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『日本語は天才である』は天才である

「これまでにいちばん人に薦めた本は?」と聞かれたら、『日本語は天才である』(柳瀬尚紀)を挙げる。日本語を扱うすべての人に薦めたい。毎日何気なく食べているご飯をごちそうに変えてしまう魔法のレシピのように、普段使いの日本語が一生ものの宝に化けるヒントとアイデアが詰まった名著だ。


実は大当たりの宝くじを持っていた!

出会いは2007年。2月に単行本が刊行され、年の暮れに手に取った。感想を綴った日記を読み返すと、《日本語は面白いなあと思ってはいたけれど、「天才」と言い切る発想はなかった》とある。わたしの愛国語心に火をつけたのが、この本だ。



✒︎✒︎掘り出し原稿はじめ✒︎✒︎

2007年12月28日(金)

読みたい読みたいと思っていた『日本語は天才である』をようやく読み、幸せな気持ちになった。

わたしたちが日々当たり前のように使っている日本語が実はとんでもない天才であることを翻訳家である筆者の柳瀬尚紀氏が自らの経験を踏まえて証明してくれる。



縦書きにも横書きにもでき、ひらがなカタカナ漢字はもちろんのことアルファベットや記号も難なく取り込み、漢字は幾通りもの読み方ができる上に分解も合体もできる。これほど自由度が高く、それゆえ可能性を秘めた言語は他に見当たらないと言われてみれば、なるほどその通り。

日本語は面白いなあと思ってはいたけれど、「天才」と言い切る発想はなかった。

だが、柳瀬氏の鮮やかな翻訳術の一端をのぞくと、「こんな離れ業ができるわが日本語は、天才以外の何物でもない!」と確信するに至る。

柳瀬氏の語り口がまた美しく面白く味があり、「あなた、実は大当たりの宝くじを持っていますよ」と告げてくれたのがとびきりイイ男だった、みたいなトクした気分にさせられた。

✒︎✒︎掘り出し原稿終わり✒︎✒︎

『日本語は天才である』は、読んだ人をいい気にさせる天才だった。

とっつきやすい天才

「天才」は、とっつきにくい。自分にはない要素だと読者に敬遠される。主人公が天才で、ましてやタイトルに天才を冠すると、近寄りがたい孤高感が強調されてしまうものだが、『日本語は天才である』は例外だ。

主人公である「日本語」は、読者の手にあるから。

あなたの持っているそれ、すごいヤツなんですよ、天才なんですよ。そう教えてくれるから、宝くじ大当たり気分を味わえる。

あらすじと目次を見ると、この本のとっつきやすさが伝わるだろうか。

【あらすじ】縦書きも横書きもOK。漢字とかなとカナ、アルファベットまで組み込んで文章が綴れる。難しい言葉に振り仮名をつけられるし、様々な敬語表現や味わい深い方言もある。言葉遊びは自由自在──日本語には全てがある、何でもできる。翻訳不可能と言われた『フィネガンズ・ウェイク』を見事に日本語にした当代随一の翻訳家が縦横無尽に日本語を言祝(ことほ)ぐ、目からうろこの日本語談義。

【もくじ】
まえがき
第一章 お月さんはなぜ怒ったのか?
第二章 天才と漢字の間柄
第三章 平和なことば・日本語
第四章 「お」の変幻自在
第五章 かん字のよこにはひらがなを!
第六章 あずましい根室の私
第七章 シチ派VSナナ派 真昼の決闘
第八章 四十八文字の奇跡

井上ひさしさんの言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」をなぞるかのように、日本語の奥深さを喉越しの良い言葉で伝えてくれる。それができるのは、日本語遣いの名手だから。

新潮社の紹介ページで「まえがき」を読めるのだが、いきなり芥川龍之介が書き残した言葉を巡って推理が始まり、何重にも仕掛けられた謎を解くような知的興奮とともに味わえる。日本語の天才ぶりを鮮やかに切り取りつつ「天才論」にもなっていて、これだけでも一読の価値がある。

柳瀬尚紀さんは、書くのはもちろん、お話しも上手だったのではと想像する。お酒を飲んだら、英知の地層から汲み上げた言葉で酔わせてくれたに違いない。

「日本語を肴に柳瀬さんと飲みたかった」というのが、わたしのかなわぬ夢だ。

愛国語者のバイブル

関わった料理本がミリオンセラーになったという方と飲んだときのこと。その方が「ヒットする本は実利と結びついている」と言い、「時短」「減量」「受験」を例に挙げた。

読めば時間を短縮できる。
読めば減量できる。
読めば受験に合格できる。

すぐ効く薬のように即効性のある本にはお金を出しやすいのだと。

『日本語は天才である』は、時短にも減量にも結びつかない。受験にも直結しない。長い目で見れば、国語が好きになって成績が上がるかもしれないし、お菓子を食べるより読書に夢中になって体重が落ちるかもしれないし、文章が書けなくて悩む時間が短縮されるかもしれないが、即効ではなく、じわじわと効く。

