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棘をお守りに変えて─「きみを待つピアノ」

「きみを待つピアノ」音声上演脚本を公開します。作品の成り立ち、上演許諾については後に記します。


今井雅子作「きみを待つピアノ」

登場人物
私
奏(かなで)
おっちゃん
青年
女の子
祖母

宮崎行きの飛行機、機内。シートベルト着用のサイン音がプンッと鳴る。

CAアナウンス
「皆様、当機は宮崎ブーゲンビリア空港到着に向けて着陸態勢に入ります。テーブルと座席の背もたれを元の位置にお戻しになり、シートベルトをご着用ください」

シートベルトを着用する音が機内に響く。

「ベルトがうわんうわんいってる」
「奏もシートベルトちゃんと締めてるね」
「うわんうわんいってる。うわんうわんいってる」
「大丈夫。もうすぐ着くからね」

私M「娘の奏が、いつものように両手で耳をぎゅっとふさぐ。奏の耳は、隣の席の人がシートベルトを締める音も、離れた席の人がシートベルトを締める音も、同じように拾ってしまう。カメラでいうと、ピントの調節がうまくできない。人には聞き流せる音が、奏には刺激になる。体が疲れたとき、心が傷ついたとき、とくに奏は不安定になり、音が棘になって突き刺さる」

モノローグに合わせて、シートベルトを締める音。紙コップを回収するCAの声。テーブルを畳む音。乗客のおしゃべり。機体のエンジン音。

「ベルトがうわんうわんいってる。テーブルがうわんうわんいってる」
隣の乗客「ちょっと、大丈夫なの? さっきから」
「うるさくしてすみません。この子、音に敏感で……」
「うわんうわんいってる、うわんうわんいってる」
「奏、空色ピアノ見る? 見よっか?」

タブレットを取り出し、動画を再生する。流れてくるピアノ。

私M「奏が取り乱すと、空色ピアノの動画を見せる。宮崎市の繁華街の一角に置かれたストリートピアノ。空色にペイントされ、色とりどりの建物やヤシの木やネコが描かれたそのピアノの音色は、奏の心を落ち着かせてくれる」

隣の乗客「ちょっと、音、大きいですよ」
「すみません」

動画再生を止める。

「とめないで!」 
「奏、イヤホンして」
「イヤホンやだ」
「まわりの人に迷惑だから」
「(突然大声で)やだって言ってるでしょ!」
「奏っ」
「空色ピアノ見る!」 
「もうすぐ本物の空色ピアノに会えるから、ね」
「やだ! 今見るの!」
男性の乗客「(離れた席から)おい、いつまでやってんだよ!」 
「(泣きが入って)大きな声出さないでください……」
男性の乗客「早く黙らせろ!」
「(取り乱し、奇声)」
「すみません、すみません、すみません!」

私M「こんなことがいつまで続くのだろう。もう耐えられない。奏が何度も動画で見たピアノに救いを求めて、私は宮崎を目指していた」

平日の昼下がりの宮崎市内。大通りを行き交う車の音。商店街を行き交う人々の話し声。誰かが弾くピアノ。

「ピアノの音が聞こえる。あ、あった。奏、空色ピアノあったよ」
「どこ?」
「ほら、ベンチの向こうに見えるでしょ。今弾いているの、動画の人かな? 行ってみよっ」

歩き出す母娘の靴音。近づくピアノの音。明るいジャズのピアノが止んで、

おっちゃん「次、弾いてみるかい?」
「あ、はい。いきなり来て、弾いていいんですか」
おっちゃん「もちろん。街角ピアノだからね。誰でも好きなときに弾いていいんだ」
「そうなんですか。ほら奏、ピアノかわってくれるって。弾こっ」
「ひかない」
「弾こうよ。そのために来たんだから」
おっちゃん「あんたら、どっから来たの?」
「東京です」
おっちゃん「東京? お嬢ちゃんいくつ? 小学生かな?」
「かなで、小学校お休みしてるの」
おっちゃん「今日学校お休み?」
「ずうっとお休み。でも、パパは会社お休みできないから、ママが毎日かなでといっしょにいるの」      
おっちゃん「へぇ」
「奏、いきなりうわーってしゃべったら、びっくりしちゃうでしょ」
おっちゃん「いやいや、元気があって結構」
「元気といいますか……」
おっちゃん「お嬢ちゃん、せっかく宮崎まで来たんだから、ピアノ弾きなよ」
「そうだよ。奏、弾こっ」
「ひかない」
「どうして? 奏の大好きな空色ピアノだよ」
おっちゃん「空色ピアノ? このピアノのことかい?」
「勝手にそう呼んでいるんです」
「ちがう。こんなの空色ピアノじゃない」
「空色ピアノだよ。ほら、空色にぬってあって、ヤシの木にネコちゃんの絵も描いてあるよ。奏がいつも動画で見てるのと同じ」
「空色ピアノ見る!」
「だから、ピアノはここにあるでしょ」
おっちゃん「(おどけて弾く)遊んでよー。さびしいよー」
「ちがうもん! こんな音じゃないもん!」 
「奏、大きな声出さないで。(おっちゃんに)すみません。(奏に)わかった。動画見せてあげるから」

バッグからタブレットを取り出し、動画を再生する。なめらかなピアノ演奏。

おっちゃん「きれいな曲だな。これ、映ってるの、このピアノかい?」
「はい。あの……この弾いている男性は、あなた、ではないですか?」
おっちゃん「ええ男か?」
「え?」
おっちゃん「俺みたいな男前か?」
「えっと……見ての通り後ろ姿なので顔はわからないんですが」
おっちゃん「どっちみち俺は見えん」
「え?」
おっちゃん「歩くときはこの白い杖が目の代わり」
「あ……すみません」

