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脚本で食べていく(出張いまいまさこカフェ6杯目)

2006年9月から5年にわたって池袋シネマ振興会の季刊フリーペーパー「buku」に連載していたエッセイ「出張いまいまさこカフェ」の6杯目。特集は神木隆之介さん(表紙も)と吉野紗香さん。

「脚本で食べていく」今井雅子

「脚本で食っていけますか」。脚本家をめざしているという見知らぬ相手からの不躾なメールに面食らったことがある。当時まだ会社勤めと二足の草鞋を履いていたわたしの脚本家としての収入は給料の5分の1もなかった。

「脚本家になったら食えるのではなく、食える脚本家になれるどうかは自分次第だ!」と喝を入れたくなったが、わたしも脚本料の相場をよくわかってなかったので、先輩方に問い合わせてみた。ある人は「1分1万円」と答え、ある人は「製作費の5%」と答えた。上映時間120分の映画なら120万円、製作費1億円の映画なら5百万円。この二つの間の数字を請求書に書けるようになった『子ぎつねへレン』をきっかけに、わたしは会社を辞め、脚本家として一本立ちした。

脚本を書けば自動的にギャラが入るわけではない。企画が立ち消えた場合、「製作費が集まってないから、泣いてよ」となることもある。だが、脚本が日の目を見ないときこそ、せめて脚本料はいただきたい。むしろ慰謝料を乗っけて欲しいぐらいだ。そうプロデューサーに言ったら、「クランクインしようがしまいが、書く労力は同じですよね」と反撃されたが、違うのだ、「報われ度」が。出産を経験して痛感したのだが、わが子が産声を上げた喜びで産みの苦しみは吹っ飛ぶ。頭痛・肩こり・寝不足・プレッシャーに耐え、『鶴の恩返し』の鶴のように身を削って書き続けるのは、脚本が映像になり、それを観客と分かち合える日を励みにしているからなのだ。

映画デビュー作『パコダテ人』の東京での最終日、残業を終えて駆けつけると、クレジットロールがせり上がるところだった。観客が席を立たずに見つめるスクリーンには、共に作品を作り上げた一人一人の名前が焼きつけられ、わたしの脳裏には、コンクールに応募したオリジナル脚本が前田哲監督に見出されてからの日々が蘇った。活字だった台詞やト書きが動き出し、登場人物に命が吹き込まれ、観客の笑いや涙や拍手を頂戴している。

まるで魔法だと思った。膝が震えるような感動を味わいながら、これが脚本家にとって何よりの報酬なのだと知った。

残念ながら2007年に発表できる今井雅子脚本作品はゼロとなる見通しだが、それでもそれなりの収入があるのは、立ち消えた企画の脚本料の他に、親孝行な作品たちがDVDの売り上げやレンタル料、テレビ放映料などに応じて支払われる著作権二次使用料を運んでくれているから。けれど、お金を受け取って満足してしまったら、脚本家は先細るだけだ。来年こそは「値段をつけられない報酬」をいただけるよう、今日もパソコンに向かっている。

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写真脚注)日本シナリオ作家協会から送られる著作権使用料の明細。わが子の活躍が一目瞭然。

自分で自分に値段をつけるのって難しい

脚本料の相場、15年経っても「(作品の長さ)1分1万円」から上がった感覚がないし、むしろ「最低でも1分1万円」がギリギリ守られているかどうか、という仕事が増えた気がしないでもない。フリーランスには定期昇給はない。物価指数にギャラの上昇カーブが振り落とされる。それでも著作物の数だけ著作権使用料は広く集められるようになっている。全国、全世界に飛び立った作品たちがせっせと出稼ぎして、親にお金を納めてくれる。

原稿料の話をするのは今も苦手で、代わりに交渉してくれるマネージャーがいたらなあと思う。saita連載小説『漂うわたし』の第41回(9.18公開)は、「自分で自分に値段をつけるのって難しい」と題して、フリーランスの作り手と報酬の話を書いた。

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2022.10.30 宮村麻未さん



目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。