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感情を抑える

今日は仕事を休むことにした。

昨日、一昨日に比べれば、だいぶ落ち着いてきてはいるが、まだ乱れがまだおさまっていない。

昨日も一旦出社はしたものの、まったく集中できず、そのまま仕事を続けても間違いをしそうだったので、早々に早退した。

その足でクリニックへ行った。

予約なしだったので1時間半ほど待たされたが、その覚悟はしていた。
何をしでかしてもおかしくない状態だったので、クリニックへ逃げ込んだ。

診察の結果、気分の波を抑えるために唯一服用しているラミクタール(ラモトリギン)を100mg増やして、300mgにした。
加えて、気持ちが落ち着くまではエビリファイの液体3mgを朝、服用することにした。
エビリファイは量を増やすと気分を抑える作用があり、今の私にはかえってうつ状態になる可能性があるため、間隔を3時間以上空けた上で1日に2本までにするよう指示を受けた。

午後はいつものカウンセラーに急遽カウンセリングをお願いした。

このカウンセラーとはもう6年のお付き合いになる。
双極性障害のことだけでなく、依存についても洗いざらい話している。
アドラー心理学に基づく「ライフスタイル診断」をしていることもあり、私の幼少期のことについても話している。
私のことはほとんどすべてを知っていてくれると言っても良い。

この人は元々障害者就労支援の仕事をしており、私が出会ったのはその時期。
通常、カウンセリングはどんなものでも1時間で1万円前後が相場だが、このカウンセラーは障害者に対しては1時間3,000円にしてくれている。
そうでなければ、昨日のように気軽に助けを求めることはできない。
ありがたいことだ。

余談だが、カウンセリングの時間管理はいつも私がやっている。
私が「そろそろお時間ですね」と言わない限り、いつまででも相手をしてくれる。
超過料金はない。

昨日も今の精神状態をこと細かに話した。
それだけでも気持ちがだいぶ落ち着いた。

私が今持っている対人関係における感情。
異常なまでに好意を持ち、依存している相手がいるかと思えば、逆に、憎み、避けている相手がいる。
私はそれを「いけないこと」「冷静にならなければ」「なんとか抑えなければ」と思って、もがいている。

「そんなことだから、人に嫌われる、嫌がられる。」
「人が寄り付かない。」

しかし、どう自分に言い聞かせてもその感情を抑え、鎮めることができない。
それが今の苦しみ、辛さを招いている。

それに対して昨日言われたこと。

「感情は体が欲していることだから、どう頑張っても抑えることなんてできませんよ」

「それは理屈じゃないんです」

「正しいとか間違っているということではないんです」

では、どうしたら。

このカウンセラーと長いこと試みてきたことがあります。

依存も含めた私のこのような極端な感情の根源。
それを終わらせることが唯一の解決への道。

去年まで苦しんできた頭の重さにはまったく効果がなかったこの試み。
でも、それはあの頭の重さは精神的なものというよりも、身体的なものだったのかもしれない。
今はそれがなくなり、純粋に精神の問題になっている。
だとしたら、もしかしたら、これまでやってきたことが今度こそ効果が出るかもしれない。

私の極端な感情の根源。

それは幼少期に経験したある人への激しい怒り、憎しみ。

そのときの光景を今でもはっきり覚えている。

暴力。
それを目の当たりにしながら、何もできずに泣きじゃくる幼い私。

それが私の最初の記憶。
忘れることはできない。
そのときの怒りが私の中でまだ終わっていない。

それが極端なまでに優しさを求め、絶対に人を許せないという強い感情に結びついている。
そういうことなのかもしれない。

この怒りを終わらせることができれば、気持ちが楽になるのかもしれない。

そのためのカウンセリングをあらためて受けることにした。
また、そのカウンセラーがこのような私に最も適していると考えている「ゲシュタルト療法」も再開してみようと思っている。

ただ、一方では、正直なところ、もう先行き長くはないこの人生で、そういうことをしなくてもいいのではないか、という気持ちもまだある。
どうせ間も無く終わる人生なのだから、さっさと終わらせてしまったほうが楽、とも思う。

昨日でだいぶ気持ちが楽になったとはいえ、まだこういう気持ちは残っている。