思わず動画再生を止める。

おっちゃん「姿は見えなくても、音はわかる。今の曲、ここで聞いたことある」
「本当ですか? 弾いていたのは、どんな人……(ハッ)すみません」
おっちゃん「いや、目よりも頭のほうが問題でね。年取ると、少し前のことでもなかなか思い出せん。さっきの、いつの動画かい?」
「動画の日付は三年前の一月になっています」
おっちゃん「三年前……そら掘り出すんもひと苦労やわ」

青年の足音が近づいて、

青年「(近づいて)ピアノ、いいですか?」
おっちゃん「ああ、どうぞ。えっと、杖、どこに置いたかな?」
「あ、ここです」

杖の先をトン、と地面にぶつける。

おっちゃん「ああ、ここか。一分前のことも、もう忘れてる」

おっちゃん、杖をついてベンチに移動し、腰を下ろす。座面をトントンとたたいて、

おっちゃん「お嬢ちゃん、ここのベンチに座ってな」
「はい。奏、ここに座って、待ってようね」
「なにをまつの?」
「空色ピアノの人を待つんでしょ?」

私と奏、ベンチに腰を下ろす。青年が椅子の位置を細かく直す音が聞こえる。

「いすがうわんうわんいってる」
「(シーッ)」

青年、なおも椅子の位置を細かく直す。

「いすがうわんうわんいってる」  
「奏、静かにしてようね」

弾き始める前の間があって、青年が弾き始める。バッハの平均律。少し弾いて、指が止まる。

青年「(ため息)ダメか」
奏「ママ、この人?」
私「(ひそひそ)どうかな」

青年、もう一度頭から弾く。先ほどよりも手前でつっかえる。

青年「(ため息)ダメだ」
「違うかな」
「このおにいさんじゃないの?」
「(ひそひそ)奏、声大きいよ」
「いつ来るの?」
青年「(ピアノを止めて)あの……耳障りですか?」
「え?」
青年「ぼくのピアノ」
「あ、違うんです。この子、ちょっと音に敏感で、落ち着かなくて……」
おっちゃん「この兄ちゃんにも、さっきの動画、見てもらったらどうだい?」
「そうですね。あの……実は、この人を待っているんです」

動画を再生する。

青年「この動画は……?」
「ピアノの動画を探していて、偶然見つけたんです」
青年「再生回数、千五百八十三回……」
「ほとんど私です」
青年「え?」
「一日に何度も見ているんです。この子、この動画を見せると、落ち着くんです」
「かなでのおまもりだよ」
青年「おまもり……?」 
「うん」
青年「それで、この動画の人に会って、どうするんですか」
「動画の曲を弾いてもらいたいんです」
おっちゃん「この人ら、東京からわざわざ来たんだって。兄ちゃん、心当たりないかい?」
青年「……ありません」
「そうですか」

動画を止める。

「ママ、空色ピアノの人、来ないの?」
「来るよ」
「来なかったらどうするの?」
「きっと来るよ」
青年「その人、宮崎にいるかどうか、わからないじゃないですか」
「え?」
青年「動画に写った一回だけ、たまたま弾きに来ていたかもしれない」
「あ……」
「来ないの? ねえ、来ないってこと?」 
「(奏に)奏、声大きい。(青年に)あの……さっきの動画の曲、弾けますか?」
青年「え?」
「来るの、来ないの、どっち?」
「いいから、静かにして」     
青年「……やってみます」
「ありがとうございます。弾いてくれるって」

青年、動画の曲の出だしを弾くが、途中で止まる。

青年「すみません。もう一度」

動画の曲の出だしを弾くが、同じところで止まる。

青年「……すみません」
「いえ、無茶ですよね。楽譜もないのに」
青年「これくらい、弾けると思ったんですけど」
おっちゃん「いっぺん聞いただけで、それだけ弾けたら大したもんだ」
「ひけてない」
「(たしなめ)奏っ」
青年「もう一度やってみます」

動画の曲の出だしを弾くが、先ほどより手前でつっかえる。

青年「(悔しいため息)」
「無理しないでください。いいんです。動画の人を待ちますから」
青年「動画じゃダメなんですか?」
「え?」
青年「いや……わざわざ宮崎まで来なくても、動画見てればいいじゃないですか」
「……今朝、小学校の担任の先生から電話があったんです」
青年「電話?」
「この子、今、学校に行けてなくて。それで、いつから来れるか教えて欲しいって」
おっちゃん「そんなこと言われてもなあ」
「わかるわけないですよ。でも、来ないなら来ないってはっきりさせて欲しいって言われたんです。席替えとかグループ決めのときに困るって」
おっちゃん「学校の都合だなあ」
「いつまでも待ってくれるわけじゃないんですね。このままじゃいけない、学校に戻れなくなってしまうって焦って……それで、この子にどうしてもピアノを弾かせなきゃって、いても立ってもいられなくて、飛び出してきたんです」
青年「え?」
「え?」
青年「なんで、ピアノなんですか?」
「なんで? この子、ピアノ頑張ってて……その頃は学校に行けてたんです」
青年「ピアノ、やってたんですか」
「はい。ピアノ教室で」
「かなで、やめちゃったの。がくふのとおりにひけない子は来ちゃダメって言われたの」
「熱心ないい先生だったんですけど、教えにくかったみたいで……」
「お外の音がうるさかったの。くつがうわんうわんいってたり、風がうわんうわんいってたりするの」
青年「うわんうわん?」
「ピアノの先生には聞こえないの。お外の音が気になるのは、しゅうちゅうしてないしょうこなんだって」
「それっきり、ピアノは弾かなくなったんですけど、あの動画だけは何度も見てるんです。だから、空色ピアノなら弾いてくれるんじゃないかって。それで宮崎まで来たんです」
「かなで、ピアノひくなんて言ってない」
「奏にとっては、特別なピアノでしょ?」
「ピアノじゃなくて、あの曲がいいのっ」
「だから動画の人を待つんでしょ?」
青年「あの……弾いていいですか」
「あ、お引き止めしてすみません。どうぞ」    