この本の実利は、読者が時間をかけて複利で増やしていくものだから。

母校の高校で講義したとき、質疑応答で「おすすめの本はありますか?」と質問した男子生徒がいた。待ってましたとばかりに「柳瀬尚紀という翻訳家の方が書かれた『日本語は天才である』という本があって」と答え始めると、「それはもう読みました」と言われ、「えらい!」と同時に「うらやましい!」となった。

高校生のときにこの本に出会えるなんて‼︎

ただし、当たりの宝くじは、引き換えなければ、宝の持ち腐れ。この一冊を一生ものにするかどうかは、読者の実践次第だ。日本語と四つに組んで、「そんなこともできるのか!」「そう来るとは!」と手応えを感じた上で、「だったらこんなこともできちゃう?」と試してみる。遊んでみる。「そんな高くまで飛べるのか!」「そんな遠くまで行けるのか!」「そんな形にもなれるのか!」と日本語の跳躍力や可動域や柔軟性に驚き、底知れない力量を知ることになる。

当たりくじを持っていることに気づくのが早い人ほど、恩恵にあずかれるチャンスがある。日本語を使えば使うほど楽しめる、つまり長期ユーザーになるほど利益還元率が高い本だ。わたしは「愛国語者のバイブル」だと思っている。

毎日新聞の「昨日読んだ文庫」に

ドバイには5つ星では足りなくて7つ星の超豪華ホテルがあるらしいが、わたしの『日本語は天才である』の評価も星5つでは足りない。読むたびに星が増え、ドバイのホテル級になっている。

このバイブルを広め、日本語を面白がる愛国語者仲間を増やしたい。あなた当たりくじ持ってますよと教えられて怒る人はいない。一緒にホクホク、ウキウキ、ワクワクしたいではないか。新たな鉱脈を掘り当てたいではないか。

2011年春、NHKの「週刊ブックレビュー」に書評ゲストで呼んでいただき、合評するイチオシ本を3冊選ぶことになった。『日本語は天才である』は外せないと思った。他に『絶後の記録』(小倉豊文)と『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)を挙げたが、「半年以内に刊行されたもの」という条件に合わなかった。

『絶後の記録』については以前のnote(一冊の「紙の墓」)に書いた。『君たちはどう生きるか』は、1937年に新潮社から刊行以来、いくつもの出版社に受け継がれ、2017年にマガジンハウスから刊行された漫画版は半年余りで200万部を突破した。わたしの口コミの出る幕はないが、この本も、社会の網をたぐりながら生きてきた時間の分だけ深くしみ込む一冊だ。

2018年、毎日新聞書評面の「昨日読んだ文庫」コラムに寄稿する機会が舞い込んだ。単行本刊行の2年後、2009年に文庫になっていた『日本語は天才である』を迷わず選んだ。すでに他の方がコラムで取り上げていたらご縁がなかったが、幸い一番乗りだった。

1月7日掲載の2日前に映画『嘘八百』(足立紳さんと共同脚本)が公開されたこともあり、「映画の宣伝とからめて書いてくださってもいいですよ」と言っていただいたので、映画の舞台となった故郷・大阪府堺市の紹介にはじまり、思い入れのある日本語字幕版のことも入れ込み、ちゃっかり自分の作品を宣伝しつつ10年来の愛読書を紹介した。

ゲラとともに掲載原稿を。

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✒︎✒︎掲載原稿はじめ✒︎✒︎

昨日読んだ文庫
今井雅子

 堺はわたしの故郷だが、この漢字を読めないという方が意外に多く、堺(さかい)とルビを振ったり、堺(さかい)とふりがなをカッコに納めたり、カッコつけて堺―SAKAIと書いてみたり、堺市–Sakai Cityと寝かせたりもする。
 漢字もひらがなもカタカナも横文字もルビも記号も飲み込む懐の深さと、縦にも横にもできる柔軟さを併せ持つ日本語の変幻自在ぶりに、翻訳家である柳瀬尚紀氏は度々感嘆し、『日本語は天才である』(新潮文庫)と確信をタイトルにした本を著した。今までにわたしが最も膝を打ち、最も人に薦めた一冊である。
 初めて読んだのは単行本が刊行された十一年前。痛快な興奮を《「あなた、実は大当たりの宝くじを持っていますよ」と告げてくれたのがとびきりイイ男だった、みたいなトクした気分》と日記に綴った。 
 生まれてから空気のようになじんできた母国語。その縦横無尽な活躍ぶりが柳瀬氏の手がけた翻訳例とともに披露される。華々しい武勇伝の数々に「愛国語心」が高まった。つまらない使い方をしては天才に失礼だ。ピンキリの価値は、使い手の腕次第。柳瀬氏にならって、もっと日本語と切り結びたいと思った。
 奇しくも、わたしの映画脚本デビュー作『パコダテ人』は、日本語と遊んでいる。函館の女子高生が、シップが効き過ぎてシッポが生えてきた気分を「日野ひかるに、おまけのちっちゃい◯(まる)がついて、日野(ぴの)ぴかるになったよう」とテレビで語ったことから、函館(ぱこだて)、北海道(ぽっかいどう)など、ハ行とバ行がパ行に変換される「パコダテ語」が流行(はや)る。ツイッターが公開時にあれば、ピポパポと盛り上がれたかもしれない。笑うときはパパパパパ。
 来年ではなく新年公開中の映画『嘘八百』(足立紳さんと共同脚本)の日本語字幕製作でも天才に助けられた。一行の文字数制限を飛び道具のルビで乗り越え、「使(つこ)て」など大阪弁の味まで出して見せた。
 「八百」をローマ字で表すと「happy(ハッピー)aku(開く)」。はぁお見事、「開運!お宝コメディ」らしいメッセージを数字に隠すとは、なんたる離れ業。はい、この原稿にも二十文字隠してみました。(脚本家)

