見出し画像

いくつものドアを越えて─第60回宣伝会議賞贈賞式

書きたいことがありすぎて、3か月寝かせてしまったnote。


猛者級コピーの圧巻

宣伝会議賞」をご存じだろうか。

月刊『宣伝会議』が主催する公募広告賞で、課題企業から出されたお題に応えて、キャッチコピー、動画広告、音声広告を応募する。

わたしが知ったのは20世紀の終わり。広告代理店の駆け出しコピーライターだった20代の頃。当時から「コピーライターの登竜門」と言われていたが、プロも腕試しに応募していた。わたしもその一人だった。

入社2年目の第33回(1995年)に初めて入賞。入社5年目の第36回(1998年)に2度目の入賞をして、応募を卒業した。賞に向かって書く励みとプロとして書き続ける励ましをくれた思い出も思い入れもある賞だ。

時は流れて第60回。四半世紀ぶりに贈賞式にお邪魔した。

当時よりうんと大きなThe Okuraの平安の間に足を踏み入れると、「天井高っ」となった。思わず見上げた天井からファイナリストに残ったコピーの垂れ幕がずらずらっと垂れ下がっていた。

スポーツ強豪校の校舎の壁を誇らしく彩る「インターハイ出場」の幕のごとく。

The Okuraの平安の間の天井から吊り下げられたファイナリストのコピーの垂れ幕。縦書きの明朝体。

こんなに大きな級数でコピーが居並ぶさまを見られるのは、宣伝会議賞贈賞式ぐらいではないだろうか。

というか、わたしもはじめて見た。四半世紀前にはなかった眺めだ。わたしが知らない間に、賞のスケールが何倍にも大きくなったことを垂れ幕のデカ文字が物語っていた。

しかも、ひとつひとつのコピーが強い。

第60回宣伝会議賞は、一般部門39社からの課題に対して62万8046点(中高生部門は12社からの課題に対して3万421点)の応募があったという。過去最高の64万8138点を記録した前回には及ばなかったが、凄まじい点数だ。

以前わたしのnoteでコンクールをドアに喩えた。

いくつものドアを越えた先に辿り着ける受賞者テーブルの席。日本一激戦な椅子取りゲームかもしれない。会場の後ろ半分に何列も並んだ椅子の一つに腰を下ろし、遠巻きから眺めた景色を書き留めておきたい。

「いい顔」の人しかいない

勝ち上がってきたコピーとそれを生み出した人たちが集う贈賞式会場は、ただならぬ熱気に包まれていた。

皆、いい顔をしていた。それぞれの自己ベストのいい顔が集まっていたのではないかと思う。

皆がいい顔をしてお祝い気分が満ちているといえば結婚披露宴だが、おめでたさに興奮が加わり、それが会場を熱気で満たしていた。

コンクールで賞を取る喜びは、選ばれる喜びだ。作品が見出されるのは、自分が見出されることだ。しかも60万点越えから選び抜かれたのだ。自己肯定感がストップ高を記録し、普段あまり感情を顔に表さない人でもうれしさがはみ出してしまうのではなかろうか。

1次審査通過作品は62万8046点のうち6647点。通過率は約1.1%。

2次審査通過作品は682点。1次審査からの通過率は10.26%。応募総数に対する通過率は約0.11%。

3次審査通過作品は181点。2次審査からの通過率は26.54%。応募総数に対する通過率は約0.03%。

1次審査通過作品を対象に選ばれる協賛企業賞作品は40点。応募総数に対する通過率は約0.006%。

ファイナリスト選出作品は30点。三次審査からの通過率は16.57%。応募総数に対する通過率は約0.005%。

という数字を手元にある「宣伝会議」2023年4月号を見ながら電卓を叩きつつ打ち込んでみたが、倍率の数字がすごいことになっている。

競争率で計算してみると、ファイナリストは
62万8046点÷30=20,934.8667
約2万1千倍。

計算合ってます⁉︎

協賛企業賞は
62万8046点÷40=15701.15
約1万6千倍。

狭き門どころか針の穴。
痛くない注射のすごく細い針の穴!