青年、再びバッハの平均律を弾く。

私M「一体、何を待っているのだろう。奏が空色ピアノに駆け寄って、目を輝かせて弾き始めて、その音にみんなが寄ってくる……。そんな魔法みたいなことは起こらなかった。奏はピアノにさわろうとしないし、動画の人も現れない。ピアノの空色がくすんで見える」

青年、つっかえて、頭から弾き直す。さっきより手前でつっかえる。

青年「(ため息)」

女の子「(OFF)あ、ピアノだ」
祖母「(OFF)ゆきちゃん、待って」

近づくおばあちゃんと女の子の靴音。

女の子「(近づいて)うわあ、かわいい。ネコちゃんの絵がかいてある。
祖母「かわいいね」
女の子「おばあちゃん、ひいていいの?」
祖母「待って。順番ね」
青年「(渋々)あー、いいですよ。どうぞ」

椅子から立ち上がる。

祖母「どうも。こちらのお嬢ちゃんは? 順番待ってます?」
「奏、弾かないの?」
「ひかない」
「お先にどうぞ」
祖母「そうですか。じゃ、ゆきちゃん、ひいていいよ」
女の子「うん!」    

女の子、椅子に座り、音をいくつか鳴らす。

おっちゃん「兄ちゃん、ピアノ空くまで、ここに座ってな」
青年「はい」

青年、ベンチに腰を下ろす。

おっちゃん「ここには、よく弾きに来るのかい?」
青年「いえ」
おっちゃん「ふうん」

女の子、チューリップなどの童謡をでたらめな指使いで弾く。

祖母「(手拍子しながら)ゆきちゃん、上手上手」

「奏、お友達、上手に弾いてるね」
「おともだちじゃない」
「(ため息)奏は、いつ弾くの? 」
「ひかない」
「どうして?」 
「ひけない」
「弾けるでしょ。ピアノ教室で習ってた曲」
「がくふのとおりにひけない子は、ひいちゃダメなんだよ」
「大丈夫だよ。ここは教室じゃないんだから」 
おっちゃん「そうよー。誰でも弾けるのが街角ピアノのいいとこなんだから、ひいちゃダメな子なんていないんだよ。なあ、兄ちゃん?」
青年「(ぽつり)ピアノなんて、好きに弾けばいい」
「この子にとっては、そんな簡単なことじゃないんです」
青年「簡単だなんて言ってませんよ」
「今だって、目の前のピアノの音と、大通りの車の音が混ざりあっていて、聞きたい音に集中できないんです」
青年「聞きたい音だけ聞けている人なんて、いるんですかね」
「え?」
青年「聞きたくない音だらけじゃないですか、世の中」
「それは、そうですけど……この子は、私たちの何倍もうるさくて刺々しい音を聞かされているんです」
青年「その音を聞いたんですか」
「え?」 
青年「どうしてわかるんですか?」
「専門のお医者さんにサンプルを聞かせてもらったんです。奏のように音に敏感な子には、こんな風に聞こえているっていうデモテープみたいなのがあって」
青年「どうだったんですか」
「食器洗い機に放り込まれて、食器がカチャカチャぶつかりあってる中で水をかぶっているような、そんな感じでした」 
青年「食洗機、放り込まれたことあるんですか」
「もちろん、ないですけど……」
青年「親って、子どものことは何でもわかったつもりになってるんですよね」
「この子、実際、困ってるんです。学校の教室なんて、音を立てる子が三十人いるんです。ひとクラス分の音が耳に飛び込んでくるんです。授業どころじゃないですよ」 
「(突然興奮して)学校の話、しないで!」
「ごめん奏、思い出しちゃった?」
「黒板がうわんうわんいってる、えんぴつがうわんわんいってる……」
「ごめんね。ママが悪かったね」
「きょうしつ、やだ。学校、やだ。うわんうわんいってる」
女の子「(ピアノを止める)おばあちゃん、この子、どうして耳をふさいでるの?」
祖母「ゆきちゃん、そういうこと聞かないの」
「いいんです」
「(ブツブツ)うわんうわんいってる。うわんうわんいってる……」
「あのね、この子、色んな音が聞こえすぎちゃうの。
女の子「うさぎさんみたいに耳がいいの?」
「耳がいいっていうか、音と音がケンカしちゃって、しんどくなっちゃうの。
女の子「ふうん」
「ごめんね。奏、もう大丈夫でしょ。耳ふさいでないで、手下ろして」
「黒板の音、きらい。えんぴつの音、きらい。雨の音もきらい。かみなりの音はもっときらい。いちばんきらいなのは、きゅうきゅう車の音」
女の子「どうして? きゅうきゅう車の音、たのしいよー。ピーポーピーポーピーポーピーポー」
「わーっ。やめてやめて。やだやだやだやだ」
祖母「ゆきちゃん、お友達がいやがることしちゃダメでしょ! すみません」
「いえ、こちらこそすみません。奏、落ち着いて」
「(叫んで)きゅうきゅう車やだーっ!」
女の子「わ!」

女の子、奏に突き飛ばされる。両手が鍵盤を滑り、音が鳴る。

女の子「いたいっ。おばあちゃん、この子、ドンッて、おした!」
祖母「手が当たっただけでしょ」
女の子「この子、らんぼう!」  
「(女の子に)ごめんね。ケガしなかった? (祖母に)すいません」
祖母「病院行ったほうがいいですよ」
「え?」
祖母「調べたら、そういうところありますから。ゆきちゃん行きましょ」

祖母と女の子の靴音が遠ざかる。

「(ため息)」
「おうち帰る」
「何言ってるの? 空色ピアノの人が来るまで待つんでしょ」
「おうち帰る」
「わかった。じゃあピアノ弾いたら帰ろ」
「ひかない」
「ピアノ弾くまで帰らないよ」
「ママこわい! (去りかける)」
「(追いかけ)待ちなさい奏!」
「さわらないで!」
「奏……。どこ行くの?」
「(去りながら)ママのそばにいたくないのっ」
「そこにいてよ。勝手にどっか行っちゃダメだよ。奏、聞いてる? もう……(ため息)」
おっちゃん「(明るく)兄ちゃん、ピアノ空いたよ」

