トンコリを聴く

アイヌの民族楽器の音をはじめて聴いた。
妹が勤めている小学校の教職員向けのイベントのひとつで、「お姉ちゃん、興味ある?」とLINEをくれて、「めっちゃ興味ある」とすぐに返信したのが先月の話。
わたし、教職員じゃないけど行っていいの?と聞いたけど、一応、姉なのでいいらしいということになり、足を運んだのだった(妹に連れて行ってもらった)。
50代ぐらいのアイヌの民族衣装に身を包んだ女性が、アイヌの言葉や歴史、自分のおいたちを話してくれた。歴史や文化もいいけれど、最近、人のおいたちを聞くのがすごく好きなんだなということに気づいた。
つい先日も、知人に誘われてある人の講演に行ったのだけれど、そこでも同じことを思った。どんなふうにその人が育ったのか。家族はどんな人だったのか。
そういうことを話したくない人もいるだろうと思うけれど、自分のことを客観視できていないと自分というのは案外語れないものなのではないかと思ったりした。
食い入るように話を聞き、あっという間に1時間が過ぎる。
アイヌの本は読んだりしていたけれど、やっぱりその人の語るアイヌはその人の人生そのものなのだ。
刺繡の入った民族衣装、額にはマタンプシ(刺繍の入ったハチマキみたいなもの)、耳にはニンカリ(アイヌのピアス)、さすがに入れ墨まではしていなかったけれど、その女性は現代を生きるアイヌの人、なのだけれど、気負ったものは感じられなくて、普通に生きているわたしたちと同じ女性なのだという自然さがどうしてか余計にアイヌを感じさせたのだった。
民俗楽器のムックリとトンコリ、名前は知っていたけれど実物は初めてだった。ムックリは竹でできたシンプルな楽器で、振動のみで音を出す。少し触らせてもらったけれど、どうやったら音が出るのか全くわからない。シンプルなものほど難しいのだと思う。
トンコリは弦楽器にしては珍しく縦長のボディである。三線もギターも馬頭琴もずんぐりした形が多いのに、トンコリはすっきりした舟のような形をしている(豆のさやにも似ているなんて思った)。
丸太を半分くり抜いて蓋をしてあると聞いてなるほど、と思った。これはわたしの想像だけれど、なるべく木を無駄にしないように考えられた形なのではないかという気がする。
弦は5弦。物によっては4弦や6弦のものもあるという。地域によっても音が違うそうで、ギターなどとは違い、弦の音が高低の順に並んでいない。
ハープのようにはじいて弾いたり、撫でるように鳴らしたりするみたいだった。ギターのようにフレッドを押さえて音を変えるわけではないので、基本的には5つの音しか使えないことになる。
これはネイティブアメリカンのフルートに似ている。あれも音が5つだったけれど、使われている音が違うので、また響きも違う。
トンコリはボディの中にくるみや黒曜石をひとつ、入れて完成させるらしく、これは楽器の魂なのだそう。
特に演奏には使わないので、中に入れる意味は音楽的にはないのだと思う。
トンコリは基本的に即興で演奏することが多いそうで(これもネイティブアメリカンフルートと同じ)、女性の演奏してくれた曲は、鶴の鳴き声みたいなのが入っていて、たぶん、タンチョウヅルの歌なんじゃないかなと勝手に想像していた。三線とはまた違う音で、穏やかな音がする。
なんか川の流れみたいだなぁと思って聴いていた。同じフレーズでも飽きないのである。ひたすらにやわらかい、濁音のないアイヌの言葉のせいなのかもしれない。
終ってからいろいろ気になって質問してみた。
ナイロンで張られてある弦は、もともとはクジラや鹿のケンを使っていたという。今はナイロンや金属が多いけれど、クジラや鹿のそれは本当にいい音がするそうである。
イオマンテ(熊送りの儀式)のあと3日間は祭りごとが続くそうなのだけれど、トンコリはそこでも演奏され、みんなそれに合わせて踊るらしい。
トンコリは即興で歌われることが多いということだったけれど、残されている唄には悲恋のものが多く、和人との恋の唄がたくさんあるそうである。
西洋の吟遊詩人と同じで、時代や場所を超えても人は同じなんだなと思わされた。文字を持たないアイヌだから、ことさら音楽は人の心に近かったのではないかと思う。
大好物の話をお腹いっぱい聞けて、久しぶりに妹夫婦とご飯を食べたりして帰路に着いた。
次は真ん中の妹の住む地域の祭りを見に行く予定もある。
去年は引きこもっていたので、今年は動きたい、と思ってはいたけど、本当にちょろちょろと動いているわたし。
声をかけてもらえることもありがたい。
原動力は好奇心である。

○写真はみんなのフォトギャラリーからお借りしました

#エッセイ #コラム #アイヌ #アイヌ民族 #文化 #トンコリ #音楽 #民族音楽 #民族楽器

いただいたサポートは創作活動、本を作るのに使わせていただきます。