強運の磁場が渦巻く宣伝会議賞贈賞式。
最強のパワースポットかもしれない。

ここにたどり着くまでの厳しさを知っているから、ここにいる幸せを噛み締め、共に勝ち上がってきた人たちに「よくやった」という目を向け、同じ戦いを勝ち抜いて者同士の高揚感と一体感が生まれる。と同時にファイナリストたちはこの後の発表を待つライバル同士でもある。勝負はまだついていない。その緊張感も渦巻いている。

オリンピックの選手村もこんな感じだろうか。知らんけど。

協賛企業賞のコピー40点が並んだ一画。

賞が言葉を引き出す

一人一人の名前が呼ばれ、受賞作品がスクリーンに映し出される。テーブルの受賞者にカメラが向けられ、自己ベストのいい顔がさらに更新され、スクリーンに大写しになる。

コピーの一つ一つに、「うまいな」「これ好き」などと心の中で感想を言った。

上位入賞者は壇上で喜びの声を披露するのだが、このスピーチがまた良かった。

「課題を出していただいたおかげでこんなところまで来れました」

思わずメモに書き留めたのは、「ビデオ&オーディオ」ゴールドの紀川晴好さんの受賞の言葉。

賞は自分の中に埋もれているものを引き出し、思いがけない場所へ連れ出してくれる。そのことを協賛企業への感謝という形で伝えたスピーチにグッと来た。

課題があるから引き出される言葉はコピーだけじゃない。

課題はローランドの《より多くの人に、ローランドの楽器で音楽を楽しんでもらうためのアイデア》。

『印象』編

NA:文化祭前。
生徒A:ねえ、山田くんいる?
生徒B:ああ、メガネかけてる子?
NA:文化祭後。
生徒C:ねえ、山田くんいる?
生徒D:ああ、ギター弾ける子?

NA:印象は、一日で変わる。楽器を始めるなら、ローランド。

第60回宣伝会議賞 ビデオ&オーディオ ゴールド 紀川晴好さんの作品

紀川さんがローランドの課題に出会って、「文化祭でギターを弾いたら印象が変わった山田くん」というキャラクターが生まれた。

山田くん、演奏のときは眼鏡を外したのだろうか。いつもの眼鏡のままだったけど、重く垂れた前髪が演奏中になびいて、おでこが出たかもしれない。

ラジオCMは「いちばん短い脚本」だと思っている。会話劇として楽しくて、商品を手に取りたい気持ちにさせて、企業名も印象に残して、お見事。わたしは「ローランド」という会社を知らなかったのだけど、覚えた。

イマを感じさせるゴールドの人

受賞コメントの場慣れ感が印象に残ったのは、ゴールドの石川一輝さん。

現在の宣伝会議賞は「ゴールド以上を受賞すると卒業」するルールになっているらしい。石川さんは「ゴールド取れてうれしい。けど、次からは応募できない」というめでたさと悔しさがないまぜの心情をなめらかすぎるトークで語り、「来年からは贈賞式を実況して稼ごうかな」といったことを冗談っぽく言い、会場の笑いを取った。

そうか。今は、宣伝会議賞のことを動画配信して、稼ぐ人がいるのか。
そういう時代になったのか。

探してみると、「宣伝会議会議」というYouTubeチャンネルがあった。

「コピーライター芸人が『宣伝会議賞』 ファイナリストになるまで毎週生配信! 」とあり、出演者3人の中に「石川カズキ」さんがいる。宣伝会議賞を目指す人の間ではすでに有名な人のようだ。

受賞作品の課題は、日本交通安全教育普及協会の《自転車に乗るすべての人がヘルメットをかぶろうと思えるアイデア》。

ノーヘルだと、命がスースーする。

第60回宣伝会議賞 コピーゴールド 石川一輝さんの作品

同じ課題でファイナリストに残ったものが他に数点あった。インパクトがより強いコピーもあったが、「命がスースーする」という喩えのバランスが絶妙。帽子をかぶり忘れて頭がスースーするように、「あれ? 何か足りない」と気づかせる、思い出させる。効き目の強い薬ではなく、毎日続けられるサプリを取り入れさせるような、とっつきやすさ。怖がらせるのではなく、味方につけるよう促す。乗るたびにかぶるヘルメットって、そういう距離感がしっくり来る。

石川さんは、損害保険ジャパンの《出発前に自宅で「乗るピタ!」(1日自動車保険)に入ってもらうアイデア》で協賛企業賞も取っている。

乗る日だ、乗るピタ。

第60回宣伝会議賞 協賛企業賞 石川一輝さんの作品

「乗る日だ」と「乗るピタ」のダジャレの軽やかさが「1日だけの自動車保険」の手軽さと合っていて、保険のハードルを下げてくれる。ゴールドのコピーと共通しているのは、とっつきやすくて、商品の良さを自分のこととしてイメージしやすいこと。ほど良くゆるめる匙加減って、なかなか難しい。料理と同じで作り慣れていくうちにしっくりくる塩梅をつかむように思う。