青年、立ち上がり、椅子に座る。座る位置を細かく直し、弾き始める。バッハの平均律。つっかえる。軽くいらだっている様子でもう一度弾きかけて、やめる。

青年「奏でるって書くんですか?」
「え?」
青年「名前」
「そうです。奏でると書いて奏、です」
青年「それでピアノ弾かせたいんですか?」
「それで?」
青年「ぼくの名前、タクトっていうんです」
「たくと?」
青年「ドイツ語で指揮棒のことです。音楽家になる夢を叶えられなかった母がつけたんです」
おっちゃん「タクトって、どんな字を書くんだい?」
青年「開拓の拓に人です」
おっちゃん「いい名前だ」
青年「ぼくにとっては重荷でした。ピアノで道を切り拓けと言われているみたいで。親の期待を押しつけないでもらいたいですよ」
「奏って名前は、響きが気に入ってつけたんです。音楽が好きな子になってくれたらっていう思いはありましたけど、奏はピアノを習いたいって、自分から言ったんです。親が押しつけたわけではありません」
青年「でも今、押しつけてるじゃないですか。ピアノ弾くまで帰らないなんて、あんな言い方したら、余計に弾きたくなくなりますよ」
「じゃあどう言えばいいんですか」
青年「外の音がうるさくてピアノ教室やめたんですよね? そんな子がストリートピアノ弾けるんですか。ここ、思いっきり外ですよ」
「このピアノは、あの子にとっては特別なんです」
青年「子どもはいい迷惑ですよね。親のひとりよがりにつき合わされて、振り回されて」
「ひとりよがり?」
青年「ああいう音に敏感な子を、宮崎まで連れて来るの、大変だったんじゃないですか。本人も、まわりも」
「私だってわかってますよ。無茶させてるって。飛行機の中でも、あの子、大騒ぎして、怒鳴られて、謝り倒して……」
青年「だから手ぶらでは帰れないってわけですか。そういう親の自己満足がいちばん迷惑なんです」
「なんで関係ない人にそこまで言われなきゃいけないんですか。私はただあの子を助けたくて……」
青年「(遮り)ピアノが弾けたら、色んな音がうわんうわんいってるの、治るんですか? 学校に行けるようになるんですか?」
「そういうわけじゃないですけど」
青年「ぼくには、親の思い込みを押しつけるようにしか見えないんですよ」
「そんなこと……(否定しようとする)」
青年「ぼくがここに来てから、奏ちゃんと何話しました? 弾かないのか、いつ弾くのか、それしか言ってないですよね」
「(小さく息をつく)」
青年「子どもにとって、一番うれしいのは、親に認められることです。奏ちゃんの音を認めてあげてください」
「認めるも何も、奏は弾こうともしないじゃないですか」
青年「弾かないのも、奏ちゃんの音じゃないんですか?」
「え?」
青年「奏という名前だから、ピアノ弾かなきゃダメなんですか? 子どもは親の願う通りに弾かなきゃダメなんですか?」
「(ぽつり)親が子どもの幸せを願っちゃ、いけないんですか?」
青年「はい?」
「弾かないのがあなたの幸せだったら、やめればいいじゃないですか、ピアノ。さっきから聞いてても全然楽しそうじゃないし」
青年「(小さく息をつく)」
「でも、奏と一緒にしないで欲しいんです。あの子はピアノが好きなんです。ほんとうは弾きたいんです。私にはわかるんですよ、親だから」
青年「ぼくは……(何か言いかけるが)」
「(遮り)奏はあなたとは違うし、私もあなたのお母さんとは違う! お母さんに言えないことを、私に八つ当たりしないでください!」
青年「八つ当たり……そうですね」
「え……?」
青年「ピアノ、やめたほうがいいですね」

青年が立ち去る。

「(ブツブツ)何なの……」
おっちゃん「今の兄ちゃん、あんたが探している人だ」
「え?」     
おっちゃん「兄ちゃんのピアノを聞いていて、思い出したよ。あの動画の曲を弾いてた人だ」
「本当ですか?」
おっちゃん「いつ自分から言うかと思って待ってたんだけど、言い出せなかったんだな」

回想の青年、動画の曲の出だしを弾くが、つっかえる。

青年(回想)「これくらい、弾けると思ったんですけど」

おっちゃん「前はあんなに上手に弾けていた曲が弾けなくなってた。よっぽどのことがあったんじゃないかな」
「どうしよう……。私のせいで、ピアノやめてしまったら……」
おっちゃん「追いかけてみ。まだ追いつけるかもしれん」   
「そうですね。(駆け出して)奏、奏、行くよ。奏、早く」
「(追いかけて)おうちに帰る?」
「さっきのお兄さん、探しに行くよ。あの人、空色ピアノの人なんだって」
「おにいさん、ひけなかった」
「弾けなくなっちゃったんだって」
「おうち帰る」
「お兄さんとお話ししたらね」

大通りに近づく。商店街のざわめき、大通りの車の音が大きくなる。

「ママ、おにいさんとケンカした」
「してないよ」
「かなでのことでケンカしたの?」
「奏、ちゃんとママと手つないでて」
「やだ。ママおこってる」
「怒ってないよ」
「おこってる」
「怒ってない。うまくいかないなって思ってるだけ。(ブツブツ)どうしてうまくいかないんだろね」

私M「私たちが待っていた動画の人は、あの青年だった。彼もまたピアノが弾けなくなった人で、そうとは知らず、彼を傷つけてしまった。こんなことになるのなら、宮崎に来るんじゃなかった」

