チワワの骨折と久しぶりの休日
久しぶりにぼんやりと過ごす休日。いつもより少しだけゆっくり起きて、愛犬のチワワ(ちーたん)に餌をあげる。一昨日の夜に骨折してしまったちーたん。少しずつ元気が戻ってきて、良くも悪くもギブスをするのに慣れたのか、少し動きが活発になって、おトイレもちゃんとできるようになった。
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昨日、ある偏見が自分の片隅に残っていて、そのことから感情的なビジネスメールを送ってしまった。当然に、それに反応した相手から電話が掛かってきた。
なぜ、相手のことをもっと広い視点で観ることができなかったのだろう。もっと想像力が働かなかったのか。私の悪い癖で、自分が決めたことを何としてでも相手に守らせたいというエゴがあって、それが発動してしまった。柔軟性のカケラもない、未熟な自分。
こんな自分の姿を見て、あぁ、無理なテンションでこの半年間やってきたのだな…と思う。ちーたんが骨折したのも、もっとちゃんと一緒に居て欲しくて、私がきちんと彼のことを見てなかったから、痛い思いをしなくちゃいけなくなったんだ。
この1ヶ月はセルフソウルケアも殆どできなかった。もしかしたら、わざとしなかったのかも知れない。1日1日終わるごとにエネルギーカットをしてしまったら、今日考えたことや、今日繋がった誰かとの想いを切ってしまって、翌日にまたゼロベースで繋ぎ直さなきゃいけなくなる。そのことが返ってしんどいから、敢えてずっとずっとメンバーと繋ぎっぱなしにしていたのかも知れない。
昨日の夜、ちーたんは私のお腹の上で寝た。時々姿勢を変えながら、安心したように眠っていた。私はお尻がいたくなって、ヨガブロックの上に枕を敷いて、amazon prime で映画を1本観た。
今朝もまた同じように、ちーたんは私のお腹の上で寝て、私は彼の温かな体温と小さな心臓の鼓動を感じながら、また別の映画を観た。部屋の中には柔らかくてあたたかい太陽の光が射してきて、留守にしがちな部屋が本当はとても居心地の良い場所だったことを思い出させてくれた。
家族をケアするということを、私たちは忘れてしまう事が多い。自分の仕事や、目の前のやらなければならない事を優先させてしまって、本当に一緒にいて幸せを感じられる大切な存在を、きちんと扱わないことがある。
「会いたかったよ」「一緒にいたいよ」「抱きしめて欲しいな」「遊ぼうよ」って、普段から愛情を素直に表現できているだろうか。ただ、一緒に居たいだけで、何か話したいわけじゃなくても、手をつないで、ただ隣にいるってことがそんなに難しいことだろうか。
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歩いて20分のところにあるかかりつけのどうぶつ病院に、予定通り狂犬病のワクチンを打ちに行った。他のわんちゃんは、爪を切りに来ただけなのにブルブルと震えていた。薬をもらいに検査に来た老犬はくぅんくぅんと微かな鳴き声を発していた。ちーたんは、かばんの中で寝てみたり、ちょっと起きては隣のわんちゃんを見ながら鼻をクンクンさせている。小心者の癖に、いざとなると肚が座っているのも私に似ている。
ワクチンを打つ前の健康チェックも大人しくしてて、ドクターは看護師さんに「いいこだね」と言った。さすがにワクチンの注射を打つ時は大きな声を出してしまったけれど。
またかばんの中に入ると、彼はすっと横になった。体重は1,220gだった。
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どうぶつ病院を一歩出ると、正面に桜の花が咲いていた。来た時には気づかなかったけれど、帰り道にはミモザの花がかわいかったり、石神井川で水面に首を突っ込んでバタバタした足を見せている鴨にも出会った。
早く一緒にお散歩がしたいね。もうちょっと上手な飼い主さんになるよ。
今日待合室で一緒だった爪切りに震えていたチワワさんは、前の飼い主が散歩に出したことが無かったのか、歩くことを知らず、外を歩かないから爪も伸びてしまうのだと言っていた。ギブスが取れるのは2ヶ月後。気持ちの良い春の季節を楽しめたらいいな。
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