✒︎✒︎掲載原稿終わり✒︎✒︎

隠しメッセージの遊び

コラムの文中に20文字の隠しメッセージを忍ばせてみた。「著者あとがき」で柳瀬さんが仕掛けられている言葉遊びを真似した。わたしも中学生の頃、友人との手紙交換でよくやった遊びだ。

「これまでに担当した『昨日読んだ文庫』の中では、五本の指の中に入るユニークさです」と担当の記者さんには面白がっていただいたが、記事を読んだ人からは「難しい」「わからない」の声が寄せられた。文字数の都合で割愛してしまったが、せめて「ヒントは著者あとがき」と記せたら親切だったと反省。

著者あとがき以外のヒントは「頭を使え」。

頭にも色々ある。体のてっぺんはもちろん、色んなてっぺん、はじまり。コラムに隠した20文字は「原稿の中のあるもの」の頭の数と一致している。

もうひとつのヒントは「ひらがなを使え」。「漢字ではなくひらがなの20文字」をつなげると、隠しメッセージになる。

✔︎著者あとがき
✔︎頭を使え
✔︎ひらがなを使え

このヒント3つで正答率はかなり上がるはず。日本語の天才ぶりを実感しながら解いていただけたらと思う。

消えたタイトルを作る

思えば遠くへ来てしまい、相当振り返っていただくことになるが、このnoteのヘッダー写真には、厚みもジャンルも手垢のつき具合もバラバラな10冊の背表紙が並んでいる。その中に主役の『日本語は天才である』はない。

理由は、本が見つからなかったから。

これまでにも家の中で行方をくらましては、思いがけないところから見つけ出されたが、今回このnoteを書くにあたり久しぶりに手に取ろうとしたら、どこにもなかった。そのかわり「日本」がタイトルにつく本が出てきたので、これでお茶を濁すことにした。

『日本語練習帳』(大野晋)
『日本の公安警察』(青木理)
『日本一心のこもった恋文』(秋田県二ツ井町)
『日本の将来を考える』(猪木正道)
『日本の素朴絵』(矢島新)

「日本」が5冊で「日本5(ご)」というダジャレ。

「は」は『橋本忍 人とシナリオ(復刻版)』の一文字目の「橋」から拝借。「天」は剣客商売シリーズ(池波正太郎)の『天魔』から。

「才」は『サラバ!』(西加奈子)と『イランの野望 浮上する「シーア派大国」』(鵜塚健)から一文字ずつ取って「サイ」(ついでにイランつながり)。

「で」は『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(丸山正樹)、「あ」は『アクアリウムの夜』(稲生平太郎)から取るとして、「る」で始まる本があるだろうかと見回すと、『類語国語辞典』があり、苦し紛れながらもタイトルが完成した。

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本棚に眠っていた「天才」

さらに本棚を探ると、ひらがなの「は」で始まる本を発見。『はじめて教師になったあなたへ 子どもたちと心の絆を結ぶ7つの原則』(田中滿公子)。

そして、そのものずばり、「天才」というタイトルの本を発見。

『天才』(石原慎太郎)

タイトルに「天才」を冠すると読者との距離が云々と先に書いたが、有無を言わせぬ著者の気迫が背表紙からも伝わる。この本がなぜわたしの本棚にあるのか、いつから本棚にあったのか心当たりがなく、「天才」を探していたら突如目の前に現れたかのようで愉快だった。

3冊で担っていた「天才」を1冊で肩代わりできることになった。「橋」を「は」に、「天」「サ」「イ」を「天才」に差し替えると、ずいぶんすっきりした眺めになった。

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『日本語練習帳』で始まり、『類語国語辞典』で終わる。なかなか粋な並びではないかとうなずいて、はたと気づいた。

『日本語練習帳』があれば、「日本」のついた本を5冊並べなくたって1冊で事足りるではないか。

「ある」で始まる本が見つかったら、さらにスリムになる。『アルジャーノンに花束を』は、どこかにあるはず。『アルプスの少女ハイジ』は絵本があったかも。ひらがなだとなお良い。『ある男』とか『ある愛の詩』とか。

『日本語は天才である』がすんなり見つかれば、蔵書の背表紙を並べてタイトルをでっち上げることも、本棚に眠る天才を発掘することもなかった。行方をくらませてもなお言葉遊びをさせてしまうとは、やはり『日本語は天才である』は天才である。

clubhouse朗読をreplayで

2023.11.5(日本語の日)やまねたけしさん


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