「(ブツブツ)何やってんだろ……(ふと立ち止まり)あれ? 奏? 奏どこ? 嘘……ちょっと……。奏? (走り出し)奏、奏? だから手をつないでてって言ったのに……。(息が荒くなり)奏、奏……(叫ぶ)奏!」

大通りを走る車の走行音。クラクション。急ブレーキ。商店街を歩く人々の靴音、おしゃべり。商店街の呼び込みアナウンス。スマホの電子音。色んな音が刺々しくぶつかりあう。

「(ブツブツ)車がうわんうわんいってる……靴がうわんうわんいってる……。うわんうわん、うわんうわん……。奏……奏どこ? (叫ぶ)奏!」

ピアノの音が聞こえてくる。

「誰かがピアノ弾いてる……。メヌエット? もしかして……奏?」

駆け出す靴音。
メヌエットのピアノ演奏が近づく。

私M「奏はピアノの前の椅子にちょこんと座っていた。耳をふさいでいた両手は鍵盤の上にあった。奏の傍らには、さっきの青年が立っていた」

「奏!」

ピアノの音が止む。

「(駆け寄り)奏、急にいなくなって、ママ心配したよ」
おっちゃん「お嬢ちゃんが兄ちゃんを連れて戻ってきたんだ」
「そうだったんですか」
青年「ぼくを探していたそうで」
「はい……。あなただったんですね。動画のピアノの人」
青年「……はい」
「すみません。私、お礼を言うべき人に、ずいぶん失礼なことを……」
青年「奏ちゃん、弾きました」
「ええ」
青年「満足ですか」
「ええ……。すみません、ちょっと拍子抜けしてしまって。こんなにあっさり弾いちゃうんだなって」
「ママよろこんでない」
「そんなことないよ。びっくりしただけ……」
「ママおこってる。かってにひいて、おこってる」
「怒ってないよ。奏、もう一回弾いて」
「(突然取り乱し)やだやだやだ」
「奏?」
青年「奏ちゃん?」
おっちゃん「どうした?」
「(取り乱し)きゅうきゅう車きらいっ。きゅうきゅう車きらいっ。
青年「救急車?」
おっちゃん「あ……来てる」

遠くから救急車が近づいて来る。

青年「ほんとだ」
「(取り乱し)きもちわるい。やだ、やだ、きもちわるい」
「奏、大丈夫だよ。奏の救急車じゃないよ」
「はく、はく、はく」
おっちゃん「吐くって言ってる?」
青年「大丈夫ですか?」
「違うんです! この子、ノロウィルスにかかって救急車で運ばれたことがあって……」
「(取り乱し)かなでだいじょうぶ? かなでだいじょうぶ?」
「大丈夫。大丈夫だよ奏」

奏を抱きしめる。

「(腕の中で)かなでだいじょうぶ? かなでだいじょうぶ?」
「大丈夫、大丈夫!」

救急車がすぐそばを通り過ぎる。

「(腕の中で)うわんうわんいってる、うわんうわんいってる」
「いつもは、ここまで取り乱すことはないんですけど……」
「(腕の中で)空色ピアノ見る」
「空色ピアノ見る? わかった」

動画を再生する。流れてくるピアノ。

奏「うわんうわんいってる……うわんうわんいってる……」

奏の息づかいが落ち着いてくる。

青年「落ち着いてきましたね」
おっちゃん「おまもりが効いたか」
「ほんと、宮崎まで来なくたって、動画見てれば良かったんですよね。ピアノを弾けたところで、何も変わらない……。奏、振り回してごめんね。小さな体にいっぱい無理させて、ごめんね。ママ、もうピアノ弾いてなんて言わないから」
「おうちかえる」
「帰る? わかった」

動画再生を止める。

「帰ろ。ね」
「あるいてかえる」
「え?」
「ひこうき、うわんうわんするから、やだ」
「奏、どこ行ったって音はするでしょう? 歩いてたって音はするよ。そんなこと言ってたらどこにも行けないよ。どうするの?」
「ひこうきやだ」
「奏……」
青年「帰っちゃダメです」
「え……?」
青年「奏ちゃん、まだピアノを弾いていません」
「何言ってるんですか? ピアノはもう弾いたじゃないですか。
青年「さっきのは奏ちゃんの音じゃない」
「無理矢理弾かせるなって言ったり、弾かせろって言ったり、どっちなんですか」
青年「奏ちゃんを助けたいんですよね?」
「もういいんです。奏、行こう」
青年「ぼくは、このピアノに助けられました」
「え……?
青年「母は、ピアノのことになると、とにかく厳しい人でした。ピアノから逃げ出したくなったとき、このストリートピアノと出会ったんです。三年前、音楽大学の受験を控えた高校三年の冬でした」

青年の回想。受験課題曲のクラシックを弾く。最初は真面目に、次第に崩して。

青年「朝早くても真夜中でも、寒い日も雨の日も、ピアノはぼくを待っていてくれた。ぼくの弾きたいように、弾きたいだけ弾かせてくれた。母の顔色をうかがって弾くより、気まぐれな通行人を相手に弾くほうが楽しかった」

青年の回想。受験課題曲を崩して弾いている。酔っぱらいたちが「兄ちゃん、うまいな」「あんたプロか?」などと声をかけたり、口笛を鳴らしたり、手拍子をしたりして通り過ぎて行く。

「動画で弾いているのは、その頃のあなたなんですね」
青年「そうです。(ぽろんぽろんと弾きながら)このピアノがあったから、ぼくは、ピアノを弾くことを好きでいられた。音楽大学に合格しても、コンクールに入賞しても、母はほめてくれませんでした。これでもまだ満足しないのか、だったらもっと大きなコンクールで賞を取ってやるって、意地になって……。母に認めてもらえるまで、宮崎には戻らないつもりでした。なのに、突然、あっけなく……」