眞木準賞に胸熱

特別課題《60歳がもっとポジティブに思えるアイデア》で眞木準賞を受賞された二宮正昭さんのスピーチも印象的だった。

「40歳は2度目のハタチ」という眞木準さんのコピーを引いて、コピーを書き始めたのが40歳頃からだったという話をされたのだが、受賞を知らされて即座にそのコピーが出てくる人が眞木準賞に選ばれたことに胸が熱くなった。

わたしも眞木準さんのコピーが好きだった。特に伊勢丹の「恋が着せ、愛が脱がせる」。はるか昔の贈賞式で、すぐそこにいる眞木準さんに声をかけようかどうしようかモジモジした記憶が蘇った。この話はまたの機会に。

特別課題の《60歳がもっとポジティブに思えるアイデア》に応えた受賞作品が、こちら。

60がGOに見える

第60回宣伝会議賞眞木準賞 二宮正昭さんの作品

「60」という年齢に「GO」というポジティブワードを重ねて光を当て直し、チャーミングさを加えているところは眞木さんのコピーに通じるものがあり、眞木さんもきっと気に入られると思う。

字面もとてもいい。

どの言語の人にとっても「60」と「GO」は似ているのだが、
《60 looks like GO》 だと60とGOが離れてしまうし、
《60 and GO look alike》 と近づけてもGOが立たない。
《60看起来GO》 と中国語で表しても、やはり面白みがない。
漢字と仮名文字の中に算数字の60とアルファベットのGOがあるから立つ。日本語のコピーにしかできない離れ業だ。

眞木さんの他にもう一人、このコピーを気に入りそうな人が思い浮かんだ。わたしの愛国語心に火をつけた「日本語は天才である」の著者・柳瀬尚紀さん。《60がGOに見える》を柳瀬さんが発見したら、日本語の縦横無尽ぶりを語る釣果に歓喜し、魚拓を取ってコレクションに加えるのではないだろうか。

眞木さんも柳瀬さんも亡くなられているので、一ファンの勝手な想像でしかないのだが、「あの人が好きそうだな」と誰かの顔が思い浮かぶコピーは、贈りものになれるコピーだと思う。

グランプリの人、脚本書ける!

残すはあとひとつ。グランプリ。ファイナリストの垂れ幕ズラズラに目をやり、まだ呼ばれていないコピーを探す。

あれか? それとも、あれか?

同じことをしていた人は会場に何人もいたはずだ。グランプリ作品が発表された瞬間、「予想が当たった」という反応と「予想が外れた」という反応で会場の空気がザワっと動いた。

「なんでお湯出ないんだよ」
「なんでお湯出ると思うんだよ」

第60回宣伝会議賞グランプリ 守本悠一郎さんの作品

課題は三浦工業の《暮らしを支える産業機器、その機器を支える「フィールドエンジニア」の魅力が伝わるアイデア》。

このコピーがグランプリを取ったら面白いけど、コピーコピーしてない(ザ・キャッチコピーって感じじゃない)し、どうなんだろうと思っていた。コピーの語り口も力が抜けているが、賞を取りに行った気負いや計算が感じられないところにも好感を持った。

初見のときより、2度目に見たときのほうが言葉がしみ込む。3度目以降は「やっぱりいいなあ」と思う。するめのように味がじわじわしみ出す。

一往復の会話の前と後を想像してしまう。膨らませて短編を書けそう。というか、短編の一部を切り取ったようなコピー。

話者を指定しないセリフの一往復という表記が斬新。給湯器を前に立っている二人が目に浮かぶが、人によって友人だったりカップルだったり親子だったりきょうだいだったり、思い浮かべる組み合わせは変わりそうで、そこがこのコピーの間口を広げている。

受賞した守本悠一郎さんがスピーチで「頭の中で二人が会話した」といったことを話された。脳内でまずキャラクターが動き、そのセリフを書き留めた形。この人、脚本もかなり面白いのを書けるのではないだろうか。

一般部門のグランプリはダイアローグだったが、中高生部門のグランプリはモノローグだった。

思いっきり泣いた。明日は任せた。

第60回宣伝会議賞中高生部門グランプリ 森川芽那さんの作品

課題は粧美堂の《TWOOL(トゥール)でふたえメイクをしたくなるアイデア》。飾らない言葉の真っ直ぐさ。主語も目的語も省いた「明日は任せた」の潔さ。短歌の三十一文字よりも短い言葉でショートムービーを脳内再生させてしまう。

脚本のセリフを磨きたい人、歴代受賞作品は宝の山です!

