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障がい者の権利

反発を買い、ご批判を浴びるであろうこと、そして、当事者の方々に失礼であることを承知の上で書きます。

今日は東京都議会議員選挙の投票日です。

これに関連して先日ニュースで報道していたこと。
知的障がい者の投票を援助する人たち、NPOだったかな、についての報道。
知的障がい者にも投票権があるのだから、投票するのは当然である、というお考えのようでした。
そのために、例えば、知的障がい者に候補者の写真を見せて、ご本人が「選んだ」候補者の名前を代わりに書いて投票をするという支援。
これがご本人の「意見」を尊重しているということでした。

しかし、本当にそうあるべきなのでしょうか?
私はそうは思わないのです。

写真を見せてご本人が「選んだ」と言いますが、その候補者の主義、主張を理解して「選んだ」と言えるのでしょうか。
障がいの程度にもよりますが、候補者の服の色が好きだから「選んだ」のかもしれません。
それもご本人の意志と言えるのかもしれません。
もちろん、障がいのない人の中にも候補者の写真だけを見て投票する人もたくさんいるでしょう。

しかし、私は思うのです。
障がいがあることでその行動に制限が加わるのは、それが合理的なものであれば、受け入れるべきだ、と。
私の身近に重度の知的障がい児を普通学級に入れている事例があります。
保護者はその子の「教育を受ける権利」を主張しています。
その子を受け入れないとしたら、それは権利の侵害だ、と
本当にそうでしょうか?
残念ながら、今の日本の社会には重度知的障がい児を普通級に受け入れることができる体制はありません。
その結果、むりやり普通級に入れてもその子供に相応しい教育を受けることはできないのです。
だとすれば、その保護者こそがその子の「(その子に相応しい)教育を受ける権利」を奪っているといえるのではないでしょうか。

私自身のことでいえば、私は自分の障がいが故に車の運転をしないことにしています。
運転免許は本人確認書類として使うことが多いので、返納はしていませんが、そういう必要がなければ、免許証を返納しても構わないと思っています。
ただ、これは私の自由意志でしていることなので、例えとして相応しくないかもしれません。

また、傷害保険のほとんどは双極性障害を保険の対象外にしています。
私はこのことを「保険に入る権利の侵害」だとは思いません。

もし、知的障がい者が罪を犯したら、どうなるでしょう。
「正常な判断能力がない」ことを理由に罪を問われないことがあるでしょう。

一方で「平等」を理由に権利を主張し、一方で障がいを理由に(罪を償う)義務を逃れる。

私はそこに矛盾を感じるのです。