青年、母を失った衝撃を弾く。

「お母さんが……?」
青年「八つ当たりしたくたって、母はもういないんです」
「そんな……。私、さっき、ずいぶんひどいことを……」
青年「いいんです。ぼくも言い過ぎました」
「(小さく息をつく)」
青年「あんたにはピアノしかないとさんざん言われてきたのに、ピアノすら弾けなくなって、苦しくて、苦しくて……」

青年、バッハの平均律を弾こうとするが、つっかえる。

青年「今日弾けなかったら、もうやめようと思っていました。名もなきピアノ弾きが一人消えたって誰も困らない。そんな投げやりな気持ちもありました。それでいて、このピアノならぼくを助けてくれるんじゃないかって甘えた気持ちもありました。そんなどうしようもないぼくを待っている人がいた……」
「はい……」
青年「子どもにピアノ弾かせるために飛行機で宮崎まで来るなんてバカじゃないのかと思いました。でも、そこまでやるのが親なんですね。今頃気づいたって遅いんですけど」           
「(ぽつり)かなで、ほんとは、ひきたい」
「え?」
「ママに、かなでのピアノ、聞いてほしい」
「奏……」
「でも、ママがきいてると、ゆびがカチコチになる」
「どうして?」
青年「こわいんだと思います」
「こわい?」
「かなでがピアノひくと、ママがしかられる」
「え……?」
「かなでがピアノはじめてから、ママしかられてばっかり、あやまってばっかり。ピアノ教室に行く日、ママきげんわるい。パパとママ、ケンカばっかり」
「奏……。ママ、余裕なかったんだね。奏に悲しい思いさせてたんだ……。奏、ごめんね」
「あやまらないで。ママは悪くない。全部かなでのせい」
「奏……。知らなかった。ママ、そこまで奏を追いつめてたんだね……」
「かなで、がくふのとおりにひけない。みんなみたいにひけない。かなではピアノひいちゃいけないの」    
青年「奏ちゃんには、奏ちゃんの音があるんだ。それを弾けばいいんだよ」
「かなでの音なんかない!」 
青年「奏ちゃんの中にあるんだよ」
「そんなのわかんない! (取り乱し)うわんうわんいってる、うわんうわんいってる」
青年「どんな音? 弾いてみて」
「わかんない。うわんうわんいってる」
青年「何がうわんうわんいってるの?」
「ぜんぶ」
青年「全部って?」
「わかんない」
「いいんだよ。奏の好きなように弾いてみて。どんな音でも、ママ、楽しみだよ」
「かなで、ひきたいよ……。でも、わかんない……」
「じゃあ、ひとつだけ、音を聞かせてくれる? ドレミファソラシドで奏はどの音が一番好き?」
「(待つ間があって、奏、ためらいがちにソを弾く)」
「ソ? ソが好きなんだ?」
「(返事をするように、先ほどより強くソを弾く)」
「空色ピアノのソだね」
「(返事の代わりに、ソ、ラ、と弾く)」
「ソ、ラ」
青年「今の音、真似して、弾いてみてください」
「私が、ですか」
青年「奏ちゃんの音を一緒に探して欲しいんです」
「奏の音を……? はい……。(ためらいがちにソ、ラ、と弾きながら)ソ、ラ」
「(もう一度、ソ、ラ、と弾く)ソ、ラ」
「(先ほどよりなめらかにソ、ラ、と弾きながら)ソ、ラ。空色ピアノ、うれしそうだよ」
「(ダダーン、ダダーンと弾く)」
青年「これは、何の音?」
「車がうわんうわんいってる音」
青年「車……?」
「車が走ってる音?」
「車がおこってる音。(もう一度ダダーン、ダダーンと弾く)」
「もしかして、クラクションの音?」
「(返事をする代わりに、ダダーン、ダダーンと弾く)」

実音の車の走行音とクラクション。

「これが、車がうわんうわんいってる音なんだ?」
青年「今の音、弾いてみてください」
「はい。「(奏を真似てダダーン、ダダーンと弾きながら)ブブーッ、ブブーッ」
「(ダダーン、ダダーンと弾く)」
青年「他には、どんな音が聞こえてる?
「くつがうわんうわんいってる」
「商店街を歩いている人たちの靴の音?」
青年「どんな音? 弾いてみて」
「(靴音を弾く)」
「これが、靴がうわんうわんいってる音?」
「(もう一度靴音を弾く)」

実音の靴音。

「(奏の靴音を真似て弾く)こんな感じなんだ……」
「(先ほどと音階をずらして別な靴音を弾く)」
「(真似して、音階をずらして別な靴音を弾いて)いろんな靴の人がいっぱい歩いてるね。(速度を上げた靴音を弾いて)早足の人もいるよ」
青年「他に何が聞こえる?」
「とりがうわんうわんいってる」
青年「鳥?」
「そこの大通りの木の茂みにいる鳥たちのことかも。
青年「どんな音? 弾いてみて」 
「(大きないばった鳥の音を弾く)」
「大きそうな鳥だね」
青年「カラスかな」
「(大きないばった鳥の音を繰り返し弾く)」
「いばってるね」
「(より強く弾く。鳥が攻撃的になっていくイメージ)」
「(小鳥の音を弾く)あ、小鳥たちがやってきたよ」
「(小鳥たちを威嚇するように弾く)」
「(小鳥の音を繰り返し弾く)仲間がたくさんやって来た」
「(さらに威嚇するように弾く)」
「(対抗するように小鳥たちの音を弾く)」

小鳥たちの音が強くなる。いばった鳥の音が弱くなっていき、音がしなくなる。

青年「小鳥たちが、いばった鳥を追い払った!(めでたしめでたしのメロディを弾く)めでたしめでたし」
「(笑う)」
「(笑うような小鳥たちの音を弾く)やったー。小鳥たちも笑ってるよ」
青年「車も笑おう。(奏が弾いたクラクションをアレンジして弾く)」
「(クラクションを加える)」
青年「(奏が弾いた靴音をアレンジして弾く)」
「あ、靴も笑ってる。(靴音を加える)」
青年「(笑う車と靴の音を弾く)」
「(笑う)」
「(笑う)」  