という話を先日シナリオ講座で受講生たちにした。

「書く宝くじ」の勝率

コンクールは「書く宝くじ」だとわたしは思っている。

宝くじといえば、宣伝会議賞の歴代グランプリの中でわたしが最も強烈に覚えているコピーが、こちら。

精子だった頃の運をもう一度。

第38回グランプリ 高浜 瞳さんのコピー

課題企業はLOTO6。当たりくじを願う購入者の気持ちをコピーにしたものだが、入賞を祈るコンクール応募者の気持ちでもある。

宣伝会議賞に勝ち上がるには精子以上の強運が必要かもしれないが、運の要素は大きい。自信作でも過去に似たコピーがあれば外されるが、自信のないコピーが審査員の心をつかむこともある。審査は巡り合わせだから、審査員の好みやその日の気分が、たまたま残るか、たまたま散るかを分けたりする。

数打ちゃ当たるところは精子と共通している。
違うのは、コピーの一本一本が唯一無二であること。

応募総数は60万点を超えているのに、協賛企業賞をいくつも取ったり、ファイナリストに何本も入っている人がいる。それぞれの勝てる法則を見出して当選確率を上げた人たちだ。

「書く宝くじ」は自分で当選確率を上げられる。

また、課題を出した企業が一社一本選ぶ「協賛企業賞」と実用性を度外視してコピーとしての強さが決め手になる「ファイナリスト」がなかなかかぶらないところを見ても、審査する人が違えば選ばれるコピーは違うということがわかる。

「協賛企業賞」と「ファイナリスト」は別な筋肉を使う競技と考えていいかもしれない。

ファイナリストに残ったコピーのうち、キュッと受賞したものが寄せられたの図。「老い、待て」はシルバーを受賞。同じコピーを応募した人が2人いた。

阿部広太郎さんのまなざし

中高生部門審査委員長の阿部広太郎さんと会場でお話しできた。阿部さんのことは、わたしは「ダイアログ・イン・サイレンスのコピーを書いた人」として知った。

人差し指を唇に当てたビジュアルに、「おしゃべりしよう。」のコピー。人差し指を唇に当てるのは、「静かに」を表す手話でもあるから、日本語と手話のコピーが並んでいるともいえる。声は出さないけれ豊かでにぎやかなダイアログ・イン・サイレンス(静けさの中の対話)を言い当てているコピーだと思った。

どんな人がこのコピーを書いたのだろうと興味を持ち、阿部さんのnoteを知った。

以来、阿部さんのnoteやTwitterを追いかけているが、コンクールに応募する人へのまなざしの温かさと励ましの熱さにも注目している。

贈賞式を振り返ったこちらのnoteには、かつて宣伝会議賞に応募し、選ばれたり選ばれなかったりした人ゆえの想いが綴られている。

阿部さんは「選ばれない」悔しさをいくつも味わって、「選ばれる」を勝ち取り、今は「選ぶ」側にもなっている人だ。ジャンルは違うけれど、コンクールを経てコピーライターから脚本家になり、今は選考を務める側になった身として、阿部さんの言葉に、昔のわたしと今のわたしがうなずいた。

贈賞式の後、3月29日に発売された阿部さんの最新刊『あの日、選ばれなかった君へ 新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ』にも宣伝会議賞に応募したエピソードが綴られている。

「宣伝会議賞出身です!」なんて言えない

賞は選ばれる人と選ばれない人を分けてしまうけれど、挑んだ誰をもときめかせ、成長させてくれる。

今は選ばれなかった人が、次は選ばれたり、その逆もある。挑み続けた分だけ力がつく。立ち直る力も、運を引き寄せる力も。

筋肉が裏切らないのと同じく、応募で身についた力も裏切らない。

賞という競争は平等だと思う。

ところで、わたしが賞を取ったときの宣伝会議賞って、どれくらいの規模だったんだろう。

ジオシティーズ時代(古い!)に作ったサイトを閉鎖するときにコピーしておいた原稿を掘り出してみた。

この年の応募総数は1万5141点と例年になく激戦。金・銀・銅・協賛企業賞ではおさまりきらず、審査員特別賞を設けたとのこと。宣伝会議1996年4月号に掲載された受賞の言葉は「歌って踊ってコピーも書けるマルチクリエイターを極める貴重な一歩になりました」と軽い、若い。

