彼女のnoteを応援したくて元応援団員はnoteを始めた
青春ラブコメ風のタイトルでnote初投稿。応援団員というと学ラン姿の「押忍!」なリーダー部員が太い指でパソコンを打つ姿を想像する人が圧倒的多数だと思われるが、わたしも団員の一人だった。
「京都大学応援団第35代チアリーダー部長」というのが、わたしの人生で最も名刺が強かったときの肩書きだ。(他大学の応援団幹部の名刺をもらうために団員たちは競い合って盃を干し、数を競い合った。平成の初期の頃までは)
いや、36代だったか。高校は入学したとき40回で卒業したとき41回。同級生が2学年分いる。数字にはあまりこだわりがない。けれど、応援している誰かや何かの数字が伸びるのを見るのはとても好きだ。
全盲YouTuberの西田梓さん
たとえば、去年の秋、ツイッターでつながった西田梓さんの動画再生数やチャンネル登録数がふえて大台に乗るたび、頭の中でファンファーレが鳴る。
わたし自身は動画の制作に1ミリも関わっていないのだけど、転んでもタダでは起きひん関西人同士で気の合う梓さんの「目が見えないからできない、じゃなくて、こうしたらできるを伝えたい」という「引き算より足し算」の発想が広まっていくのがうれしい。
そんな梓さんが岸田奈美さんの「キナリ杯」に応募しようとnoteを始めた。初投稿にしてキナリ杯応募作「言葉から広がる新しい世界」は、目が見える人にとってはあまりにも当たり前な「視界に入る」ということを言語化していて新鮮。
早速「スキ」を押した。梓さんのnoteを「フォロー」しようとしたら、アカウントが必要だった。だから作った。普段からアンテナを張っていると、「今」ってときに背中を押してくれる「ちょっとしたこと」が起こる。
梓さんの初投稿はnote編集部ピックアップに選ばれ、チアリーダーがポンポンを振るまでもなさそうだけど、せっかくアカウントを作ったから、わたしも何か書いてみよう。
過去の自分からのエール
ちょうど巣ごもりで時間ができ、仕事部屋の大掃除をしているところ。だいぶ床が見えてきた(当社比)。地層を掘り進むと、「ここにあったんか!(探してた)」や「こんなんあったんや(忘れてた)」なアレコレが顔を出す。断層になって時空がねじれ、新しいのと古いのが混じる気まぐれタイムカプセル。
ネガフィルムやノベルティグッズに混じって、昔書いた原稿やインタビュー記事も発掘される。
今の自分と地続きだなと思うもの、今の自分には書けないけれど当時の何かが書かせたんだろうなと想像されるもの。
去年放送されたNHKスペシャル「恐竜超世界」に関わり、「化石は太古の世界を生きた恐竜たちからの手紙」だと思った。恐竜の化石のスケールには及ばないけれど、昔書き散らかしたアレコレと再会すると、過去の自分から手紙が届いたような気持ちになる。
発掘した言葉たちを虫干しがてらnoteに上げてみよう。うまくいけば、それを誰かの応援につなげてみよう。
西田梓さんの他に今エールを送りたいのは、「ミニシアター・エイド基金」。
ミニシアターという空間をふくめて映画を楽しむ一人として、ときには映画をかけてもらう一人として、全国から寄せられる「ミニシアター頑張れ」の気持ちが数字となって積み上がっていくのを見守ってきた。
アクセス集中しすぎてサーバーダウンしたため本日5/15(金)23:59まで期間延長に。
ただいま、コレクター(支援者)29227人。集まった金額323,931,214円。締め切りまであと5時間半。野球でいうと9回裏、残り1アウト辺り。応援団員なら「勝負はここから!」と叫ぶ場面だ。すでに3億円突破してるから逆転ホームラン頼みじゃないけど、追加点は多いほど心強い。
今日の発掘コトバは、2003年に公開された映画『ジェニファ 涙石の恋』のサイトに寄せた脚本家コメント。
タイトルの「愛と幸せのさざなみ」は、主演のJennifer Holmes(彼女の日本での留学体験が原案で、本人がジェニファ役を演じた)からのメールにあった"ripples"から。最初「波紋」と書いていたのを、直前で修正。そらどう考えても「さざなみ」やないかと昔の自分に突っ込んどく。
『ジェニファ 涙石の恋』はテアトル新宿のレイトショーで一週間だけ上映。スクリーンで観た人はかなりレア。テアトル新宿はミニシアター・エイド基金には参加していないけれど、よく行く劇場のひとつ。自粛で大変な思いをしているすべての映画館にエールを。「愛と幸せのさざなみ」 今井雅子(脚本)
ジェニファ役のJennifer Holmesと交わしたメールを読み返していたら、こんな言葉をみつけた。
その前にわたしから送ったメールは残っていないのだけれど、彼女の文面から想像すると、「留学生って、愛と幸せのさざなみを立てる石ころみたいなとこがあるよね」といったことを書いたのだと思う。
17歳だったJenniferが日本に留学して見たこと、感じたことは、17歳だったわたしがアメリカに留学して体験したことと重なっている。
もちろん、留学生は決して「愛や幸せを運ぶ天使」なんかじゃない。「LOVE」も「HAPPINESS」もすでにそこにある。一人ひとりの中に。だけど、毎日の生活の中で見失っているだけ。
そこに留学生という石ころが投げ込まれ、爆弾発言や突飛な行動が混乱を巻き起こす。まわりはいい迷惑なのだけど、ひっかき回されてはじめて気づくことがある。
自分にも愛する人がいること、そして、自分を愛してくれている人がいること。恋人や夫婦だけじゃなくて、家族や近所の人やクラスメートや先生たちも、挨拶や笑顔を交わす瞬間、人は思いやりをやりとりしていること。
花をきれいだと思ったり、消えていくものを惜しんだりする気持ちも愛だってこと。そんな風に誰かを(何かを)愛せることが、幸せだってこと。
ささやかだけど大切な発見。そのきっかけになる少女ジェニファの話を書きたいと思った。
映画も、観る人の心に投げ込まれる石ころのようなものだと思う。『ジェニファ 涙石の恋』を見て、いろんなことを思い出したり考えたりした人の心に愛と幸せのさざなみがひろがりますように。
clubhouse朗読をreplayで
2023.7.5 こたろんさん
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。