三人のセッション、高まっていく。

「(救急車のサイレンを弾く)」
「救急車?(驚いて、演奏を止める)」
青年「(も演奏を止める)」
「(救急車のサイレンを繰り返す)」
「奏……」
青年「続けましょう」
「はい。(戸惑いつつ、奏の救急車のサイレンに加わる)」
青年「(サイレンからひらめいたメロディを差し込む)」

青年のメロディと奏の救急車のサイレンが合わさり、音楽が高まる。私の音が抜け、奏と青年のセッションになる。

私M「奏の中でぶつかりあう音たちが音楽に変わっていく。奏は夢中になっている。大通りの車の音も商店街を行き交う靴の音も遠のき、今の奏の耳には、ピアノの音だけが聞こえているのだろう……。奏が聞いている音は、刺々しいばかりの騒音ではなかった。音楽は、奏の中にあった」

私が加わり、メロディが完結する。息をつく間があって、

おっちゃん「(拍手)特等席で聴かせてもらったよ」
「かなで、ひいたよ」
「弾いたね」
「ママも、ひいたよ」
「弾いたね」

しみじみとうなずきあう間があって、

おっちゃん「兄ちゃんも弾いたな」
青年「はい。ピアノを弾いて、久しぶりに楽しいと思いました。子どもの頃の懐かしい気持ちを思い出しました」

ベートーベンのピアノソナタ8番第2楽章のさわりを弾き始める。

青年「ベートーベンのピアノソナタ8番。初めてのピアノの発表会で母と弾いた曲です。あの頃の母は優しくて、たくさんほめてくれた……」

ピアノソナタが動画の曲に乗り移る。

「(ハッとして)この曲……」
「空色ピアノの曲!」
おっちゃん「動画の曲かい?」
青年「(演奏を止めて)このピアノで生まれたんです」
「そうだったんですね」
青年「母から逃れてストリートピアノを弾きに来ていたのに、気がついたら、母との思い出の曲を弾いていたんです」
おっちゃん「お嬢ちゃんは、それを感じ取ったのかな」
「空色ピアノの曲を聞くとね、あんしんするの。ママにだっこされてるみたい」
「そうだったの? やっぱり宮崎まで来て良かった。動画の人に会えて、良かった。ありがとうございました。奏に……(言い直し)私たちに、ピアノを弾かせてくれて」
青年「お礼を言うのは、ぼくのほうです。奏ちゃんを連れて来てくれて、ありがとうございました」
「そんな……頭下げないでください……」
青年「え……」
「ママないてる?」
「泣いてないよ」
青年「すみません、そんなつもりは……」
「いえ……。奏のことでお礼を言われることなんて、めったにないので……。いつも叱られてばかりで……。そうだよね、ママ、謝ってばっかりだったよね……。だから、こんなとき、なんて言ったらいいか……」
おっちゃん「そういうときは、おたがいさまでいいんじゃないかい」
「お互い様。そうですね」

私M「私の手を、奏がぎゅっと握る。私も、ぎゅっと握り返す」

「奏、帰ろっか」
「うん」
「どうやって帰る?」
「ひこうき、のってかえる」
「いいの?」
「だいじょうぶ。おまもりがあるから」
「おまもり? そうだね」
「うん」
「うん」

歩き出す母娘の靴音。二人を見送るように青年が動画の曲を弾く。

私M「今はつないでいる手で、奏はまた耳をふさぐのだろう。けれど、耳を突き刺す音の刺を音楽に変えることができたら、その音が奏を守ってくれる。ピアノの空色は、来たときよりも明るく見えた」

青年が弾くピアノが高まる。光が射し込み、青空が広がるように。

(終わり)

原作は宮崎にあるストリートピアノ

「きみを待つピアノ」が生まれたきっかけは2016年。

「宮崎市内にあるストリートピアノを今度『ドキュメント72時間』でやるんですよ」

当時NHK宮崎放送局でプロデューサーをやっていた友人のジョー君(城光一さん)と電話してたら、ジョー君が言った。

「ドキュメント72時間」は撮影クルーが「ある場所」に72時間はりついて、そこに出入りする人々やそこでの出来事を追うNHKのドキュメンタリー番組。「ストリートピアノ」というのは、街角に置いてある、誰でも弾けるピアノのことで、「街角ピアノ」とも呼ばれるという。

「それラジオドラマになるんちゃう?」とわたし。
「それやったら企画出してみますわ」とジョー君。

どちらも大阪出身で、二人での会話は基本大阪弁。テンポもいいし、ノリもいい。すぐにジョー君が企画を出した。

それから数か月。ジョー君から電話があった。

「こないだの、通りました」
「ほな書くわ」

言い出したわたしが脚本を書かせてもらえることになった。

その年の9月、ピアノに会いに宮崎に行った。大通りから少し入った広場にピアノはあった。ジョー君と演出の小林直毅さんと3人でピアノの前のベンチで半日過ごし、そこに来ては弾いて去っていく人たちを観察した。

顔が浮かんだ女の子とピアニスト

「このベンチで誰かを待つ話はどう?」

そう言ったとき、二人の顔が思い浮かんでいた。一人は娘の同級生の女の子。もう一人は作曲家でピアニストの窪田ミナさんだった。

娘の同級生の女の子は、小学校の低学年のとき、うちに遊びに来て、「うわんうわんする」と両耳を両手でふさいでいた姿が印象に残っていた。そんなに大きな音はしていないのにと不思議だったが、その子には遠くの音も近くの音も同じように耳に入ってくるらしいと知った。