今はないサイト「いまいまさこカフェ」より

この年の応募総数は1万5141点と例年になく激戦」という言葉に激震が走った。

現在の60万点超えの10分の1ぐらいかなと思ったら、なんと40分の1だった。全然平等とちゃうやん! 次元が違う。もはや別のコンクールだ。

それでも当時(1995年開催の第33回)は例年に比べて「激戦」で、それで設けられた審査員特別賞に引っかかっていたとは。

今の受賞者やファイナリストの皆さんに「同じ賞の出身です」なんて言えない。肩を並べるどころか、かかとあたり。そのときの受賞作がこちら。

公園のノイズ~
大阪弁で語るカップル
男)(フランス語っぽく、ささやくように)ジュ・ゲーム…
女)何やそれ?
男)ジュ・ゲーム。フランス語で愛してるっちゅう意味や。
女)それ、ジュ・テームちゃう?
男)…ほんまや…
NA)ゲームを愛するすべての人に。すべてのゲームがわかる・選べる・楽しめる「寿現夢」。リクルートから。

第33回宣伝会議賞審査員特別賞 リクルート「寿無夢」ラジオCM 今井雅子のコピー

今だったら1次を突破できるかどうかのレベルだと思う。

その3年後に協賛企業賞を受賞した東ハト「キャラメルコーン」のコピーは、ジオシティーズ時代のサイトで紹介したポスター(を作ってもらったらしい)に添えたコメントだけが残っている。

宣伝会議賞はコピーライターの登竜門的存在。学生やアマに混じってプロも多数応募。受賞したとき、わたしは入社6年目。「中堅なんだから、取るなら協賛企業賞じゃなくて金・銀・銅賞じゃないと」と上司に言われましたが、それでもうれしかった。授賞式で東ハト宣伝部の方に「キャラメルコーン大好きです」と伝えたら、段ボール箱いっぱい送ってきてくれました。

今はないサイト「いまいまさこカフェ」より

キャラメルコーンを送っていただいたことは覚えているが、コピーを思い出せない。「◯◯な味」という感じのコピーだったような。書いた本人が忘れてしまうコピーってどうなんだろうか。

里帰りした故郷に惚れ直した

「中堅なんだから、取るなら協賛企業賞じゃなくて金・銀・銅賞じゃないと」

当時の上司("I feel Coke"のCMソングを作詞した遠崎眞一さん)のこの一言で、宣伝会議賞への応募をやめた。協賛企業より上を取って、「どや!」と卒業する道もあったはずだが、取れる気がしなかったのだろう。

1998年。偶然かもしれないが、この年から脚本賞の応募を始めている。遠崎さんはたぶん覚えていないだろうけれど、コピーよりこっちと舵を切るきっかけをもらえた。

もちろん、宣伝会議賞時代があったから、脚本コンクールに応募するようになったのだと思う。賞が書く励みになること、賞に言葉が引き出されることを教えてくれたのが宣伝会議賞だ。

そんなことも数十年ぶりに思い出し、受賞テーブルから離れた横並びの椅子でニマニマしたり、涙ぐんだり、忙しかった。年月の分、感情の振り子の糸が長くなったせいもある。コンクールをきっかけに脚本家となり、選ばれる側から選ぶ側になり、賞の重みをより感じるようになったせいもある。

賞は未来を引き寄せるけれど、過去も連れて来る。

コピーの仕事、好きだったんだな。
コピーに育てられたんだな。
と、あらためて思った。

コピーライターだった当時の憧れの人たちが今も現役で、マイクの前に立つ姿を見るだけでも涙腺が緩んだ。まだまだお元気だな、相変わらず話上手いなと、また泣けた。向こうはわたしを知らず、こちらが一方的に存じ上げているだけなのだが、数十年前からお顔とお名前に馴染んでいるので、勝手に親近感が膨らんでいる。

四半世紀ぶりの宣伝会議賞贈賞式。懐かしいだけじゃなくて、新しいお店や名所もできてにぎわっていて、こんないいところだったんだ、離れている間もいろんな人がここを盛り立てていたんだなとうれしくなったり誇らしくなったりした。里帰りした故郷に惚れ直した。

「いくつものドアを超えて」というタイトルにちなんで、ドアの写真をタイトル画像にしたかったのだけど、それにつけても写真が下手だ。

レゴのドアを手前から奥に3つ並べた図。床に伸びた色つき影がシルエット好きにはツボだが、もっといい写真を撮れないものだろうか。
渋谷でつかまえた同潤会アパート展で3つ並んだドアを撮った。色も形もガラスのはまり具合も違い、年季を感じさせるドアはそれぞれ絵になるが、わたしのカメラの腕が惜しまれる。



目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。