色々考えると、なんか思い出してきました。流石に4年は経ったんだな、とも思います。すごく悔しいし、悔しいし、涙が出てくるくらいに悔しいし、まだここか、つらいな、なんだよ、なんとかしたい、なんとかしなきゃ、でも、これが現実だ、でもなんとかするんだ、の毎日です。

でも、少しずつ階段というか登っているようには思います。4年前よりかは進んでいます。ただ、どうなんだろうと思うこともたくさんあります。何かを大きく変えることで、何かがすごく変わることもないでしょう。

自分が積み上げてきたこと以上になることはありません。ただひたすらにそう思います。ふと急にこのnoteも書くことを思いつきました。というか、なんとなく開いていました。僕の悪いところでもあります。いいところ?なのかわかりませんが、特徴ではあるでしょう。

流れに任せるということはすごくあります。僕は揶揄される意識高い系なので、二十歳の頃から、

「今日が自分の人生が最後の日だとしたら、今日やるべきの予定のことは本当にやりたいことなんだろうか」

と問いかけ続けて、あまりにも問いかけすぎて、当時は就職活動に悩んでいたので、キャリアセンターのお姉さんに問いかけてしまいました。

『今日死ぬかもしれないんです、この選択でいいんでしょうか、大丈夫なんでしょうか』

と。今も大分やばいやつですが、当時も大分やばかったです。とにかく悩んでいました。怖かった。不安で仕方がなかった。今もそうかもしれません。

この4年間は、親しい人には言うことはありますが「死にたくない、死んでたまるか、絶対に生き残るんだ、やってやる、成し遂げてみせる」、それしか考えてきませんでした。それだけ私には選択肢がありませんでした。とにかくなんとかするしかできなかった。というよりかは、僕には後がありませんでした。

就職活動を経て、なんとか就職しました。しかし、希望のメディア業界に入ることはできませんでした。けれど、色んな思いもあり、逃げたくなかった。ちゃんと結果を残したかった。数字も残したかった。

「絶対にやってやる、絶対一番にやってやるんだ、このヤロウ、見てろよ」と、誰かいるわけでもないんですが、ひたすら屈辱の日々を見返してやろうと、よく分からない思いを持っていました。

それは今も変わりません。

「自分は何も変わらない、何も変わっていない、これっぽっちも変わっていやしない。なーんも変わりやしない。」

そう思っています。何だろうな。分からないけど。最近、すごく不安です。何だろう。コロナ騒動のこともあるんだとは思いますが、そうなのか、書きながら考えています。どうだろうか。

僕はどうしていきたいんだろう。この書いていることも、何か目的があって、書いているというよりかは、自分の心を落ち着かせるために書いているに近いでしょう。

不安なんです、漠然と。

こっちでいいのか、大丈夫なのかな、と。俺はこれでいいのか、と。

家族もできました。守らなきゃいけないこともたくさんあります。たくさんはないか。でも、何か今までとは明らかに違う。なんかこう、責任も感じる。今まで責任を感じてないわけではないんですが、こう、何だろう、ズシンとくるようなもの。

すごく突然涙が出るような感覚。父さん、母さんのことを思い出す。どうしてるかな、と。「あーあの時、ああ考えてたのか、どう思っていたのかな」とか。すごくすごく考えるんです。すごくすごく。

昨日もそうだった。昨日の夜もそうだった。何だろうな。妻に言われてハッとしました。

ここ2週間くらい、なんか元気ないね

…ん。

まじか。そんな風に思ってなかったけど。

わかんないけど。そうか、と。

何だろうな。そうか、と。ふと思いました。何で何だろうか。何で何だろう。分からない。あーなんか色々思い出してきた。大学生の頃、また新卒で入った会社の時期に小説を書きたいな、と思って。ブログに書いていました。あのブログはどこに行ったんだろう。

小説家になりたいと思ったのは、高校生の頃でしょうか。高校生の頃、小説が好きで、よく読んでいました。中学生の頃は新聞記者になりたかった。この思いは両方持っていたけれども、小説家になりたいと思ったのは、この頃・・・いやずっとたまによぎるような思いでしょうか。

僕はそんな頭がいい方ではありません。小学校の頃はおばあちゃんに「正己は頭がいいねえ」と言ってもらい、その気になっていました。当時は比較的よかったでしょう。そりゃそうでしょう。んーでも頭がいい方でないと、それはそれでめんどくさい感じにもなりそうなんで、まあ、普通にしたいです、いや普通ってなんだ。

まあ、いいや。

ということで、んー。そうですね。そんな4年間でした。ということで、今後のことも、もう少し書きたいと思います。

(ご飯食べていたので中断してました、思考も中断されました。)

5年目について少し書きたいと思います。

5年目…そうですね。そうなんです。私のやりたいことは、実は一貫していて、

本当はいいものを持っているが、光をあてられていないものに光をあてたい

ということなんです。つまり、大和田要さんに映画に出て欲しいんです。

大和田さんは本当にすごい人なんです。本当にすごくて、とっても尊敬しています。

なので、今年は特に力を入れて、自分がやっていきたい道に邁進していきたいと思います。すごくそれは明確にあります。

私のやりたいことは、メディア企業の新規事業開発と、メディアを活用した事業推進の支援です。最近はstand.fmでお話しすることもあります。

4年前のプレスリリースで既にその表明をしていたりもします。

ずっとここだけを見ています。ずっとずっとそうなんです。挫けそうになることもあるけど、挫けるけど、諦めたくないんです。絶対諦めたくないんです。絶対にやり遂げるんです、このやろう、絶対にやってやるからな、成し遂げてみせるからな、うりゃー、誰ーみたいな。そんな感じです。

何だろうな。何だろうな。コロナ不安だ。家族も守らなきゃ。この道でいいのかな。ただ言えるのは、色々こうしたほうがいいのに、と思うことを全部自分で実現していこう、していったほうがいいのかもしれないってこと。

逃げられない。逃げることはできない。4年も経った。80人くらいの規模の組織になっていてもいいだろう。結局、社員は全員辞めた。メディアインキュベート は自分一人になった。

子会社だったランプコアは、社員も20名を超えて、年商も1億を超えたタイミングで、経営陣に株式譲渡をした。僕から提案したものだ。

こうしたらいいのに、と思うことがたくさんある。俺も同じだろう。こうしたほうがよかったのかも、と。

海外のメディアの日本展開にも挑みました。

いろんな縁もあり、「こどものミライ」というメディアも持つことができました。でも、どうなんだろう。描いていたものは、どれだけ形になったのか。もっとやれることはたくさんあるだろう、って。

ああ…今年こそはとかじゃない。やることがたくさんある。まず、やろう。とにかくやろう。

僕がやりたいこと。そして、そのバランスを取り、とにかく粛々とやるしかない。