「あの子がこのピアノに会いに来るとしたら」

東京に戻ると、その女の子とお母さん、それからお父さんにも話を聞いた。「自分が落ち着く音を探すんです」というお父さんの言葉が印象に残った。

もう一人、窪田ミナさんが思い浮かんだのは、ストリートピアノの即興性と相性が良さそうだと思ったからだった。

以前、言葉と音楽のユニット「音due.」の2ndライブに「さすらい駅わすれもの室 苦いブラウニー」と「ギターがピアノに恋をした」の二作品を寄せたとき、話しているその場で思いついたことをどんどん取り入れながら物語に寄り添う音楽をつけてくれた。

ミナさんなら「セリフになる旋律」を書いてくれるに違いない。

そこに以心伝心のようなタイミングで音due.メンバーの西村ちなみさんから3rd.ライブのご案内が。これはご縁!と運命的なものを感じて、楽屋で「一緒にラジオドラマやりませんか」と口説いたところ、「面白そう!」とミナさんは即答。おまけに「わたし、福岡出身なんです」。宮崎ご近所じゃないですか!とこれまたご縁が強化され、奇跡的な縫い縫いスケジュールで引き受けていただけることになった。

ピアノの音がセリフの一部ということもあり、脚本作りの段階からミナさんのスタジオで音楽打合せを重ね、音を探りながらセリフを開発した。「救急車のサイレン」の音を弾いてもらい、そこから次のメロディを引き出してもらい、「今の音でいきましょう」と話し、それを脚本に落とし込んだ。何が生まれるかわからないストリートピアノのセッションのスリルと面白さをドラマを作る過程でも味わえた。

劇中に出てくる「バッハの平均律」もミナさんの提案。

FMシアターで放送

出演者にもご縁があった。青年役の蕨野友也さん。「昔話法廷」のカチカチ山のうさぎの声の繊細さがいいなと思って、打合せのときに録画を見たりしていたら、後日宮崎のご出身だとわかり、これまたスケジュールをやりくりしてご出演していただけることに。苦悩する青年像の揺れを丁寧に演じていただいた。

女の子の母親役を演じた水崎綾女さんは、目を見張る集中力で本読みから収録の二日間でどんどん役を深めてくれ、セリフへのアイデアも出してくれた。理屈ではなく感覚的、感情的な台詞が多く、頭よりも感覚で役をとらえていただけていたのが、とても良かった。現場で「よりわかりやすくするためにセリフをこのように変えては」とプロデューサーから提案があったとき、わたしが応じようとしたら、「変えないほうがいいと思います」と迷いのない口調で言ってくれ、結果的にはそれが正解だった。まだ若いのに、自分のことも役のこともよくわかっていることに感心した。

女の子・奏(かなで)役の渡邉このみさんは、朝ドラ「べっぴんさん」のすみれの子ども時代も演じた名子役。ひとつひとつのセリフの解釈がさすがだった。子ども離れした掘り下げ力と子どもらしさのリアリティを併せ持つこの人でなければこなせない難しい役だったと思う。この作品が縁で、渡邊このみさんには、青春アドベンチャー「きりしたん算用記」にも主人公・小菊役でご出演いただいた。

宮崎弁がいい味出ているおっちゃん(真部法人さん)、ピアノを弾きに来る女の子とそのおばあちゃんも好演。

FMシアター「きみを待つピアノ」は2017年1月28日 午後10時~午後10時50分に放送された。
【出演者】水崎綾女 蕨野友也 渡邉このみ ほか
【作】今井雅子
【音楽】窪田ミナ
【スタッフ】制作統括:城光一 技術:赤木隆司 音響効果:佐藤あい 演出:小林直毅(宮崎局制作)

ドラマのきっかけになったドキュメント72時間「宮崎 路上ピアノが奏でる音」は2017年2月2日に放送された。

「放送作品って、それっきりなんですか?」の声

通常なら抵抗なく受け止められるものが刺激となり、不快感をもたらす。傷口に水をかけても痛みを覚えて刺激になってしまう「感覚過敏」。ドラマの放送から5年、その言葉を聞くことがふえた。わたしのアンテナに引っかかりやすくなったのももちろんあるが、当事者やそのまわりの人が発信する機会がふえていると感じる。

先日clubhouseで聴いていたルームでも話題になっていた。「聴覚過敏の女の子が主人公のラジオドラマを書いたことがあります」とチャットに書き込むと、「ラジオドラマだけにしておくのはもったいないです」とclubhouseで親しくなった中原敦子さんがメッセージをくれた。ご自身が子育てされていたとき、お子さんのお友達に感覚過敏の子がいて、学校や行政の理解に恵まれず、親子が苦労しているのを身近で見てきたという。

「感覚過敏の子への世の中の理解が広がれば、親も子も生きやすくなると思います。放送してそれっきりじゃなくて、朗読劇などで上演できないでしょうか」

ご自身も朗読をされている中原敦子さんに背中を押された。

そうか。脚本を公開したら、読みたい方、上演したい方につなげられるかもしれない。

NHKに問い合わせたところ、「脚本は今井さんの著作物であり、NHKは上演に対して何も権利などはありません」とオリジナル脚本の公開については問題なしとの回答をいただいた。

さらに、「FMシアターから朗読舞台という展開、大いに世の中に広まってほしいと思っています。以前こういう取り組みもありました」と朗読劇「リーディングプロジェクト」の紹介記事をお知らせいただいた。

朗読とピアノ演奏を組み合わせた実演ラジオドラマのような形で披露できたらと夢が膨らむ。

clubhouseでの上演はご自由にどうぞ。作品をより多くの方に届けられるよう、上演される方は、「replayを残す」設定にし、「ルームのURLをコメント欄に貼りつけ」ていただけるとありがたいです。

学校上演、商業上演についてはお問い合わせください。

clubhouse朗読をreplayで。

2023.2.21 鈴蘭さん

2023.2.22 鈴蘭さん(関成孝さんのピアノとともに)

2023.2.23 鈴木順子さん

2023.4.8 おもにゃんさん

2023.5.12  うきと朗読人達の朗読部屋


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。